ブログ「いらけれ」

鬼がいる。僕はただ、口を噤んでみたいと思った。優秀な人を見ると、気持ち悪いと思うようになって、このようにして自分の心の不調を自覚したとき、そのまま不調だと書けるのが、日記の良いところだ。すべての人間は間違っているのだから、正しくないままでいられる場所を確保しておかないと、本当におかしくなる。

人に会う用事があるから僕は、最近日差しが強くなって、あるときから日焼けすると皮膚が黒くなってしまう僕は、小学校高学年の運動会の時期に一番ひどい症状になった僕は、頬骨のあたりが黒くなって、さらに一部は剝がれてしまっている僕が写真として残っているはずで、そこで学んだ僕は、以来日焼け止めをべっとりと塗るようになった僕は、去年から帽子もかぶるようになったが、それは頭皮を守る意識の方が強かったが僕は、髪形を気にしないで外出できることに一番のメリットを感じている僕は、ただ、動いていないエレベーターの、鏡のようになったガラスに映った僕には、どうにも似合っていない気がしていたから僕は、今は子どものころの写真を見てみたいという気持ちになっていて、でも、子どものころは、自分の今の姿が未来になって価値を持つなんて思えなかったから、写真なんてほとんど残ってない僕は、中学生になって学校に行かなくなったことと関係なく僕は、日焼けで皮膚が黒くなり始めたころに、J SPORTSで放送されているWWEが面白いということに気が付いた僕は、トリプルHを誰かやっつけてくれないかなあとか、ストーン・コールドが出なくなったのは何でかなあとか無邪気に思っていた僕は、初めてプロレスの雑誌を買って、目の前で展開されている煌びやかな世界を下支えする現実の世界があるのだというメタ的な見方を獲得することになった僕は、それからときどき、プロレスを見たり見なくなったりした僕は、今は見ない時期に入っているけど、少し前によく見ていたときに、ウーソズの帽子がかっこいいなと思って、買いたいと思っていた僕にはお金がなくて、少しはお金ができた今になってAmazonでは品切れになっていたが、僕は、本家の英語のWWEのサイトを見たら、かなり安く1500円ぐらいで売っていたのを見つけた僕は、うっかりカートに入れていた僕は、輸送費がかかることではなく、配達日時が予定の後になっていることに直前で気付いたから慌ててやめた僕は、その頃には輸入されていなかったアンディスピューテッド・エラの帽子が楽天で売っているのも見つけて、圧倒的にかっこいいと思った僕は、でも送料が500円以上だから、売ってるお店の実店舗に行こうかなと、僕は考えている。


三輪二郎/おもいで (Music Video)

『深夜の馬鹿力』でかかっているのを聞いてから僕は、この曲が好きだとここで言わなければならないと思っていたが、期せずして日記の内容と合った。

ブログ「いらけれ」

何についての価値判断も批評も、それ以前の好き嫌いだって、今の僕は言いたくないと思ったから、昨日はああなった。貧弱な言葉と貧弱な思想と貧弱な知識で何を語っても、ここでさやわかが言っている「マンガを語ることが貧しくなっている」というような語りを、マンガじゃない分野で再現することにしかならないと思った。
ちょっと落ち込むこともあってね、僕に優しい言い方をするならば、ここから数年は、自分の言葉と考えを練り直す時期にするべきだと思ったんだ。今はまだ、語る資格がない。このようにして、素直に実力不足を認めることさえできれば、やらなければならないことは、比較的容易に見えてくる。
やるべきことに注力していくために、このような文章は、書いてもいいけれど、書く時間を短縮すべきなのだろうな。今のように、うんうん唸って書いても、読者に恵まれないのならば、それは独り言でしかない。独り言に時間を費やして狂わないでいられるのは、すでに狂っている人だけで、僕は先に進まなければならないのだから、狂っている暇はない。

それで僕は、J.LAMOTTA すずめ『すずめ』と、さやわか『名探偵コナンと平成』をネットで注文した。『すずめ』は、applemusicでも聞けるけど、歌詞の対訳と"すずめ"という名前の誕生秘話が付いてくるということだったので。
僕もまだ手にしていない以上、みんなもコレを買った方がいいよ、とまでは言えないけれど、みんなも文化にお金を使った方がいいと思う。そちらの方が豊かだから。なので、みんながCDや本を買ったら、僕に報告でもしてよ。でもまあ、2500円以上購入で300円引きになるクーポンを使った僕が言うことじゃないかあ。ちなみに僕は、鈴木謙介『未来を生きるスキル』も買うつもりだ。そんなにバシバシ本ばかり買って、誰が読むっていうんだろうね。図書館で借りた本も読み終わっていないというのにね。

