ブログ「いらけれ」

「ワカコ酒」の‎武田梨奈をドキドキしながら見ていた。実は、心情を語る声がとても良いということに、あなたはお気づきだろうか。画面上の魅力を、ナレーションが倍増させていた。実際に「ぷしゅー」と口に出されるたび、心が離れかけるんだけど、何も起こらない物語に安心して、見続けてしまう。
人々はもう、揺さぶられたくないのではないかと思う。その感じを、僕も一部共有しているつもりだ。予告もなしに、思いもよらないどんでん返しなんてされたくないし、ましてや人間の心の機微になんて触れたくない。そういうものは、そういうものを受け入れる態勢が整っている時にだけ見たい。「ワカコ酒」を見ながら、例えば主人公が事故に遭って、記憶喪失にならないと安心している。そういう悲劇が起こらないと分かっているのが面白い、とまで言えてしまうほどだ。

すでに持っている世界観を揺さぶられたくないという欲望に優しい世界。でも、その世界観はどうやってできたの?初めから間違っていたとしたら、間違い続けるけど良いの?という疑問は、常にある。

私たちは嘘つきである。私たちが嘘をついている相手は、まず第一に私たちである。
私が借りてきたのは、「なぜあの人はあやまちを認めないのか」という2009年に翻訳、出版された本だった。図書館に行ったら、だいたい人文書の並ぶ棚の前に立つ僕の目に付いたから借りた。目次と「はじめに」の間には、こんな文章が引用されていた。

偉大な国家というものは、偉大な人間に似ている。
あやまちをおかしたときには、それに気づく。
気づいたときには、それを認める。
認めたときには、それを正す。
あやまちを指摘してくれた者を、彼は最善の師と考える。
―スティーブン・ミッチェル(老子経に想を得て)

結果的には、今こそ読むべき本だったということだ。
私たちの心が相反する二つの認知を抱えたとき、私たちの心に生じる不協和、それを解決、解消するために行われる自己の正当化。これは何も、悪者にだけ起きているのではない。(正しいはずの)私たちの心でも起きているのだ。後ろ暗いところのない人間などいないのであり、もしあなたが「後ろ暗いところはない!」と強弁するならば、それこそが自己正当化を行っている証である。え?仕事をサボったのは上司が悪いから?……ほらね!
一章までしか読んでいない(!!)から、何とも言えないところだが、理論的な解説ばかりではなく、具体的かつ示唆的なエピソードも満載で、とても面白くておすすめである(今のところ)。とまれ、早く読み進めなければいけない。
最後に、生活に役立ちそうな知恵を一つ。こちらに好意を持っていない相手を味方に引き入れたいときには、親切にするのではなく、親切にしてもらうのが良いらしい。なんでも「(私が)善いことをしたということは、相手は思っていたほど悪い人ではない」と、相手の脳内で論理が回っていくからだそうだ。