ブログ「いらけれ」

明日返さなきゃいけないってところまで、結局借りた本を読むことはなかった。もったいないと思って、とりあえず2冊借りた内から『機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ』だけは読もうと手に取って、めちゃくちゃ面白くて小躍りする。
いや、終わりの方で、8割ぐらい何言ってんか分かんねーってところもあったから、オススメはしないというか、オススメできるほど理解できなかった。でも、僕と違って頭が良い方ならば、書かれている文章の論理を正確に理解できるだろうし、面白く読めるんじゃないかなって、つまりオススメしてるじゃんか。

書かれている内容のなかでは、「人が機械を支配する」だとか、逆に「機械に人間が支配される」といった単純な理解を越えて、ある機械とある人間が足し合わされたところに、新たな存在が生成されるという視点が新鮮だった。それはつまり、昨今のAI論争みたいなものについても、「あくまでも人間が作ったものなのだから」というような楽観論とも、「AIに仕事を奪われる」といった悲観論とも違って、ある種の目的を持って技術を進歩させようとする人間と、ある種の自律性を持って進歩してしまう機械が出会い、相互に影響を与え合うことによって生まれる、まったく新しい第三の「機械+人間」が、どのようなものなのかを考えなければならないというわけです。

ほらこうやって、書いている自分でも何を書いているのか分からなくなった。だから、難しい本だったんだけど、AIについての分析に際しては、将棋が大きな分量で取り上げられていて、僕は将棋を、ゲームのルールだけではなく、プロの世界の事情、ソフトの進化の歴史を含めて知っているから、将棋を知らない人よりは理解できただろうし、それもあってかとても楽しめた。例えば、「将棋ソフトは怖がらない」というありがちな言葉ですら、ソフトには感情という機能自体が"ない"わけだから、怖がるも怖がらないも"ない"わけで、「人間は怖がる」ということを裏返して、"ない"を"ある"にしているのだという記述一つとっても、僕には得るものが大きかった。

あと、以前からずっと考え続けている「フィクションと現実の関係」についても、『この物語は、実在の人物・団体とは関係ありません』とわざわざ書くということが、逆説的に現実と関係していることを表していて、例えば、フィクションのなかに登場する「T大学」が、現実の「東京大学」を描いていないとしても、一般的な"大学"とは関係があるはずであり、「T大学」が、現実の"大学"と一切関係ないとしたら、何を読んでいるのか分からなくなるだろうというような、本当に思索のヒントとなる箇所もあって、本当に読んでよかったなあと夜中に興奮していた。そして、もう一冊の本を読むことはなく、寝た。

ブログ「いらけれ」

将棋は相手ではなく自分を、麻雀は自分ではなく相手を見ろって、どこで聞いたんだっけなあ。どっちもやる僕としては、この言葉はとてもよく分かる。
将棋の負けパターンというのは、攻めばかり考えていて、「ふう、これで追いつめた」と、あと一手で勝ちだと思っていたら、自分の王様が詰まされて、負けてしまったというようなことが多くて、自分の麻雀のヘタさを実感するのは、自分の手配の組み合わせばかり考えてしまって、他家の手出しや捨て牌が見られなくなっているときで……などと、悠長に書き始めています。こんにちは。しかし、もう午前2時40分なんですよね、2月27日の。
もちろん、この記事は昨日の内に仕上げるつもりだったのですが、飲みにいってしまいました。友人からの突然の誘いがあったので、「2019年2月12日の思い出」で書いた良い店をこちらから提案して、仕事の悩み相談を受けながら、「相談相手として一番適していないよなあ俺」って言って笑ったり、下に書いてあることを話したり、これから先の記事に書く予定のことを話したり、もちチーズの天ぷらに明太マヨがうまかったりしている内に、23時になっていた。日本酒をバカスカ飲んでいたらしく、大きな徳利と財布がすっからかんになった。2軒目に行くかどうか話ながら、地元から離れて働く彼と、変わりゆく街を歩いていたら、0時を越えていた。結局は、2軒目には行かなかったけれど、楽しい時間だった。
そして、0時に記事が公開されたときには、この頭の部分は書かれていなかったわけだが、出かける前にタイトルを「※工事中」としておいたから、準備万端だ。はっはっは。しかし、その状態のブログを読むような、熱心な読者など一人もいなかったのさ!でも、未完成のものを読む人がいなかったということでもあるから、うーん、良し悪し。

いつも楽しみに読んでいる「WWE・海外プロレスのこぼれ話」というブログで、専門用語ばかりで申し訳ないけれど、ガントレットマッチで3人ぶち抜き、消耗してコーナーにもたれかかっているコフィ・キングストンに、対戦相手のAJスタイルズが「休め」と声をかけて、それに「俺は11年間この時を待っていたんだ、俺と戦え!」とキレた一連のシーンが、アドリブだったって話があって、朝からすごい感動する。プロレスって、こういうドラマを越えるリアルが垣間見えるから、最高なんだよなって思った。

そろそろ、転職活動に本腰を入れなければということで、久しぶりに、都の職業支援施設で受けられるカウンセリングに申し込んだ。携帯電話の通話記録を見たところ、1年半ぶりのようだった。独り立ちするためには、仕事も雇用形態も変えなければならない。しかし、なかなか希望にかなう求人はない、受けたいと思う企業もない、というところで、困ったときは人に頼る作戦。少しでも動こうとしなければ、少しだって現状は変わらないのだから、僕は、もうちょっと頑張ってみようと思う。

