ブログ「いらけれ」

なんか、それ読みたい(見たい、聞きたい、歌いたい)のか問題って、もっと重要なのかもしれないって思い始めている。だって、たくさんの虫とか下水道のなか、切り刻まれたぬいぐるみなんて想像したくないじゃん。だから、想像させられそうな文章は読みたくないじゃん。エログロナンセンス的な興味から離れたところで、それらを語ることはできるのだろうかという問い。

問題がいっぱいで、毎日のように頭を抱えている。彼の身体から切り離してセカンドバッグに入れている。ああ、いけないいけない。それでうちらはガストにいた。頼んだデカンタワインをドリンクバーのジンジャーエールで割って遊んでいた。なんてつまらない、まるで大学生みたいな大学生だ。安いワインは飲みやすいというか、うちらには炭酸飲料を配合するために神が作った飲み物にしか思えなかった。

小説研究Ⅰのために、前はピンと来なかった小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』を読んだら面白い。テクストの妙味。MCバトルに惹かれているポイントも近くにあって、そんなことが言えるんだ、という意外性がありながら、それだけではない奥行きが表現に宿っているかどうか。例えば4ページ、「肝っ玉が小さくて番犬になるどころか泥棒にへいこらして金庫破りまで働きそうな柴犬の三太」とか。思ってもみなかったことは言えない、だからこそ、思ってもみなかったことを言いたい。
そのためには、まず、何と言っても知識並びに教養が足りないと思ったから、imdkm『リズムから考えるJ-POP史』と木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義』を買った。合わせて3000円を超えることにより、楽天のキャンペーンでポイントが3倍とか、そんなことはまったく関係がない。ただただ、この前行ったイベント「(J)POP2020」でimdkmさんの発表が面白かったのと、矢野利裕さんが紹介していたから買ったのだ。妙な勘繰りは、あなたのためにならないから、やめておいた方がいい。

そういえば、この前の火曜日に行った渋谷らくごの感想を書こう、俺は書かなければならない、そういう人間なのだ俺は、とか考えていたはずなのに忘れていたので、今から始める。
馬石師匠の湯屋番は聞いたことないくだり(くすぐり?)が多くて、新鮮だった。あのオリジナルな世界観の方に噺が飲み込まれていて、客席にいたら、もう爆笑するしかないのだ。
扇辰師匠の徂徠豆腐も最高だったわけだが、胸がじんとしている状態で、いろいろ考えた。後の荻生徂徠ではあるものの、今は腹を空かせて困っている男の話を聞いて、「偉い」と言う豆腐屋は、どうしてもファンタジー(だって、金持ってないのに豆腐買ってるのよ?)で、江戸時代においても、そんなに寛容ではいられないよ、というファンタジーだったのかもしれないが、徂徠の語る思想も、彼を評価する豆腐屋も、ポジティブなものとして捉えられていたのだろう。だろうか?と考えているのは聞いている僕で、僕は江戸っ子になったつもりでそれを聞く。まず江戸っ子になり、登場人物たちを粋だと捉えようとする。つまりそこでは、ファンタジーが二階建てになっているのだ。なっているのだ、と書いて、この感じが伝わっているのだろうか?