ブログ「いらけれ」

爆発によって言葉と言葉が吹き飛び、その跡地に私がいる。私がいると書いたことによって、私は、私がそこにいたと知る。ぼろぼろの私たちは、ゆりかごの頃から時を共にしてきた毛布のような、暖かい安心を求めている。

「気持ち悪い」と思ったからそう言った。自作の小説に値札を付けること。小説とは、とてもじゃないが言えない代物を、私が書いた。だから、内容を知っている。面白くない。くだらない小説しか書けなかったことが、面白くない。
小説の出来とは無関係に、noteは便利だった。私が素晴らしい物語を生み出せる人間だったら、このサービスを活用して暮らしていけるだろうに。そう思いながら投稿した。投降したい、人生を。
時間のようには進まない。小説家としての力が、一定の速度で伸びるわけがない。そんなに都合良く成長しない。時には振り出しに戻され、銀行口座に振り込まれないギャランティに悩み、ローになったりハイになったりしながら、生きていかなければならない。
しかし私は、小説家ではない。何者でもない。ただ蠟燭のように燃え、短くなって、消えてしまう者。出所の怪しい金を、懐にしまう者。覚悟があるのかと問われれば、秒で、ないと答えたい人。コマーシャルで、ゆるい振り付けのダンスをさせられているアスリートを見るのが、何よりも苦手な人。
私という存在自体が悪夢なので、開き直ることにした。深夜3時に血迷った。私は以前、あるミュージシャンに「お金を振り込みたい」と思った。だから、振り込み先は用意しておいた方が良いと思った。まあ、買ってもらえるわけがないとは思いつつ、おかしな人が恵んでくれるかもしれないから作った。いつか振り込まれたいものである。

お金をかけてサイトを運営するよりも、noteに移行した方が良い気がしている今。ワードプレスでやってみたかったことは全部やったし、アドセンスも儲からないしなあ。少しずつ収益性を高めるつもりだったのですが、幼稚園児の頃のヒヤシンスぐらい育ちませんでしたね。なぜか花が咲かなかった記憶。そういえば、これは小学生だったと思うけど、理科の実験で、芽を出したインゲンマメに箱を被せて育てるというのがあって、ずっと待たされていたから、どうなっているのかと楽しみにした男子が集まって、「せーの」で開けた時の匂いが酷くて、その姿は忘れてしまったけれど、臭かったという思い出だけが残っている。こんな話をしている場合ではなかった。僕は秋葉原を離れた。

ブログ「いらけれ」

これから始まるのは、奮闘の日々の記録だ。日々の奮闘の記録ではない!奮闘しているのは毎日だし、そしてこれは日記だから。僕は土曜日の夜にいる。ひどい頭痛に苛まれている。その事実は、日曜日が終わって、月曜日の1時になって、ようやく書かれる。

僕の人生はまったく充分ではないし、順調ではない。改めて言うことでもない。どうしてなのか分からない、アンケート調査が重なる理由が。次の火曜日、次の日曜日、そして今日という土曜日。有名な電気街のある土地に向かわなければならない。浴びるシャワーは冷たい。人々の心のように。

今年に入ってから爆発的に忙しくなっているのは、僕が望んだことだから構わない。むしろ感謝しなければならないと思っている。謙虚さは大切だ。慎み深さを失った人間は醜いと思っている。今年からスタッフとして入ることになった哲学カフェの企画会議や、去年に仲間と立ち上げた同人誌の編集会議では、当たり前のように3~4時間話している。楽しい。お金にはならないけれど有意義な時間は、とても楽しくて素晴らしいのだ。平日午後の遊覧船に乗るような幸福。

例えばそこで僕は、「傷付きやすさ」という問題について、考えを話していた。誰も傷付けないことは可能なのだろうか。傷付きやす"すぎる"人もいるだろうし……転がるように語りを進めながら、僕たちは傷付かなければならないと、そう気付いた。
僕たちは適切に傷付かなければならない。なぜなら、この世界にある目も当てられない状況を前にして、僕たちの心が傷付いて、そこで初めて誰かに手を貸そうと思えるからだ。心が動かされなければ、何かをしようと動くこともない。
もちろん、傷付かないでいることが求められる場面もある。災害救助とか、医療とか。しかし、そういったプロフェッショナルでないのならば、まずは傷付くべきなのだろうし、その痛みや苦しみを受け止めるべきなのだろう。

傷の問題については、またいずれ話そう。電車のなかで僕は、『なぜあの人はあやまちを認めないのか』を読んでいた。記憶について書かれた章には、宇宙人に連れ去られたという"記憶"を持つ人が出てきた。当然、その"記憶"は作られたものなのだが、当人にとっては揺るぎない真実になっている。そして、そう信じ込むに至ったメカニズムを知ると、自分の"記憶"も怪しいものに思えてきて、背筋が寒くなるというか、何というか。「この出来事はあった」と強く信じていることは、何の証拠にもならないし、何一つ証明しない。それならば僕は、僕の記憶は、過去は、存在は……と戸惑っても仕方がないので、ひとまず自分を過剰に信じないことから始めたい。

