ブログ「いらけれ」


洪申豪(透明雜誌) – 生活的答案 / TOKYO ACOUSTIC SESSION

俺は自分に問いかけるんだ
こんな感じで生活の答えを歌えるのかい?

こっちの家に引っ越してきて何年になるか、しっかりと考えれば答えが出るだろう。いつからか、そいつはリビングに居た。昔のことで、はっきりとは思い出せないけれど、気が付いたときには居た。観葉植物だ。

種類も忘れてしまった、"なんとかの木"だ。大きな鉢のなかの土から、すっくりと伸びたそいつは、天井にタッチしていた。日常のなかに溶け込んで、ときどき葉っぱがテレビの画面に被さって、面倒に思いながら手で避けたりしていた。

小学生だった僕も、このように大きくなった。あらゆる偶然のおかげで、ありがたいことだ。緑だったはずの葉っぱは、いつからか黄色味をおびるようになった。病気だったのかもしれないが、そのことについて、家にいる誰も調べることはなかった。そいつのことを助けようとしなかった。ただ、薄黄緑の植物の栄養剤が根元に刺さっていた。僕は、そちらの方が気になっていたぐらいだ。あれ、飲んだら死ぬかな。

木って面白いなあと思ったのは、腐ってきたからと、ばっさり根元の近くで幹を切ったら、少し復活したからだ。その姿で、数年は置いておかれていたのではないか。切った面から葉っぱが出てきて、少し不思議な形になった。興味深く見つめたのは一瞬で、あとは、暮らしの背景になった。そしてまた、元気がなくなっていった。

そいつは廃棄された。もう先がないと判断されたからだ。空いたスペースには、今は何も置かれていないが、寂しいと思うことも、悲しいと思うこともない。ただ、それまでと同じように毎日が続いている。僕は今更、部屋に小さな観葉植物でも置いて、小さな魚でも飼ってみようかという気持ちになっている。それらは、僕と同じように生きていながら、部屋を飾るためだけに、気まぐれに置かれるのだとしたら、結構な悲劇だ。水やるのを忘れたり、エサやるのを忘れたり、絶対するぞ。

僕はふと、あの観葉植物だと思った。この日記が、あの観葉植物のようになってきているのだと、そう思った。いつの間にか背が伸びて、もうなんだか邪魔だ。そして、葉っぱが黄色くなっている。あいつのために、ちゃんと植物のことを調べて、幹を切る以上の手を打ったら、助けられていただろうか。一時は生き延びたとしても、すべてのものには寿命があり、いつか捨てざるを得なかっただろう。

この日記は、いつ捨てればいいのだろうか?