ブログ「いらけれ」

正月が終わったら凧揚げをしてはいけない、なんて法はない。すっかり晴れた午前中の公園。とても広い芝生エリアには、小さなボールを追いかける少年や、ふんわりとした毛が黄金に輝いている犬、体操の動きをゆっくりと繰り返すおじいさんなどがいて、そこに直接座った僕は、後ろに手をつきながら上空を見上げていた。

薄く細切れの雲たちは、風に流されることなくとどまっていたのに、飽きもせず眺め続けていた僕の隣に、"絶妙な距離"で彼女が腰を下ろしていたことは、声をかけられてから気が付いた。「凧揚げできないじゃん」。右を向いた僕の顔が、何か固い物と衝突した。飲み物を買いに行った彼女は、一番有名な紅茶飲料と、一番呼びかけている緑茶飲料を持って、そこに戻っていた。「いてっ」。頬は痛くなかったけれど、サービス精神でそう言った。「おまえが『ゲイラカイトにうってつけの日』言うたんじゃろうが」。確かに言うたけど。無風では上がらないことを失念していたのだ、申し訳ない。

それからは言葉少なに、僕たちは持って来た本と過ごした。僕が読んでいたのは木原善彦『アイロニーはなぜ伝わるのか』だった。この本を手に取ったのは、伊藤聡さんがツイッターで紹介していて、著者の木原善彦さんって『UFOとポストモダン』の人だよね、佐々木敦『未知との遭遇』で引用されていたから知っている、あれ読みたくて読めてないんだよな、じゃあまあ、新しいこちらから読むかあ、と思ったからだ。

午後のページを吹く風がめくった。僕たちは同時に顔を上げ、そして見つめ合った。彼女は、目をらんらんとさせていた。テレパシーが使えなくても、言うまでもなかった。リュックのファスナーを滑らせた。しまい込んだ凧は、もう一度日の目を見ることになった。芝生の上の人々は、周りを囲むジョギングコースの近くに陣取っていた。わざわざ真ん中で遊ぶ者がいなかったのは、僕たちにとって好都合だった。三角形の本体と、それにつながる糸を握り締めて、中心点を目指して歩き出した。

凧が上がっても、彼女はギュッと糸を握り締めなければならなかった。しかし、一度上がってしまえば、やらなければならないことは少ないようだ。目一杯上を向いて、時々、思い出したように引っ張っていた。僕はそれを見ていた。凧が想像させるのは、何よりもまず自由だった。満員電車を忘れさせるような開放感があった。それでも凧は、風来坊のようにあやふやではなかった。白い糸が保証する連携を、それを引っ張る彼女は確かめていたのかもしれない。そろそろ交代してもらおう。幸福な午後のひと時に、「おーい」と呼びかけた。