僕ははっきりと、ラジオクラウドとラジコを作った人たちに怒っている。まずラジオクラウドだが、TBSラジオの番組サイトの個別記事に音声が貼り付けられているときに再生できないことも多いし、ラジオクラウド本体のパソコンの方のサイトには検索機能がないという、今の時代ありえない仕様になっている。スマホのアプリなら検索できるけど、そちらもタイトルが検索できるだけらしくて、例えば「さやわか」と検索しても、ゲスト出演していた『アフター6ジャンクション』のコナン特集は表示されない。
ラジコも使いづらくて、タイムフリーの聴取可能時間が3時間しかないというのは、まあしょうがないと譲るとして、それでは4時間を超えるような長尺の番組が聞けないという問題に対応するために、番組が分割されているのは良いことだとして、分割された前半を聞き終えて、後半に行く手段が用意されていないのは、本当に駄目だと思う。自動でジャンプすることもなく、次のパートへのリンクもなく、下に表示されている番組表は今の時間帯のもので、日付と時間帯を自分で変えて再生しなければならない。
ラジオクラウドもラジコも、できてからずっとこんな感じだし、それが長いこと改善されることなく放置されているのは、サービスのインターフェースを作っている人や運用している人が、自分で使ってないからだと思う。そんなものに未来なんてあるはずがないと分かっていないお偉いさんが、サービスの利用を進めていたりして、頭が痛くなる。こんなことを続けていたら、今がどうでも、いつか本当に終わるよって思う。

ブログ「いらけれ」

「C面」なんてものがないことぐらいは、それぐらいは僕も知っている(町工場とかでは使う言葉らしいよ)。

最近、遅くとも2時に寝るようにしたのは、深夜は効率が悪いからだが、効率を考えれば、こんな日記は一刻も早くやめるべきである。寝るときは、ヒーリングミュージックを聞くようにした。自然界の音を聞くとリラックスできて、よく眠れるってネットで読んだから。ばるぼらさんがツイッターで紹介していた奴(これ)。なんとなく落ち着く感じはある。でも別に、寝付きが良くなったり、朝すっきりと目が覚めたりということはなかったので、効果があるのかどうかはまだ分からない。

朝起きて、今日もやる気出ず。物事に正しい順位を付けられないので、ゴミはたまるし、人生はこんなだし。布団から出て一番初めにしたことは、「楯の会」のウィキペディアを読むことだった。前日の夜に本を読んでいたら、その中に「三島事件」が出てきて、僕は無知だから詳しく知らなかったので、手始めに当該のウィキペディアを読んで、さらにリンクからジャンプして、眠くなったところで中断していた、そのウィキペディアの記事の続きを読んだのだ。僕が何を思ったのか、何をどう言っても、どこかの誰かからは反感を買ってしまいそうなので書けない。書けないことに時間を費やしてしまったわけだが、とても興味深いと感じて、今度は関連書籍を読もうと思えたので、為になったということにしておこう。

だから本当は、読む人のことを考えた内容のあるテキストを書くべきだし、ハードとソフトはつながっているのだから、文章に合わせてサイトのデザインもいじるべきだ。能力とセンス、あと努力の問題で、それらのことに配慮できない人間は、死んでいくしかないんだなと思う。あと、最近めっきり求人が減っていて、新しく就職するのも難しそうだから、ただただ絶望する。

つか、ただのブログなら、ブログサービスを使えばタダなわけで、本当に馬鹿だな、僕は。でも、ブログサービスを使っていたころは、このような形で毎日更新することはなかった。お金を払ってしまったから、もったいないのでやっている。

大きなことをするためには協力者が必要だ。お前には、そんな人はいないし、死ぬまでできない。

先週の土曜日の昼間には、米粒写経とAマッソという芸人の合同ライブにいった。どんなライブだったかは、マキタスポーツのブログに詳しい。「伝承ホール」は、渋谷駅から徒歩5分とサイトに書いてあったが、あれは嘘だな。手前にある坂がキツイし。あと、よく構造を知らんで、上に行くにはエレベーターしか手段のないフロアに入ってしまって、めちゃくちゃ混んでいて参った。これらのことにより、開演ギリギリになったホールに入ってみたら、僕の席は桟敷だった。階段とエスカレーターで帰った。家に着く前から痛かった頭が、より痛くなったので寝た。

