ブログ「いらけれ」

22世紀の地球では、子作りがブームになっています。あるいは、生まれる前の子どもの意思を確認することはできないので、政治的な正しさによって、子どもを作らなくなっているかもしれない。そもそも、「子作りがブームになっています」という表現は、その時代の人間のほとんどが、子どもを作らなくなっているのではないかという予想を含意している。

いけない、また書くべきことから逸れてしまった。都市の持つ多様性に対する驚きは、歩けば10分かからないような距離だとしても、長大なエスカレーターでとろとろと下りていって、わざわざ地下鉄に乗ることに起因している、ということ。

僕の中にある、ユーチューバーに対する拭い難い<猜疑心><拒否感><問題意識>(正しい言葉がどれなのか、さっぱり分からない)……。ユーチューブは毎日見ているし、なんなら好きなユーチューバーもいるんだけどね。なんだろう、ツイッターで有名になっている人を、一度フォローして見るものの、やっぱりうーんってなるような感覚に近いというか。それ以前から、書籍や雑誌などで名前を見ていた著名人との、それはやはり信頼の差みたいなものなのだろうか。まあ、めちゃくちゃ売れている本を書いている著者が、信頼に足るかといえば、決してそんなことはないし、やっぱり僕は、ツイッター上でのどんな発言よりも、発刊された書籍のなかに、歴史修正主義的な文章や剽窃が含まれていたことの方が、大きな問題だと思う。

秋葉原は、たくさんのメイド服を着た女性が客引きをしていて、すげーと思うと同時に、これからどうなっていくんだろうと思う、なんか、ビル二階のベランダみたいなところから、マイクを使って呼びかけているメイドさんもいるし、駅近くのコッペパン屋さんが踊りながら売ってるし(がっつり目が合ったし)、クールジャパン。

僕はしかし、そういうものとはあまり関係がない。でも、パソコンの部品とかプラモデルを売る渋い店が、片隅で営業を続けていられるのは、そういうものが街を潤しているからかもしれないね、知らないけど。こういう、ニッチな場所に行けるのは、首都圏に住んでいる特権だなあと思いながら、プロレスグッズを見ていた。
ごめん嘘、まずは、店内のテレビで流されていた過去の名勝負を見ていた。やっぱりテンションが上がるなあ、この試合。先客には、言葉からは特定できなかったけど、アジア系の国から来たと思しきカップルがいて、何一つコミュニケーションを取ることはなかったけれど、勝手に同志感を覚えていた。ずっと居られるという気分だったが、とりあえず、お目当ての「The Undisputed Era」(なお現在、メンバー同士で仲違いしているっぽい)帽子を探して、見つけて、目の前にブツがあるとやっぱり興奮してしまって、手に取ってしまって、被ったりして、もうちょっとちゃんとWWEを追いかけようと思いながら、レジへ向かった。
途中、僕と同じか、少し若いぐらいの男性が入ってきて、レスラーのフィギュアを選んでいたから、僕の中で、この人も同志ということになった。僕は、Tシャツはもちろん、パーカーとかもかっこよかったので、また来ることにした。あと、マーベル好きな友人へのプレゼントも買えるな。まずは、ちゃんと働いてお金を貯めなくてはと、珍しく、ちゃんとポジティブになった。

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甘かった時間は終わった。すべてが終わったあとにだけ、時間は、全体として振り返ることができる。

電車だ。乗り込んだそれが各駅停車であり、次の駅で急行に乗り換えなければならないことを忘れ、空いている席に座り込んだ僕の、リュックサックに詰め込まれた本は二冊。急行でも座ることができたので、取り出して読む。これは、書いている今では、明日までに図書館へと返却しなければならないもので、まだ読み切っていない。

