男は、まず今日という一日の振り返りから始めることにした。彼が乗り込んだ鉄道は、都心部と郊外を繋いでいるから、仕事を終えた人々で混雑していた。それはあまりにもありふれた光景で、誰もが慣らされてしまっているから、疑問を抱く者はいなかった。けれど、お互いがお互いの個人的な範囲を、好きでもないのに侵しあう状況について、少なくとも私は、狂っているとしか思えなかった。さて、話を車内に戻そう。
しかし、よくよく考えてみれば奇妙である。男の頭は松井秀喜と同じサイズだから、充分な大きさがあるとはいえ、当然のことながら彼の家のリビングより小さい。しかし、彼の閉じられた瞼の裏側には、その細部が完全に再現されてしまうのだから、人間の脳というのは、家のリビングより大きいと、そう考えるべきなのではないだろうか。その時、男が思い出していた文字の羅列は、私には意味の取れないものだった。男の仕事は、上司に渡された紙から文字を拾い、パソコンに打ち込んでいくというもので、一日中画面と向き合っていた。彼の上司に聞いたところよれば、彼の仕事ぶりは見事なものなのだそうだ。なんでも、年端もいかない女性たちに関する文章を作っているとのことだが、この次元にいる私には、その詳細は分からなかった。
私は見たからいいものの、書こうとして初めて分ったのだが、電車の窓から見える景色というものは文章に馴染まず、残念ながら満足に伝えられない。あのアパートは大きなトラック、居酒屋、学習塾になり、手前の道には左から右に歩く人が、その後ろの建物は住宅に変わっていて、とせわしない。小説の登場人物が歩くのは、人の歩く速度が、小説と書き手にとって都合が良いからなのだ。君も、そう思いながら小説を読んでみよう。
数字で言えば、左から48、45、18、22。男の前にいる48の、腕組みをしてうつむいている頭頂部から、徐々に視線を上へと移動させた先には家電量販店の広告があり、そこには「新生活、一人暮らし応援フェア」とコピーが入っていて、掃除機や洗濯機、ドライヤーなどに混ざって、冷蔵庫のドアは開いていて、一番上にはハーゲンダッツ、中央にはオレンジと青りんごが二つずつ、一番下にはブドウ、ドアには外国のビールの缶が置かれているのを見た。私は、その一人暮らしは上手くいかなそうだ、と思った。生活をする覚悟が足りないのではないか。しかし、広告の向こうに実際の人間がいるはずもなく、すべてお見通しの私がいるはずもなかった。そして、男もいなかった。