ブログ「いらけれ」

5月の渋谷らくごが不入りだったそうで、それは本当に惜しいこと(もっとみんな行くべき)だと思うんだけど、そのことを会のキュレーターであるサンキュータツオ氏がツイートしていて、それに付いたアドバイスのリプライを見て暗い気持ちになる。
「そんなこと、考えてないわけないじゃん」って、何年も続いている会なのだから、そうなっていることには、何かしらの狙いや、出来ない理由があるのではないかと、少しは想像しないのだろうかって僕が思うのは、タツオ氏の発言を追っていて、考えを知っているからかもしれない。
もちろん、一つの瑕疵のないものなんて地球上に存在しないので、不満を感じる人がいるのは当然だし、それを表明したり、「変えてくれ」とお願いするのはいい。僕が問題としたいのは、なぜか落語や興行や宣伝といったすべてを知り尽くしたかのように、教えて"あげようとする"人々のことで、彼らが自らの不明を恥じるようになるには?そして僕が、彼らのようにならないためには?ということを考え続けなければならないと思う。

結局、面白くないことや面白くない人に、かけらも興味がないということなのかもしれない。だからこそ、面白くない本や面白くない映画にぶつかって凹み、面白くない仕事をしながら、面白くない思いをしながら生きている。面白いことに出会うためでしかない人生。

J.LAMOTTA すずめ『すずめ』が届いて、僕は5月10日の日記「Monk」で、歌詞の対訳が付いてくると書いたのだけどなくて、驚いて、でも帯にはしっかり「対訳付き」と書いてあるから何かと思ったら、まさか「アーティスト名”すずめ”誕生秘話を綴ったオリジナル・ストーリー」が英語で書かれていて、その対訳のことだとは思わないじゃん!だって、それは付けてくれないと読めないもん!まあでも、音楽が良かったから、矛を収めるけど!

J.Lamotta – If You Wanna (music video)

気を引くために、とても安易に、あるあるを書いてしまうあなた(=私)から距離を置きたいと思うよ。それで私は、借りていた『哲学の誤読』を読んで、やっぱり哲学書はいいなあと思ったことを書くよ。なぜって、それは哲学書なんて読んで、時間や未来について新たな視点を得たところで、明日からの生活に役立つどころか、気の効いた小話にすらならないから!そこが素晴らしい、なんちゃって、本を読んで一番心に残ったのは、この記事のタイトルにもなっているマイケル・ダメットの論文「Bringing About the Past」(過去を引き起こすの意)の、この字面のかっこよさなんだよねえ。(「酋長の踊り」と「オズモの物語」は、気の利いた小話に使えそうだから、覚えておこうね私!)

ブログ「いらけれ」

文章は、僕が書こうと思わなければ書けないが、かといって、書こうと思えば書けるというものでもない。始められた掃除は、まだ続いていた。掃除機をかけるために布団を上げながら、万年床としているこいつは、どう扱うのが正しいのか知らない、ボンクラだからと思って、検索をかけてみる。すると、「毎日上げ下ろしをしろ」とか「一週間に一回は干せ」と、無理筋が書いてある。無理無理と思いながら、その後は律義に畳むようになり、なんと一回干してしまった。こうしてまた、僕は人間に近づく。

掃除機がけは疲れる。なのに、結構髪の毛とかが残ってしまっているのを見つけて、余計に疲れる。

その後は、衣替えを行う。高校生の頃に買ったと思われる厚手のパーカーを発見し、その鮮やかな緑色に、アメフトをやっているアメリカの大学生が着てそうだなと思ったが、ドラマや映画で作られたこのイメージ、このニュアンスが、実情に即しているのかどうかは、よく分からない。着ていなかった服は他にもあって、それは、この先の季節に使えそうだと思った。
しかし、どれも「The Undisputed Era」の帽子に合うものではなかった。上と下の世界観が、齟齬をきたしていることは、非おしゃれの僕でも分かった。でも、プロレスラーの帽子とマッチするのなんて、プロレスラーのTシャツや、筋骨隆々の上半身しかないのではないだろうか。僕が被ったところで、サブカルクソ野郎にしか見えなかったのだ。
ここで僕が目を向けるべきなのは、"サブカルクソ野郎"という風に思った感覚だ。これは、僕の内から出てきたものではあるが、僕のものではない。テレビやネットで、誰かが誰かを揶揄するために、"痛いヤツ"と見なすために、援用されてきたイメージだ。そんなものはどうでもいいし、そういう言葉づかいをする人とはかかわり合わなければいいだけの話だ。美意識を他者に手渡してはならない。

爪切りを借りたら、本当に切れないで不満を言ったら、親が結婚した頃に買ったものだという。立派な一軒家や高級な装飾品ではないところに、生活の歴史が残っている。しかし、あまりに爪が切れないので、どれだけの歴史を持つ爪切りだとしても、もうすぐ、あっさりと捨てられてしまうことだろう。そのことがまた面白い。

「2000円以上じゃないと売らねえよ」という商売をしているAmazonを見て、やっぱり胴元が儲かるように世界はできているんだなあと思う。300円の爪切りが、冬物を閉まったクローゼットにかけるムシューダと、ロールオンタイプのデオドラントと、虫歯を予防するガムと一緒に来た。どれも、コツコツと貯めたポイントで買ったから別にいいけど、要るから買ったとはいえ、どうしても要るかと言われれば、要らないような気がする。「これこそが消費の本質である」などと、それらしいことを書いても空しい。

