ブログ「いらけれ」

あー。死たくないけど同じぐらい生きていたくない。あー。

若くして売れた彼の背後にプッシャーが……というようなイメージはあり、何が成功で幸せで、望ましい未来だったのかなんて、分からなすぎる。短距離で得た評価が、一夜にして鋭いナイフに変わる姿を何度も見てきた。神はサイコロしか振らないから、良いマスの次に悪いマスを踏むゲームのような人生。

吉田は団地のどこかに住んでいて、主にBB弾で通行人を撃つことを生業にしていたとはいえ、その仕事は当然金にならなかったので、彼の持つキラカードのほとんどは、地域の少年たちから吸い上げたものだった。少年たちは、地元のカードショップで箱からパックを取り出して、一生懸命に触ってその硬さを確かめたり、間違い探しのつもりでいくつかの袋を見比べて、ゲーム会社があえて残したサインを見破ろうとしたり、たゆまぬ努力を重ねていた。それらはすべて、レアカードをゲットするために行われていたのだが、まことしやかに語られていた判別法(通称:サーチ)は都市伝説であり、珍しい紙片を手にすることができたのは、箱ごと"大人買い"をする裕福な家の子どもだった。少ないお小遣いを握りしめた少年たちは、周りが見えなくなるほどサーチに熱中したことで、パックを持ったままカウンターに立つおばさんに背を向けて、万引きを疑われるなどし、己の不運を嘆いていた。
「悪事をしたい」という吉田の欲望を、多くの少年たちは解することができなかった。しかし吉田は、理解できない少年たちを歯牙にもかけなかったから、何度も万引きをした。万引きの獲物や仕留め方には複数のパターンがあり、その一つがカードショップ、サーチする振りで後ろを向き、さっと懐に入れるというものだった。少年たちは後に、自分たちが疑われる原因を作ったのが吉田だと知り、吉田と近い年代に生まれてしまったことを呪ったという。そして吉田は後に、若くして市議となり、生まれ育った場所を離れなかった元少年たちの目が、大量に死んだと言い伝えられている。

安易な思い出に頼らないためには"他者"が要る。文や映像の向こうに、あるいは目の前に居て、何かを発する"他者"が。自分の過去は有限だが、"他者"の経験を頂戴すれば、書ける事象はほぼ無限になる。差し出す前に、まず受け取ること。受け取ってまず吟味すること。考えなしに歩くのは無謀、だから地図のように、インプットを広げて。

ここは良い地。だからお願い、すべての嫌なもの、消えよ。