ブログ「いらけれ」

早くも5回目ですかー。2月17日に、「デモクラシーCafe@東村山」に参加してきました(会のブログはこちら)。うららかな日和の暖かな午後、今回の場所である「喫茶にじのまど」さんまで、歩いていきました。歩いたといっても、家からはかなり近かったのですが。「喫茶にじのまど」さんの存在は知っていたものの、男一人で喫茶店に入るタイミングもなく、これまでは前を通りがかるだけだったのですが、今回お邪魔してみて、とても良い雰囲気だなーと思いました。吾妻ひでおの『失踪日記』、『失踪日記2 アル中病棟』があって「おおっ!」と思ったり。良い雰囲気のおかげか、会での対話も盛り上がったものになりました。こうやって、普段は入らなかったりする地域のお店を知れることも、この会の大きな魅力ですね。お店には、いつか必ず一人で伺おうと思います。

さて、今回のテーマは「問いを作って対話する」ということで、参加者全員が話したいハテナとして持ってきて、その場で挙げられたものを見ながら、今回はどれをテーマにするのか、前半で議論しました。
挙げられたものはどれも面白そうで、それだけでかなり盛り上がりましたし、話してみたいと思うテーマも多かったです。平等についてや、男女別のトイレについて改めて考えてみるというような、意外なテーマまで、そのまま流してしまうのはもったいないという話になっていたので、いつか取り扱われることもあるかもしれませんね。
ちなみに、僕が何をテーマとして挙げたかですが、「模範囚物語」と書けば、読者の方(そんな人はいない!)なら分かるかもしれません。つまり、フィクションをどう取り扱うのかという合意が得られていないのだ、ということを、まずは明らかにするべきなのではないか?というようなことを、一行にまとめたものにしました。これも、面白がってもらえたようで、いつかテーマにしてもらえるかもしれません。その時がきて、そこに参加できていればいいなあ。

選ばれたのは「深く考えると幸せになれるの?」というものでした。
「考えること」と「幸せ」は、まったく別なもののようですか、人の幸福というのはかなり主観的なもので、つまり、深く考えることによって、自分が不幸せであるという思い込みから、別の視点を与えることによって逃れることができたり、しかし、考えることが得意そうな哲学者や文学者が、思い悩んで心を病んだり、自殺したりということも多かったりするわけなので、思考と幸福というのは難しい結びつきをしていると言えるでしょう。「自分は幸福だと感じる/感じない」という単純な二分法のなかにいることが幸せなのか、「幸福について考える」というメタな態度が幸せにつながるのかというのは、とても深淵なテーマのようにも感じますね。
しかし僕は、一つ間違いないことを、対話のなかで見つけました。それは、「(誰もが)深く考えなければ、(誰もが)幸せにはならない」ということです。誰もが他者が幸福になるように、自分の損得を越えて考えるようにならなければ、自分の損得ばかりを考えている誰かによって、私が幸福になることを妨げられてしまうでしょうし、逆もまたそうでしょう。つまり、本当に私たちが問うべきなのは、「私たちが幸福になるために、私たちは、どうすれば深く考えるようになるか」ということなのではないか、というのが、とりあえず僕が持って帰ってきた結論でした。

会の後には、ちょっとしたミーティングのようなものもあり、そこでの会話も楽しかったですし、今回も参加者の方と個人的な感想戦をさせていただいて、とても充実した一日となりました。こういう日が、月にもう一日あると嬉しい。なので、本当に「後藤主催の会」を作るかも……?と、予告して今日は終わります。

ブログ「いらけれ」

絶対に正しくて、絶対に間違いのない私が言うのだから、あなたはそれを信じるだけでいい。忘れていたことを思い出した。7時半と9時に鳴るスマートフォンのアラームと、スヌーズ機能を無視して、11時まで寝ていた私は、休みの日には目覚ましをかけないことにしたら、9時には自然と目が覚めた。つまり人間というものは、目覚ましに頼らずに起きた方が良い生き物なのではないだろうか。休日である今日は、12時になっても布団の中にいた私が言うのだから、間違いないわけがない。

音楽を聞いていたのだ。街を歩く僕は、音楽を聞いていたのだった。スネオヘアーの「フィルター」や、FoZZtoneの「Rainbow man」を、頭で意味を追って音楽を聞いている僕は、日本語ので歌ってくれれば、感動しやすいようだった。言葉の意味は、網膜からの情報を加工して伝えた。ただの団地が、世界の真実を語っていた。16時過ぎの空が、19世紀の画家が残した絵画の背景のようだった。世界の中心には僕がいて、音楽は、完璧に奉仕してくれていた。

二つ並んだ自転車の後ろには、子どもを乗せる座席が付いている。井戸端会議をしている彼女たちは、お互いがお互いに手振りを駆使して何かを伝えていた。僕は、イヤホンをしていたから、その会話の内容を捉えることが出来なかった。その時、図書館での出来事を思い出した。図書館ではイヤホンを取る僕は、その場に居合わせた。小さな女の子を連れたお父さんが、娘の嬉しそうな笑顔に向けて、言葉をかけた。「読み甲斐がある本が見つかって良かったね」というようなことだったと思うが、僕の耳が言葉をキャッチして、いたく感動したことは覚えているのに、正確なところを忘れてしまった。書き残さなかったことを後悔した。どんなことも、覚えている内に書くべきだと思った。

靴流通センターには、500円の変な素材の靴とかある。買おうか迷ったけど、変な素材だからやめたけど、2000円の靴は買ってしまった。キャメルっていうの?つうか茶色。人生で初めての茶色の靴。バッグを買ったときに、すでに一度店員さんに声を掛けていたから、「出ているのしかないですか?」と、スムーズに聞けたから良し。そのモデルの在庫は無く、陳列されているものしかなかったものの、サイズはぴったりだったから良しとする。その場でアプリをダウンロードして、8パーセントだったか割り引かれたのだから、この一日は、神に感謝しなければならないほどだ。


【歌詞つき】Rainbow man (live ver) / FoZZtone [official]

人には話してない
昔の事思い出し
揺れるよ
rainbow man

ブログ「いらけれ」

物欲が壊れた、あるいは、財布のひもが緩んだ、ないしは、消費でストレスを解消したかった。それとも、明日明後日とイベントがあったから?

