風が冷たいから寒い。風が強いから、より寒い。風は後ろから吹いていた。少しだけ足を上げれば、勝手に前へと進む。しかし、今が追い風であるということは、帰りは向かい風になるということだ。そのようにして、未来を悲観していた。
青梅街道駅の先、線路に沿ってずっと続く道は真っ直ぐで、救急車のサイレンが聞こえ始めてから僕を追い抜くまでには、長い時間がかかった。大晦日だからか、電車が線路を走らない。20分以上は歩いただろうか。その時、後方から車体の姿が視界に飛び込んできた。青い!
空のように青い電車だった。空が走っていた、そして去っていったのだ。その心地良さたるや、僕の煩わしさを吹き飛ばさんばかりだ。僕は、この心の動きを書き残したいと思った。青い空を見るといつも安らぐ。青空でも癒されない心は、病みを自覚すべき証だ。あの電車は、年末の街に青空を届けていた。曇った人々のわだかまりを晴らしたと、そう信じたい。
一橋学園駅の前からは、長い商店街が続く。しかし、文化の香りがする店はほとんど見当たらなかった。並んでいたのは、おいしそうなメニューの写真を掲げる飲食店ばかり。今の僕にとってそれらは、我慢を強いる敵だった。
こちらの道が底辺だ、向こうから来た道は二股に分かれて、形成された大きな三角形が植え込みになっている。その植え込みに、ツリーと雪だるまが取り残されている。クリスマスには、イルミネーションとして輝いていたのだろうが、もうすぐお正月なのだ。時期の過ぎたクリスマス飾りは、不適切な印象さえ受けるほど場違いだが、片付ける人がいなければ何も片付けられない。そのことを理解しなければならない。いつか片付けるつもりで、後始末まで考えて、何事も始めなければならないし、作らなければならないのに、もう2020年が目の前だ。
商店街を抜けて、視界の端から端まで、シャッターの閉まった商店街が切ない。かわいいイラストの上に「○○手芸」と書かれているここにも、さまざまな人が通っていたのだろう。喜びも悲しみも幸福も不幸も、その土地、その場所には残存しているはずのに、時間だけが巻き戻らないから、その過去へとアクセスすることはできなかった。
それから、向こうに見える大きなマンションの真ん中、宣伝の黄色い横断幕が風に震える様子に、「ああ凧揚げをしたいなあ」と思ったときには、国分寺駅にかなり近づいていたのだ。左に曲がったり、右に曲がったりしたら到着した。大晦日でも、大勢の人が行き交う駅の、駅ビルには紀伊國屋書店がある。