ブログ「いらけれ」

昨日の日記については、失敗だったと思っている。しかしそれは、あなたの想像する失敗とは一致しないだろう。なぜなら、内容には満足しているからだ。私の力で書ける文章としては、あれがベスト。あれ以上は望めない。むしろ素晴らしい、とまでは言えないとしても。
私は書き忘れてしまった、「くいっ」を。「くいくいっ」をだ。
天高く上がった凧の足元で、それを操るために頑張らされる人々は「くいっ」と動く。「くいっ」という擬態語(擬音語?)は、凧揚げでしか使わないというわけではない。釣りでも「くいっ」とやる。ロットを伝って糸の先、水面の下、魚の目の前で疑似餌を「くいくいっ」とやって、何とか食いつかせようとする。
日常を切り取る感性で勝負したいと思うのならば、生活に潜む"生活らしさ"を見逃してはならない。それはとても難しいことだ、だから、できなくても仕方がない、できたら褒めてよね。

人間は間違ってるけど、間違ってる人間は間違ってる方に間違いを使わなきゃいけないんで、間違ってる方に間違ってるうちは間違ってないんだけど、間違ってない方(合ってる方)に行こうとするのが間違いの始まりなんで。気をつけて。

なんか、よく分からないけどクリスマスの夜道を歩いていて、左を向けば線路があるのだが、50メートルぐらい離れている。線路があったり、家の後ろに隠れたり、アパートが間に挟まったりする。それで、家と家の隙間では防音のために作られたらしい白い壁が見える。いつもはそうで、その日はクリスマスだからだと思った。壁に貼り付けられたLEDで、何かぼんやり光っていた。あやとりのホウキみたいな形の線がピカピカしていて、上の右の方と左の方に一つずつ、雲みたいな何かが描かれていた。関係ないけど、すごい寒かった。
1月後半になっても、それが夜に光っているのかどうかは知らないけど、その仕掛けは残っていて、光っていると滲んでしまう線が、昼間にはよく見える。それで、あの雲みたいな何かの正体が分かった。天使だった。光っていると認識できないなんて、すごい皮肉だなと思った。

態度を決定するからいけない。たったそれだけのことが分からないからいけない。何も言わなければいいのに、何か言ってしまうからいけない。手のひら返しを笑って誤魔化そうとするから嫌い。あなた方は全容を知らない。そのことをわきまえていなければならない。それなのに身の程をわきまえない。わきまえないあなた方が嫌い。みぞれ玉の砂糖のところが好き。

ブログ「いらけれ」

正月が終わったら凧揚げをしてはいけない、なんて法はない。すっかり晴れた午前中の公園。とても広い芝生エリアには、小さなボールを追いかける少年や、ふんわりとした毛が黄金に輝いている犬、体操の動きをゆっくりと繰り返すおじいさんなどがいて、そこに直接座った僕は、後ろに手をつきながら上空を見上げていた。

薄く細切れの雲たちは、風に流されることなくとどまっていたのに、飽きもせず眺め続けていた僕の隣に、"絶妙な距離"で彼女が腰を下ろしていたことは、声をかけられてから気が付いた。「凧揚げできないじゃん」。右を向いた僕の顔が、何か固い物と衝突した。飲み物を買いに行った彼女は、一番有名な紅茶飲料と、一番呼びかけている緑茶飲料を持って、そこに戻っていた。「いてっ」。頬は痛くなかったけれど、サービス精神でそう言った。「おまえが『ゲイラカイトにうってつけの日』言うたんじゃろうが」。確かに言うたけど。無風では上がらないことを失念していたのだ、申し訳ない。

それからは言葉少なに、僕たちは持って来た本と過ごした。僕が読んでいたのは木原善彦『アイロニーはなぜ伝わるのか』だった。この本を手に取ったのは、伊藤聡さんがツイッターで紹介していて、著者の木原善彦さんって『UFOとポストモダン』の人だよね、佐々木敦『未知との遭遇』で引用されていたから知っている、あれ読みたくて読めてないんだよな、じゃあまあ、新しいこちらから読むかあ、と思ったからだ。

午後のページを吹く風がめくった。僕たちは同時に顔を上げ、そして見つめ合った。彼女は、目をらんらんとさせていた。テレパシーが使えなくても、言うまでもなかった。リュックのファスナーを滑らせた。しまい込んだ凧は、もう一度日の目を見ることになった。芝生の上の人々は、周りを囲むジョギングコースの近くに陣取っていた。わざわざ真ん中で遊ぶ者がいなかったのは、僕たちにとって好都合だった。三角形の本体と、それにつながる糸を握り締めて、中心点を目指して歩き出した。

凧が上がっても、彼女はギュッと糸を握り締めなければならなかった。しかし、一度上がってしまえば、やらなければならないことは少ないようだ。目一杯上を向いて、時々、思い出したように引っ張っていた。僕はそれを見ていた。凧が想像させるのは、何よりもまず自由だった。満員電車を忘れさせるような開放感があった。それでも凧は、風来坊のようにあやふやではなかった。白い糸が保証する連携を、それを引っ張る彼女は確かめていたのかもしれない。そろそろ交代してもらおう。幸福な午後のひと時に、「おーい」と呼びかけた。