愛嬌
昨日の日記については、失敗だったと思っている。しかしそれは、あなたの想像する失敗とは一致しないだろう。なぜなら、内容には満足しているからだ。私の力で書ける文章としては、あれがベスト。あれ以上は望めない。むしろ素晴らしい、とまでは言えないとしても。
私は書き忘れてしまった、「くいっ」を。「くいくいっ」をだ。
天高く上がった凧の足元で、それを操るために頑張らされる人々は「くいっ」と動く。「くいっ」という擬態語(擬音語?)は、凧揚げでしか使わないというわけではない。釣りでも「くいっ」とやる。ロットを伝って糸の先、水面の下、魚の目の前で疑似餌を「くいくいっ」とやって、何とか食いつかせようとする。
日常を切り取る感性で勝負したいと思うのならば、生活に潜む"生活らしさ"を見逃してはならない。それはとても難しいことだ、だから、できなくても仕方がない、できたら褒めてよね。
人間は間違ってるけど、間違ってる人間は間違ってる方に間違いを使わなきゃいけないんで、間違ってる方に間違ってるうちは間違ってないんだけど、間違ってない方(合ってる方)に行こうとするのが間違いの始まりなんで。気をつけて。
なんか、よく分からないけどクリスマスの夜道を歩いていて、左を向けば線路があるのだが、50メートルぐらい離れている。線路があったり、家の後ろに隠れたり、アパートが間に挟まったりする。それで、家と家の隙間では防音のために作られたらしい白い壁が見える。いつもはそうで、その日はクリスマスだからだと思った。壁に貼り付けられたLEDで、何かぼんやり光っていた。あやとりのホウキみたいな形の線がピカピカしていて、上の右の方と左の方に一つずつ、雲みたいな何かが描かれていた。関係ないけど、すごい寒かった。
1月後半になっても、それが夜に光っているのかどうかは知らないけど、その仕掛けは残っていて、光っていると滲んでしまう線が、昼間にはよく見える。それで、あの雲みたいな何かの正体が分かった。天使だった。光っていると認識できないなんて、すごい皮肉だなと思った。
態度を決定するからいけない。たったそれだけのことが分からないからいけない。何も言わなければいいのに、何か言ってしまうからいけない。手のひら返しを笑って誤魔化そうとするから嫌い。あなた方は全容を知らない。そのことをわきまえていなければならない。それなのに身の程をわきまえない。わきまえないあなた方が嫌い。みぞれ玉の砂糖のところが好き。
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