まずは新宿である。西武新宿駅から新宿駅を通り過ぎて右へ、指定されたビルに向かった僕は、エレベーターを降りた扉の前で、他の被験者とともに開始時刻を待った。実験はつつがなく終わり、謝礼をカバンに入れた僕は、小雨の新宿へと飛び出した、というほどの勢いはなかった。その時はまだ、どこへ向かうか迷っていたからね。

新宿から渋谷までってのは、歩けば1時間ぐらいらしいと、事前にグーグルマップで調べていたから、そうそう、僕は20時開演の「渋谷らくご」のチケットを取っていたので、渋谷にはいかなければならなかったし、15時の今、そちらへ向かえば、会場近くのカフェかどこかで、本をじっくり読むことができるだろう。電車代だってかからないのだ。

熱心な読者諸氏ならばご存じだろうが、僕は大馬鹿野郎なのである。だから?秋葉原へ向かった。プロレスグッズショップの「バックドロップ」が目的地だ。1時間半で着くとグーグルマップが言うから(実際には2時間以上かかった)。「すっぴん!」の月曜日とか、「東京ポッド許可局」を聞いていた。歩き始めは余裕で、都心に暮らしているであろう人々を横目に、思考を巡らせていた。

ミャンマー料理店に次いで、チベット料理店を見た。都会というのは、本当にすごいものである。高架下に、バイクの上で器用に眠る人も見た。「これぞ多様性」というような現実。そうだ市ヶ谷駅は、前の会社の取引先が近くにあって、雑用のために何度か降りた駅だ。外濠は素晴らしい。視界が開けた橋の上で、ここから飛び込んだら、誰か助けてくれるだろうかと考えた。

都市を、ここまで移動したことはなかった。東村山市とは、言うまでもないことだが、やはり違う。東村山駅から1時間歩いたところで、世界観はさほど変わらないだろう。どこまでも地続きで、微妙な変化があるだけだ。
都市は細切れなのだ。住宅街とビジネス街が隣り合っており、たったの数十メートルで、子ども連れのお母さんから、背広組のおじさんに、そこに居る人々が変わる。大学があれば、それに合った店が並ぶ道があり、左側に美しい自然が現れたかと思えば、右側は巨大な道路で車が連なっている。秋葉原に近づくと、あるポイントから、本当に突然、それまでとは違った広告が、ビルに描かれている様を目にすることとなる。べたっとした郊外と、機能ごとに、微細に分節化した都市は、まるで違う国のようだが、一本の線路でつながれていることが不思議だ。

ブログ「いらけれ」

道に車が停まっている。屋根に赤色灯のようなものを付けている。その奥から人が出てきて、スマートフォンで写真を撮り始めた。すれ違いざま、野次馬根性で覗き込むと、車の陰になって見えていなかったが、車が停まっている。しかしそれは、ただの車ではない。そこの家屋の前に植えられている木に突っ込んだ車だ。木が、迷惑そうに傾いていた。この件にかかわっていると思われる3~4人が、話したり電話をしたり、そこに立っている。

帰り道に、もう一度前を通る。そこに停まっているのは、第三の車だ。おそらく、その家の自家用車だ。ぶつけられたようで、ホイールは外れ、傷のようなものがある。やはり、木も少し傾いている。近づいて、僕が一番驚いたのは、道に沿って並んでいたであろうフェンスが、どこにでもある金網が、くちゃくちゃになって木の根元に寄せられていたことだ。

その家に住む人も、通りがかる人も、たまたまそこにはいなかった。本当に偶然。誰かがそこに立っていたら、歩いていたら、その体は、このフェンスのようになっていたのかもしれない。頻発する事故と、それを伝えるニュースを見て、不条理と悲しみを覚えていた僕が、初めてはっきりと、恐ろしさまで理解した瞬間だった。

車に轢かれかけたり、轢かれた人を助けたり、轢かれたフェンスを見たりして事故づいている僕の生活は、それでも淡々と続いて、以前カラオケに誘われていたのだが、その日は朝からローソン巡りで疲れていたから断った友だちと、そのリベンジに学生時代はよく使っていたお店に行ったら、店構えもメニューも、なんならスタッフも変わらないまま、経営母体や店名が変わっていた。

