ブログ「いらけれ」

本屋には当たり前のように本があって、いやなくて、この目の端にも入れたくないような表紙を掻き分けて、そんなことはしないで、大きい本屋にだけ書籍検索の機械/機会があって、思いもよらないようなコーナーに向かって、なくてもう一回。文芸誌の並ぶ棚ではなくてノンフィクションの棚に、平積みではなく一冊だけ差してあるそれを手に取って、ずっと財布に入れたままにしていた図書カードで五百円引かれた代金をカードで支払った。
それで帰った。強風はより勢いを増していたから、飛ばされた帽子はコンコースを滑ったが、それは僕のものではなかったけれど拾って、おじさんに手渡した。あらかじめカバンに入れておいたマフラーが役に立った。大掃除の時に着けたマスクと、帽子に手袋もしてたので、出ていた耳だけが冷たかった。一時間半歩いて帰る間に、無数の鳥を見た。これまでの人生で最多の鳥だ。空の半分が黒くなった。それから電線に止まった鳥たちにとって、電線はどのようなものなのだろうか。人間がいて、活動して、電気を使うから張られた電線に鳥が止まる。電線が地中に埋まったら、大量の鳥はどこへ止まるのだろう。鳥のおかげで空を見て、やはり夕方は綺麗だ。
神の導きなんてなかった。だから僕は特筆すべきことのない人生を送っている。導きのたった4文字も、「ミチビキ」と書くと雰囲気が変わる。短くなった髪のようだ。教育実習でやってきた先生は、ある日突然、長かった髪を切ってショートカットにしてきたから、小学生たちは無邪気に訳を聞こうとしたけれど教えてもらえず、ただ「短くし過ぎたとは私も思っている」という心の内だけを知った。
大晦日はもう遠くなって、買った本だって読み終えてしまった。笑いが、人生をかけて探求するべきテーマであると再確認した。それは時に暴力的で、人を傷つけてしまうから、なおさら。
紅白も格闘技も、バラエティ番組でさえ、ほとんど見ることはなかった。みんなが楽しそうなのが苦手なのかもしれない。それか、20世紀から21世紀になる年の瀬、いつの間にか眠ってしまい起きたら世紀が変わっていて、8歳にもなって号泣したあの経験のせいかもしれない。必要以上に、斜に構えてしまう。長い夜を、日記を書いてやり過ごして、気が付いたら年が明けていた。2020/01/01という数字の並びを見て、2020/02/02はもっと愉快だろうなと思った。それから寝たり起きたりを繰り返して、緩みきってだらしないお正月をした。