ブログ「いらけれ」

ふとした瞬間に、すべての記憶が蘇ることがある。それまで思い出さなかったことでも、それでも頭のどこかに、どのような形か分からないがあって、それは、たった一つのきっかけさえあれば、思い出されることもあるのだ。午後3時のファミレス、その時の私たちは、何かのきっかけで学んでいた言語の話になった。

大学2年生の私は、第二外国語であるドイツ語の、特別クラスにいた。特別クラスの講義は、ドイツ人の女性講師が、ドイツ語のみで進行するという、かなり厳しいものだった。教室は、大学入学前からドイツ語を学び、すでにドイツ旅行や、ドイツ留学を経験している陽気な人間と、私のように、ペーパーテストができた陰気な人間に分かれていた。

ある日の講義終わり、クラスのなかで好きに班を組み、5分間の小さな劇を次週までに作ってくるという課題が出された。当然のように、陰気な人間が集まった。班になった4人は、皆が目を合わせることなく、「劇、どうしようか」と探りあった。その時、なかの一人が突然、「一人で台本作ってくる」と言い放った。その男は、呆気にとられている3人を残して、「それじゃ」と言って教室を出ていった。これが、Kとの出会いだ。

Kには、学内に知り合いや友人がいないようだった。また、必要ともしていなかったように思えた。だが、講義と講義の合間に、文芸誌を読んでいた私には、少し興味を持ってくれたようだ。大教室の講義で私と一緒になったKは、隣に座り、話しかけてくるようになった。私は、Kと親しくなるつもりも、じっくり話し合うつもりもなかったから、ひどく素っ気ない態度を取っていたと思う。しかしKは、私の隣に座ることをやめなかった。

その日もKは、私の隣に座った。そして、おもむろに口を開くと、この大学がいかにダメで、講義のレベルが低いかということを、熱っぽく喋り始めた。その勢いは、物静かなKの印象に反するものだった。最後にKは、私に同意を求めてきた。そう思うよね、と。

面食らった。面食らった私が、あいまいに相槌を打っているとKは、「ここにいたら腐る。だから、いつかフランスに留学する」と、真剣な面持ちで大きすぎる夢を語り、勝手に会話を終えた。終えられてしまったから、それならばなぜ、ドイツ語を勉強しているのかということについて、分からずじまいだった。

3年生になると、ドイツ語の講義はなくなり、Kと会うこともなくなった。そればかりか、大学の構内でもKの姿を見かけることはなかった。

Kがフランスに行ったのか、彼のその後については何一つ分からないが、確かに、私の中に何かを残した。残ったものが呼び起こされたから私は、この思い出を文章にして、ラジオ番組にメールで送ったが、紹介されることはなかった。だから私は、それに少し手を加えて、ここでこうして、公開したのだった。

ブログ「いらけれ」

昼間には、お友達とお茶をすることになっていた。ボンクラな僕は、日程がタイトなことを考慮すれば、昨日の夜に書いておくべきだったブログを、珍しく朝にちゃんと起きて、必死の思いで書いていた。

書けた。書けたのだが、なんだか締まらない気も、物足りない気もして、記事の最後に曲を貼るいつもの手法を使うことに決めたが、肝心の曲が決まらない。正しくないことだ、記事の着地点にするためだけに、音楽を利用するのは。正しくなさをそのままに、手当たり次第好きなバンドの曲を聞いて、「まあこれでいいや」と思えた時には、それに乗れば遅刻にならないという電車の出発まで、20分を切っていた。

髪がベタベタだったから、シャワーは浴びなければならなかった。やはり髪は、乾き切らなかった。もう時間だ、僕は走った。駅、そうだ、今日は向こうのホームの電車に乗らなければならない!
急いで階段を登った。心臓が跳ねた。息が上がって、エレベーターで降りた。電車、まだ来てなかったから。少し安心したが、それでも心臓は鼓動を続けて、電車が目的地に着く頃には、額に汗が滲んでいた。

駅で落ち合って、ファミレスに入った。朝に僕は、ブログに書くことを考えながら、冷凍のチャーハンを食べていたので、人生で初めてパンケーキを頼んで、ナイフとフォークを使って食べるのにてこずっていた。デニーズのパンケーキは、添えられたアイスがとにかく甘くて、パンケーキは、幼少期に食べたホットケーキの味を思い出させた。僕が幸せだった頃。母がホットケーキを焼いてくれなくなり、僕が食べたいと思わなくなった辺りで、白くぼやけていた世界の向こうに残酷な不幸があることを知った。それが僕の、パンケーキを食べた印象だ。そして、もう二度とパンケーキを頼むことはないだろうと思った。

創作活動をすることについて話していて、なぜするのか、なぜネットに上げるのか、どうなりたいのかと、どんどん深堀をしたことで、なぜ自分がブログを続けているのかという疑問が立ち上がり、答えに窮してしまう。始める前は、始めてさえしまえば、たちまちたくさん読まれるようになって、次々とリツイートされて、フォロアーがバンバン増えて…という未来を予想していた。今になって思えば、それがあり得ないってことぐらい、分かりそうなものだが。あり得ないって諦めている僕に、ブログを続けさせている第一は惰性の力で、第二は、やめたら二度と復活しないのではないかという恐れだ。あの頃のように、誰かに言葉が届くかもしれないって、真剣に思えるようになるだろうか。ならないならばやはりそれは、続けてきたから続けていくという反復の中に、沈むことになるだろう。


Babyshambles – Fuck Forever
※ちなみに、これが一旦候補に挙がって、結局貼らなかった曲のなかで、最も有力だったものだ。They’ll never played this on the radio!