歌うという行為を共有しにくくなっている今、僕が、有名なバンドや歌手のマイナーな曲を歌って、誰の歌か当てさせるという『音楽ガハハ』にかなりインスパイアされたゲームを仕掛けて、そのことで一頻り盛り上がった。楽しくて3時間、そこまでやりこんだことで、このゲームには大きなジレンマがあることに気が付いた。

有名な歌手が好きだというミーハーな人は、音楽を深掘りしないので、その歌手のマイナーな曲を知らず、ある歌手のマイナーな曲まで聞いてしまうようなマニア気質な人は、有名な歌手が好きじゃないし聞かない。

ただし、非常に面白いゲームであることは間違いないので、一回やってみるのは良いだろう。しかし、一回やってしまえば、多くの人が、歌手のストック切れに陥ってしまうことだろう。

そんなこととは別に、ただただ、初期のレミオロメンが好きという話題でも盛り上がった。知る人ぞ知る曲しか入っていない2003メドレーを歌って、やっぱりかっこいいなって感じ入る。「雨上がり」「電話」「日めくりカレンダー」「タクシードライバー」……音楽配信サイトに無いのが悲しい。人類の損失。

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性的地獄 -日本語訳- / 透明雑誌

オーケー、オーケー。完全にコントロールできている。つまり、国籍や人種、性別で誰かを判断するようなぼんくらには数字で反論し、人種や性別に関するある種のデータから、エビデンス至上主義によってなされる差別には文学で反論しなければならないということだろう?文学の問題には根拠、数字で、数字やエビデンスの問題には、自由や平等の理念を語る文学で。そんなことって上手く行くんかねえ……いかんいかん、飛ばしすぎて誰にも理解されんことを書いてしもうた。

無限に書くことはあるのだ。東大和市駅へ向かう間の、まるで東京都内とは思えない風景についてや、とち狂った僕が、その足でグルメシティ(ってなんじゃそりゃ。ダイエーグループらしいよ)立川若葉店に向かったことを書いてもいいだろう。あるいは、その日も僕はマルエツまで歩いて、それから、結構遠回りしてローソンへ、auでもらったツナマヨのおにぎりのクーポンを使いに行った13時ごろ、お弁当もおにぎりもほとんど棚になくて、親に「もらってくるからあげるよ」と言った手前、しょうがないからもう一軒のローソンまで30分かけて歩いて、もちろんそこにもおにぎりはなくて、計2万歩近く歩くはめになったことを。つうかこの出来事、今思い出したよ。そういえばそんなこともあって、途中には、橋のようになっている道があって、その下にはグラウンドがあって、少年たちが野球をしていて、その脇では、出番のなかった控えの子をコーチらしき人がトレーニングさせていて、反復横跳びを繰り返す4人の、真ん中手前の1人だけが遅れていて、今の彼には辛いだけかもしれないが、ちゃんと生きれば、それすらも青春の思い出になるということを、ここからでは、どうやっても伝えられないと思った。夏が来そうな新緑が、目に眩しい。

マルエツまで行くルートには、ほとんど乾いて水のない川沿いに、木や草が生い茂っている道があり、僕は、そのさざめく緑を見ながら、「緑が目にいい」と言われているのは、つまり、緑を見ようとすると遠くにピントを合わせることになって、緊張していた目を緩ませることになるからだと完全に分かって、それで今検索してみたら、確かにそんなことを書いているページが見つかって、なんでも分かりすぎるのは、とてもつまらないと思った。

順調に世界をこなしている僕の、このような日々にも何かしらの意味はあり、たまに面白くなる日記として生きていこう。

(参考リンク:「対談=吉川浩満×綿野恵太 ダーウィニアン・レフト再考 連続トークイベント〈今なぜ批評なのか〉第一回載録」