ブログ「いらけれ」

ボウリングに行ったんだよ。その日は、携帯の機種変更でもしようかと思って、着替えて用意していたら友達から誘われて、もうその日、2時間後にはボウリング場にいたよ。
まずは、併設されているバッティングセンターの打席に入ったんだよ。100kmで始めたけども、意外とバットに当たったのよ。なんで、120kmにしたら、まったく別世界でさ、それでも、目が慣れてきたら打てるようになったよ。「自分ができる」ということに、こんなに驚いたこともないってくらい驚いたよ。あと、気づいたら大声ではしゃいでいて、ちょっと恥ずかしかったよ。
平日のボウリング場は、ガチなシニアの方々や、家族連れや学生の姿があったよ。もちろん混んでいるわけではなかったけれど、思っていたより賑わっていたよ。始める前は「5ゲームセット」にするかどうしようか、バッティングで疲れたから5ゲームもやらないだろう、とりあえず3ゲームやれば元をとれるから、なんて話していたけれど、余裕で5ゲームやったよ。途中、左手のみで投げるとか、遊びのゲームもあったけれど。
8ポンドで十分なほど腕の力がなく、また、その子ども用?の穴に入るほど手が小さい僕。筋力がないのは、昔からだよ。1ゲーム目は感覚が分からなくて、2ゲーム目にその日のベストを出して、あとは疲れてスコアは落ちるのみという、ボウリングあるあるだったよ。ベストは110で、あとは80とか60とかだったよ。
球を投げるという簡単なことですら、思い通りにならなくて、また、当たったピンの跳ね方は運も大きくて、全体的にじれったいんだけど、でも時々は狙ったところに投げられて、ストライクが取れたりする感じが、ボウリングの魅力なんだなあと実感したよ。
空いているレーンの上のスコア表示の画面には、いろんなMVが流れていて、そのなかにGRAPEVINE「すべてのありふれた光」があって、「おおっ!」と一人テンションが上がっていたよ。
帰りには、ストラックアウトとか、それのテニス版のやつとかもやったよ。ピッチングのコントロールには自信があったんだけど、0枚抜きだったよ。ただただ野球がやりたくなったよ。計3時間ぐらいだったから、もう外は暗くなり始めていたよ。それで疲れたから、家に帰ったよ。
問題は次の日というか、次の次の次の日ぐらいまで続いたよ、筋肉痛。終わった直後は、指先が痛かったけれど、それはすぐ治った。右腕はずっと痛いよ。あと、寝て起きるときとか、立ち上がるときに、脇腹の変なところが痛いよ。たぶん、普段使わない筋肉を使ったからだと思うよ。でも、楽しかったから、また行きたい。

ブログ「いらけれ」

その日の昼間は、野球のオープン戦を流しながらブログを書いていた。スワローズの若手野手たちの活躍に気分を良くしていた。打つ方はいいんだ、守る場所が足りないってぐらい逸材が揃っている。問題はもちろん投げる方で、次の日に行われた試合では、新戦力のピッチャーや期待の若手がボコボコにやられていた。
夕飯を食べて、外に出た。風が強く吹いていて、とても冷たかった。真っ暗な街だったし、僕は僕だった。
外に出たのには理由があった。ずっと聞けていなかった「314 熱量と文字数 【19年2月のヲタ・与太・編集室】」を聞くためだ。部屋で聞けばいいじゃないかって?小心者の僕にそれは無理だ。歩いて気を散らさないと、聞いていられなかったんだ。
番組が始まった。その時は、新しいクラスで自分の自己紹介を待っていたときのように、早く番が来て、早く終わってほしいと思っていたけれど、トークを聞くうちに、そういった緊張感は薄れていった。「オタク心をくすぐる番組の話、メールを送ればよかったなあ」と思ったり、そういえば、イベントのチケットをまだ買ってなかったから、帰ったら予約しなければと思ったりしていた。※帰宅後にすぐ申し込みましたよ。みなさま、八木橋百貨店でお会いしましょう。
心は落ち着いてきた。けれど、赤になった交差点の信号の前で立ち止まると、足が震えている。ビックリする。本屋に入っても、西友に入っても、足は震え続けていた。もう家に帰っちゃおうかとも思ったが、まだメールが読まれていなかったから、遠回りすることにした。そうしたら、すぐに読まれた。
メールは、ボケたところをすべて拾ってもらって、嬉しかったしありがたかったし、出演者のみなさんの温かさを感じた。ただ、肝心のネタのところは、もうちょっと上手く書きたかったなあと思った。午前5時のテンションで書いていたから、しょうがないとはいえ、人に読んでもらって初めて気付く瑕疵もあったし。……そんなことを思いながら、自分だけがその先に話されることを知っているラジオを初めて聞いて、ニヤニヤしながら歩いていた。このお兄さんとすれ違った人は、さぞかし気持ち悪かったことだろう。

これが、「いぬのジョン」が生まれた日の記録だ。ヒストリーの1ページ目だ。要するに、むしろ「やってやる」という気持ちになったってことで、そして、このように僕の状態は変化していったというわけだ。おそらく僕は、誕生してしまったこの歴史の続きを、必死に書いていくのだろう。そのことに今、とてもワクワクしている。