ブログ「いらけれ」

(前回までの日記のタイトルが「2019521」となっていたのを、しれっと直しました。きっと、正しいことばかり要求される世界で、もっと間違えたいという深層心理が働いたのだろう。否、ただただ疲れていて、ぼうっとしていたのだろう。)

三四郎さんは、ずっと大喜利に答えるような新作で、かつ、お題に対する観客の予想を超え続けなければならないようなネタで、非常に難しく大変だと思うのだが、笑いを起こし続けていてすごいなあと思った。師匠のまくらから入った志ん五師匠は構成ばっちりだったし、来月の東村山寄席に出演予定の小助六師匠の安心感も素晴らしかった。東村山寄席、いつも平均年齢が高いので、行くことに怖気づいてしまっていたのだが、やっぱりチケット取ろうかなあ(というか、残っているのだろうか)。

圧巻だったのは、トリを務めた笑二さんで、場を制していた。あの鼠穴、ああいう高座に立ち会えるのは、年に一回か二回あるかないかという感じなので、あの場に観客としていた62人は幸せだ(つまり、自分がその中の一人であったことを自慢しているのだ)。

見たものについて上手く言葉にできない自分に唖然とするが、言葉ではない表現が言葉に変換できるのならば、言葉を読めばよい。ライブレポートは、ライブに行っていない人のためではなく、ライブに行った人が思い出すためにある。これ以上、落語についてはどうにも書けないので、高座の最中に、よくあることだが、時計のアラーム音のようなものが聞こえたときに、まず腕時計を耳に当てた自分を書く。Amazonで1000円の僕の時計には、もちろん音声を出す機構なんてあるはずもなく、自分の行動に驚き、そして、心配性伝説を更新したなと思った。「これが自分だったらどうしよう」などと、周りの迷惑を考えるような人間が、真っ先にストレスで死んでいくのだろう。

とても疲れていたことが、翌日の僕の行動にどのような影響を与えたのか、僕には知る由もない。ストレートに、落語を聞いたことで元気になったのかもしれないが僕は、朝の7時には起きて、それまで出来なかった部屋の掃除をした。ゴミを捨てたし、掃除機もかけた。きれいになっていく部屋には、小さな蜘蛛が住みついていて、物を動かしたことで居場所をなくしたようだ。逃げ惑う様を見る僕。向こうからは、進撃の巨人の、巨人のように見えているのだろうか。知らぬ間に始まっていた共生は、突然ポジティブに、そしてアクティブになった僕の、蜘蛛にしてみればいい迷惑な行動のせいで終わった。

ブログ「いらけれ」

(帽子、タグを切ってもらえばよかったなあ……)というのが心の声で、手に持った袋の中身を見ながら、電車に揺られていた。「ハサミ持ってますか」というのが、見知らぬ人に発せられることのなかった言葉で、隣の人に声かけられるような人間だったらなあと思っていた。怪しまれて警戒されたら、「いやいやいや、違うんです。さっき買った帽子のタグを切りたくて」とか言って。

渋谷のコンビニにはセルフレジがあって、僕みたいな人間に優しい。でも、500円以上するハサミしか置いてなくて、そっちはぜんぜん優しくない。少し歩いて見つけた100円ショップは、なんか品揃えがファンシーで、それはまあ、生活用品を買いに来る人が少ないからだろう。筆箱に入るサイズの、小さなハサミ(キャップ付き)を買った。そんなシチュエーションがもう一度来るかは分からないが、またタグを切りたくなったときに、こいつが役立つはずだ。

近くのファミレスに入ったら、お会計をしている外国人の店員さんに「~~(聞き取れなかった)お待ちください」と言われたので待って、一人であることを伝えたら、「そこに名前を書いて、お待ちください」と笑顔で言われて、もやもやする。彼にとっては、歓待を表す笑みだったのかもしれないし、真意は分からないけれど、嘲笑されたように感じてしまって、これから先、こういうことが色々なところで起こるのだろうし、難しい時代だなあと思った。

来た道を戻って入ったガストには、結構な空席があってよかった。もう18時になっていて、こんなはずではなかったのに、余裕をもって本を読むはずだったのにと思う。帽子を袋から出して、タグを切って、置いて眺めて、やっぱりかっけー。つばの、キラキラのWWEのロゴが描かれたシールは剥がして、一緒に袋に入れていたレシートの裏側に貼って、持って帰ることにした。モバイルバッテリーをスマホにつなぎ、もう机の上が混んでいる。歩いている間、ほとんど水分を取っていなかったので、注文の品が来る前にコーラを一杯飲み切ってしまった。チーズインハンバーグは、切り分けたときのヴィジュアル的な美味しさは素晴らしいけれど、流れ出ててくるチーズと肉を一緒に食べるのが難しい。イヤホンを付けて話し声を遮断し、本を読む。家で読むより集中できたようで、かなりページが進んだ。店を出るまでの1時間半で、ドリンクバーに3回立って、炭酸飲料を3杯と、おかわり自由のスープを2杯で、おなかがだぼだぼした。

僕は、ここまでに2時間半以上歩いていて、すでにかなり草臥れていたわけだが、まだ一日は終わっていない。むしろ、これからが本番なのだ。だからあなたは、明日もまた、この日記を読まなければならないだろう。