薄っぺらで上っ面な言葉を手放すところから始めなければならない。私は言わば落研上がりの落語家で、師匠からは変な癖が付いているだとかクサいだとか言われて、このままでは決して認められないだろう。いつまでも素人の延長では、お遊戯の域を出ることはできない。加えて私には、師匠と呼べる人はいない。
落語の話を出して私は、2月15日に渋谷らくごへ行ったのに、そのことを書いていないと気が付く。
見どころはいくつもあり、例えば圓太郎師匠のある工夫とか、文菊師匠の恐るべき丁寧さとか、詳しくは書かないけれど、あと、初めて見たいちかさんの高座で泣いた。
しかし、今日の私が語りたいのは一花さんで、「四段目」の定吉だ。この日の一花さんは枕から、とにかく演劇が好きで、この前見に行った歌舞伎がすごくて……という話を、圧高めでしていた。「四段目」は、芝居好きな定吉が、使いの途中に歌舞伎を見に行っていたことがバレて、蔵に閉じ込められるというネタだ。蔵に閉じ込められた一花さんの定吉は、空腹で蔵に放り込まれながらも、それでも感慨深げに「観に行って良かったなあ」とつぶやいた。それで私は、(定吉、本当に良かったねえ……)と思った。何回聞いたか分からない「四段目」だが、そんなこと思ったのは初めてだ。枕からの流れもあって、尋常ではないほど実感がこもっていた。定吉にとっては芝居が、悲劇的な状況に追い込まれる原因となったとしても、それでも良かったと言えるほどの何かだった。まるで『フランダースの犬』の最終回のようだ、それほど胸に迫るものがあり、これだけで今日来て良かったなあと思った。
感情が込み上げるあの感覚を、心にぐっとくるあの瞬間を、文章で再現したいと思う。それはとても難しけれど。
人生は一筆書き。時間は戻らない。線路の向こうに、手を振ってしまったあの人のように。身に付いたのは使えないものばかり。なのに、失ったのは痛いものばかり。なりたかったのは金持ち?考えてもペンは動かない。将来の夢を書く二時限目に、白紙しか出せず名無し。遠い未来のワタシ。カカシのように、出来ないバタ足。プールに沈んで拾う碁石。頭上を通り過ぎる友だち。自ら上がり、一人の隣。濡れた床に、する体育座り。
湿疹の痕と肌荒れ。「気持ち悪いって」。かける言葉を探して、見つかるわけがない。蝉の声で静かな夏に、遥か上空の飛行機。反射した光。それと閃き。佇んで喋らない、カカシのようなワタシ。いることは一つの意味。それだけでいい。