革命の草の根運動。そんなものはない。世界は劇的にしか変わらない/劇的には変わらない。笑いながら革命が成功するものか。そんなことを考えていた年始。笑いで埋め尽くされる気味の悪い世界。彼らは激怒しなければならなかった。代わりに上げられた口角とその顔は、誰かには向けられなかった。笑いは、笑える人間と笑えない人間の境目を生み出す装置ですらあった。
私たちの未来は、どのようになっていますか。例えば、2120年。私たちは教育されたから、彼らの笑顔が醜悪なものに見える、「人種差別のジョークで笑うなんて、まあ」。野蛮な人々を見るような私たちも野蛮に見えているのだろう。あからさまなセクハラはなくなったけれど、ひと昔前のタモリは女優が座る椅子に手を置いていた(昔の「タモリ俱楽部」をユーチューブで見た)。「罰ゲームで笑うなんて、まあ」と、私たちが言う日がくるのだろうか(ヒップホップやラップバトルではなく、罰ゲームがいけないのではないかと思った)。あるいはドッキリ。盗撮に盗聴、同意のない笑いだ。同意のない笑いは、ハラスメントか。遠いか近いか、誰も笑わなくなる日が来るのか、来ないのか。
それから僕は笑わなくなった。薄曇りの心でそこにいた。日々の暮らしの表面は取り繕うことができるけれど、内実は大きく変わってしまった。小雨の墓地には、犬のふんを片付けるように促す看板があって、「ここは故人の眠る場所です」と書いてある。"眠る"は、今は比喩の響きだけれど、土葬が主流だった頃は、あるいは今でも土葬を行う地域であれば、"眠る"という言葉に中身が充填されるというか、実感のある言葉なのかもしれないと思った。そこで眠っていると思えることは、喜びなのか安心なのか、どのような感覚をもたらすのかまでは分からなかった。僕には眠っているように見えた人も、今では骨だけが残っている。
それから家に帰った。身体と意識があれば、家に帰ることができる。否応なしに外套を厚くさせる季節だ。濡れたそれを、温かい風を吹かせる機械の下に吊るして、右胸に苗字の入った青い服のファスナーを上げた。水出しの麦茶を取りに行ったキッチンで、芽キャベツを見つけた僕は泣いた。生きていく上において、それは必要ではなかった。しかし、こうした生活の彩りこそが僕たちの日常に、本当に必要なものだった。そうして無駄を取り入れることは、前進への決意だった。
世界のどこかでは喜びに溢れ
それは本当かい
それは本当かい
GRAPEVINE-また始まるために