ブログ「いらけれ」

帰り道、目の前で、おじいさんに自転車がぶつかる。その時の僕は、本当に偶然に『文化系トークラジオ Life』の「平成で終わりにしたいマナー」Part6を聞いていた。そのなかで柳瀬さんがしていた「愛もいらないし正義もいらない、目の前に困っている人がいたときに、どれだけ親切にできるかだ」という話を、本当に直前に聞いていたのは、神の差配だったのだろうか?とはいえ僕は、この言葉を直前に聞いていなくても、倒れたおじいさんに駆け寄れたと信じたいが。

プライバシーに配慮して、それがどんな事故だったのか、詳細に書くことは控えようと思う。しかし、明治時代の文豪の随筆だったら、見たままを書いて、それが評価されていたのではないだろうか。まあでも、令和時代の一般人の日記には、書かない方がいいこと、書けないことが多い。それは、しょうがないことだ。僕は、僕が書いていいと思うところまで、書こうと思う。

倒れたおじいさんは、起き上がることができないようだった。なので、救急車を呼んだ。けどその前に、近くの駐車場で警備をしているおじさんに、「救急車呼んだ方がいいですかね」と聞かなければ、電話できなかったことは、恥じた方がいいだろう。自分の責任で救急車を呼ぶことに、正直躊躇した。幸い、おじいさんは大きな怪我を負ってはいなかったようだが、そのことは、その時には分からなかったことだし、打ち所が悪ければ、その遅れが命にかかわっていたかもしれないわけで。

ひとつ、これから救急車を呼ぶかもしれないあなたに向けてアドバイス。めっちゃ焦るぞ。住所の書いてある電柱とか、結構見つからないぞ。落ち着くのは無理なので、とにかく場所を教えることに意識を向けよう。目に映ったものを、考える前に口にしよう。

前方不注意でぶつかってしまったらしい、自転車を運転していた人もそこにいたが、どうみても僕の方が怪しい。黒い帽子に、(髭剃ってなかったので)マスクもしていて、遠目から見れば犯人。僕の方が熱心に、膝を突いておじいさんに声をかけたりしてるし。しばらくしてから、おじいさんの知り合いという人が来て僕の隣に座ってくれ、2対1になったので、これで怪しさも少し薄れただろうと、少し安心する。こんな軽口を叩けるのも、おじいさんが大きな怪我を負っていなかったからだ。本当に良かった。

ゴールデンウィークで道が混んでいたのか、救急車が到着するまで10分以上かかった。正座のような格好で、青い空を見上げたら、この時間が永遠に続くのかなあと思った。

少し前に、僕のスマホに直接電話が来ていて、すでに話はしてあったので、到着するや否や救急隊員は、手際よく処置をしていく。かっこいいなあと思った。すぐに警察官と、鑑識らしき人が到着した。「マルモクに同定を~」と、鑑識らしき人が警察官に話して、警察官が僕のところに来たので、僕はマルモクになったらしいということが分かった。見たことだけではなく、電話番号と住所も聞かれ、もしかしたら連絡するかもと言われた。救急車は、すでに発進していた。このやり取りをしている間、ずっとドラマの中にいるみたいな気分だった。それは、ドラマでしか見たことのない光景が、目の前にあったからだと思う。

僕の役目は終わったようだ。その場を離れようとしたとき、おじいさんの知り合いの方や警察官の方から、感謝や労いの言葉をかけられて、もちろんそれが目的ではなかったとはいえ嬉しい。僕もなぜか、「ありがとうございました」と言って帰った。今振り返ると、それは正しい言葉だったように思う。心配する人がいて、助けようとする人がいて、守ろうとする人がいるから、誰かが生きている。だから、僕に何かが起こったとき、僕も助けられるのだと思う。だから、その思いと仕事に対して僕は、感謝したのだと思う。

「家に、警察官が来るかもしれないよ……」と脅かしてから、事の顛末を家族に話す。少し誇らしい気分。結局、数日経っても連絡はなかったけれど、それは大きな事件にならなかったということで、まあ、それはそれで良かったのだろう。