ブログ「いらけれ」

帰りの電車のなかで、そういえばリュックに入れていたなあと、借りていた本を取り出したら、挟みこまれていた細い紙に書かれた返却期限が明日。ぼんやりと来週ぐらいかなあと思いこんでいたので、本当に危ないところだった。このところ、時間が早く過ぎる。髪を切られている間の面倒な10分と、風呂に入っている間の大好きな10分は、絶対に長さを変えられていると思う、神様に。そんなことより、『電化製品列伝』がマジで面白いので、みんな読んだ方がいいよ(絶版だから、読むまでが大変だと思うけど!)。本当にそうか、読者が疑問に思いかねないギリギリの自説を、断言していく手際がすごい。技術的に素晴らしすぎませんかと、読みながら感心することしきりだ。憧れる(そして、帰宅してすぐ延長を申し込んだ)。

それで、二日前には出来ていたはずの新しい眼鏡を取りに行った。お金も払っていたし、些細な確認だけで受け取りはつつがなく終わった。僕は、その場で新しい眼鏡を掛けて店を出たんだ。それまでと、物の見え方が大きく変わっている。眼鏡やコンタクトを使わない人には、分かってもらえないのだろう。ただ遠くの文字が見えるようになって、ただ視界がクリアになるだけではないのだ。世界の印象が、大きく変わる。流石にこちらでは、「本当に危ない」と思うような目に逢うことはなかったものの、見えすぎる世界に慣れなくて、フラフラしてしまった。

僕の家の最寄り駅、久米川というところは、少しずつの変化を、ここ数年ずっと続けている街だ。それは、肌に感じる雰囲気という文字にしにくいものもそうだが、分かりやすく、周辺の店が入れ替わっている。入れ替わるのはいい、勝手にすればいいと思っているのだが、しかし、駅近くの商店街入口の辺りが、「ドラッグストア、歯科、ドラッグストア、歯科」という狂気じみた並びになっているのは、誰か早くどうにかした方がいいと思う。「馬鹿のシムシティか」と、心のなかでツッコんでいるよ。

見えるものばかりが本当じゃないんだぜってのは、僕も知ってる。
『東京ポッド許可局』の「解散ドッキリ論」を聞いて考えた。「※工事中」でプロレスのことを書いた。感動したのは本当だが、書かなかったことがあった。それは、いわゆる"答え合わせ"までの(時間的な)距離が短くなりすぎているのではないか、ということだった。
“それ"について詳しく知りたい人にとって、いくらでも裏話が公式的に出てくる今は、天国のような時代だ。何が、どこで、どう起こって、噂のどこまでが本当で、どこからが嘘なのかということ、あまつさえその時の心境まで、当人がツイッターで教えてくれたりするわけだ。しかも、質問できちゃったりして。ただ楽しみたい者が、快楽と感動をインスタントに手に入れる世界。想像する余白はなく、当事者の話す正解が絶対視され、すぐ"答え合わせ"されてしまう世界。
これは、良いことばかりじゃないはずだ。良いことばかりじゃないんだぜって、いつも気を付けとこうな、みんな。

ブログ「いらけれ」

最近気づいたことがあって、それは、大半の人の人生が、自分に才能がないと分かってからの方が長いということで、それは僕もそうで、だから泣きながら生きているのだ今は。ずっと考えていたのは『熱量と文字数』のイベント用のネタで、もうすぐ締切だっていうのに一つのシチュエーションも思いつかなくて、深い絶望の底にいた。生まれ持った才能って本当に大事。時間は過ぎて、予定が迫ってきたからしょうがなく外に出た。電車でも考えていたが、それでも何も出てこなかった。花粉症の薬を飲み忘れてきたことを、痒くなった目に気づかされる。いつもの春だった。

予定というのは、ある映画の試写会だった。抽選であたった。言えないことばかりだが、原作者が知っている人だったので楽しみだった。銀座へ行った、会場が駅から遠くて、余裕を見て出たのに、結構ギリギリになってしまった。昼飯を食べるつもりだった。他に入る店もなかったから、はなまるうどんに入った。はなまるうどんのとり天はおいしい。冷たい明太おろししょうゆにも合う。でも、やっぱり知らない店には入りたかった。あと何度ご飯が食べられるのか分からないのだから、初めてのものを食べたいと思っていても、小心が勝つ。

滑り込んだ試写会で、映画のあまりのつまらなさにショックを受ける。金を返せとは、お金を払ってないから思わないけれど、時間を返せとは思った。途中で、周りの人たちに「めっちゃつまんないですよね?」と尋ねて回りたいと思った。隣の人は、いびきかいて寝ていた。僕は、つまらなさのせいで「怒髪天を衝く」という感じで、スクリーンから目が離せなかった。同じく試写で見た『テラフォーマーズ』を思い出した。なんでこういう映画が、大層な予算で作られちゃったんだろうなーと、映画界について思いを巡らせていた。何を見たかは一つも言えないが、それが公開された際には、不満点を語りまくりたいと思ったが、公開されるころには記憶から消しているだろうから、語れなくなっているだろう。終映後アンケートの回答を済ませて、ふと見たら、前席の男の人が「非常に面白かった」にチェックをしていて、「人間の感性!その幅広さ!」と思った。

怒りで興奮していたら、どんどんアイディアが湧いてきて筆が進んだため、メトロに乗っている数分の間にネタが書けた。面白いかどうかは、それは人の感性は幅広いから、僕にはなんとも言えないけれど。一つ間違いないのは、つまらない映画だって役に立つのだということ。それが、僕の脳内に脳内物質を出し、力を引き出してくれるのだから。


「ギルティーは罪な奴」髭

逃げられない
焦ると追いつけない
逃げても逃げ切れない
今トドメをちょうだい