ブログ「いらけれ」

昨日書いたイベントで休憩がなかったときのために、会場の手前のダイソーに入って、チョコとグミを買ったんだけど、休憩があったから余った。いっぱい。
チョコは会場で半分食べて、帰ってきてから半分の半分を食べて、次の日に食べ切った。買ったのは不二家の「ルック」で、4つの味が入っているやつ。久しぶりに食べた気がする。子どもの頃は、たまに買ってもらえる「ルック」がとても嬉しかった。甘いチョコのなかに、酸っぱい味や香ばしい味が入っているそれを、くじ引きのようにして食べた。今のやつは、味ごとに表面の絵柄が違っていたけれど、あの頃もそうだったっけ。忘れてしまったけれど、とにかく適当に、噛んで初めて何か分かるのが好きだった。
会場で食べなかったグミは「フェットチーネグミ」のコーラ味だ。ブルボンの商品だなんて、こうやって日記に書くためにパッケージを見るまで知らなかった。少しだけ酸っぱくて、結構硬い。満腹感が得られそうな気がして、小腹を満たしたい時には必ずこれを選んでしまう。はむはむしている内に、5歳の頃のことを思い出した。

その僕は京川君ちにいる。京川君に兄弟はいないのに、家は広い一戸建てだ。部屋は二階にあったが、一階のリビングの襖は閉まって大人の目が届かないという事情により、僕たちは階段に腰掛けていた。京川君と僕は親友だった。幼稚園児だった僕らはよく遊んでいたし、小学校に上がって、クラスが別になった後も交流は続いていたのだが、2年生になってすぐ、僕が転校してしまってからというもの、めっきり会わなくなってしまうのだけれど、そんな未来を、その僕は知らなかった。
僕たちの関係において僕は、あらゆることを教わる側だった。例えば、マヨネーズを塗ったパンの美味しさとか。まあ、これは彼のお母さんがおやつ代わりに出してくれたものだから、彼に教わったわけではなかったのだが。それでグミ、いやガムだ。噛むことでつながっているから良いだろう。手のひらに収まるほど小さな白い箱には、オレンジの絵が描かれていて、丸いガムが入っていて、一つ上の段から差し出された。コロコロとしたそれを、口に含んだ。京川君は言った、「ガムを飲んだら、うんこが出なくなるらしい」。間違って飲み込んでしまうかもしれないのに、そんなものを噛んだりするものだろうか。それから彼は言った、「本当か、確かめよう」。それが本当だった場合、とても危険なのだから、確かめない方がいいのではないだろうか。しかし、してみることにした。唾と一緒に、ぐっと飲み込んで喉を通っていった。(死んじゃうかもしれない)と思った。けれど、死に近づいてるかもしれないと思うことには、奇妙な高揚感があった。小さな冒険の一歩だった。言うまでもないことだが、ガムを飲んでも死ななかった。だから、この文章が書かれている。