2019514-2019515
(前回までの日記のタイトルが「2019521」となっていたのを、しれっと直しました。きっと、正しいことばかり要求される世界で、もっと間違えたいという深層心理が働いたのだろう。否、ただただ疲れていて、ぼうっとしていたのだろう。)
「渋谷らくご」5日目
5/14(火) 20:00-22:00桂三四郎-全くの逆
古今亭志ん五-大山詣り
雷門小助六-猫退治
立川笑二-鼠穴来場者 62名#シブラク
— 渋谷らくご 5/10~14@ユーロライブ (@shiburaku) 2019年5月14日
三四郎さんは、ずっと大喜利に答えるような新作で、かつ、お題に対する観客の予想を超え続けなければならないようなネタで、非常に難しく大変だと思うのだが、笑いを起こし続けていてすごいなあと思った。師匠のまくらから入った志ん五師匠は構成ばっちりだったし、来月の東村山寄席に出演予定の小助六師匠の安心感も素晴らしかった。東村山寄席、いつも平均年齢が高いので、行くことに怖気づいてしまっていたのだが、やっぱりチケット取ろうかなあ(というか、残っているのだろうか)。
圧巻だったのは、トリを務めた笑二さんで、場を制していた。あの鼠穴、ああいう高座に立ち会えるのは、年に一回か二回あるかないかという感じなので、あの場に観客としていた62人は幸せだ(つまり、自分がその中の一人であったことを自慢しているのだ)。
見たものについて上手く言葉にできない自分に唖然とするが、言葉ではない表現が言葉に変換できるのならば、言葉を読めばよい。ライブレポートは、ライブに行っていない人のためではなく、ライブに行った人が思い出すためにある。これ以上、落語についてはどうにも書けないので、高座の最中に、よくあることだが、時計のアラーム音のようなものが聞こえたときに、まず腕時計を耳に当てた自分を書く。Amazonで1000円の僕の時計には、もちろん音声を出す機構なんてあるはずもなく、自分の行動に驚き、そして、心配性伝説を更新したなと思った。「これが自分だったらどうしよう」などと、周りの迷惑を考えるような人間が、真っ先にストレスで死んでいくのだろう。
とても疲れていたことが、翌日の僕の行動にどのような影響を与えたのか、僕には知る由もない。ストレートに、落語を聞いたことで元気になったのかもしれないが僕は、朝の7時には起きて、それまで出来なかった部屋の掃除をした。ゴミを捨てたし、掃除機もかけた。きれいになっていく部屋には、小さな蜘蛛が住みついていて、物を動かしたことで居場所をなくしたようだ。逃げ惑う様を見る僕。向こうからは、進撃の巨人の、巨人のように見えているのだろうか。知らぬ間に始まっていた共生は、突然ポジティブに、そしてアクティブになった僕の、蜘蛛にしてみればいい迷惑な行動のせいで終わった。
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