僕は、いつも通りイオンに行った。休みだったから。肩掛けカバンは体に、というか肩に悪い気がしていたから、小さめのリュックを買った。3000円ぐらいの。お金があるわけではないが、とりあえず、再来月までは死なないだろうから。

それまで使っていたボロボロの肩掛けカバンをリュックに入れて、背負って帰るためには、タグを切らなければならない。行こうかやめようか迷って、意を決して、レジに戻ってタグを切ってもらう。ただそれだけ、声をかけるだけのことが大きなプレッシャーで、勇気を振り絞らなければならない人間がいるんだっていうことを、少しでも伝えられればと思って、これを書いている。
リュックを入れてもらっていたビニール袋もリュックに入れて、背負ってみるもののしっくりこない。肩紐が短い気がする。背中に対して位置が上すぎるような、背中の大きさに対して小さすぎるような気がする。デザインは気に入っているのだけれど、どうも似合っていない気がして、道端にあるガラス窓に写る自分の姿を、何度も確認してしまう。小学生のコスプレみたいになってやしないか。滑稽な姿なのではないかと、そわそわする。すれ違う高校生に、買ったばっかりで新しいこのリュックと、君のそのリュックを交換してくれないかって、声を掛けたいと思う。

その日は、他にも回収しなければならないものがあった。auスマートパスの抽選で当たったスイーツ。ローソンのプレミアムロールケーキと、ファミリーマートのバウムクーヘン。ローソンまで20分かけて行って、20分かけて戻ってきて、久米川駅前まで歩いて西友に寄る。実は、イオンに行く前に靴をチェックしていたのだ、僕は2000円の、あの靴を買うのだと思って売り場へ向かった。安靴は、そのままそこにあったが、サイズをチェックするのを忘れていた。26.5cmは、僕の足には大きい。売り尽くしで安くなっていることもあって、違うサイズの在庫は無いようだった。一応、少し離れたスーパーセンターまで行って、靴を見てみたが、安くもなかったし、デザインもイマイチだった。一番近い大きな靴専門店は、隣の駅の方だ。遠いよなあと、グーグルマップで経路を検索してみたら、歩いて20分で着くという。その時点で、もう歩数は1万2000歩にまでなっていたし、ロールケーキとバウムクーヘンがリュックに入っていたけれど、僕の運命は決まった。僕は、東村山駅の方面へ歩き出した。


Daniel Kwon -A Tiger’s Meal

ブログ「いらけれ」

子どもに夢を聞く意味はあるのだろうか。すでに夢を持っている子どもには聞くまでもないことだし、その多くが夢破れる運命にあるとしても、内に秘めておけばいいだけのことだ。そして、何よりも罪深いのは、夢を持っていない子どもが、悪いことをしているような気持ちや、あるいは劣等感を抱くようになることで、だから、名を成した人のインタビューで「子どものころは夢がなかったけど、○○に出会って……」と、そのことがトラウマ的に語られることになる。成功者はそれでいいとして、子どものころに夢がなかった者の多くが失敗し、そこには敗北感だけが残った。

土曜日には、「平成最初の僕たちだけがおもしろい特殊ゲーム会」に行ってきました。一応、初回からすべて聞いているリスナーとはいえ、ガチ勢リスナーの方々に混ざることはちょっと申し訳なくて、しり込みしていたのですが、とある縁があってお誘いいただいたので、勇気を出して参加しました。
生仁尾さんと生あららさんを見るのも初めてで、とてもドキドキして座っていたのですが、めちゃくちゃ楽しかったです、行ってよかった!
音声を録音していて、ポッドキャストで配信もされると思うので、あまり内容について詳しいことは書かないですが、これまで番組内で遊ばれてきて、ずっと聞いていたゲームを実際にやってみると、とても難しかったです。それでも、個人戦の方は30点以上取れたので(と言われても、その場にいなかった人には、良い点数なのか分からないと思いますが)、悪くはなかったですが、チーム戦の方では、全然貢献できなかったのが心残り。でも、参加されていた方々の、スーパープレーがたくさんあって、盛り上がれて楽しかったです。
また、おみやげがいっぱいもらえたのも嬉しかったです。内容もデザインも素晴らしい冊子や、かわいい鉛筆(!)をいただけて、作る大変さも容易に想像がつくだけに、そのサービス精神に頭が下がる思いでした。
でも、とにかくそのようにずっと、サービス精神たっぷりでポッドキャスト配信を、お二人とスタッフさんで続けてこられたからこそ、あれだけの人が集まって、あれだけ良いお客さんばかりで、あれだけ楽しいイベントになったのだろうなあと思いました。
そして、壇上のお二人が、トークで客席を大爆笑させている姿を見て、かっこいいなって、ちょっぴり羨ましいなって思いましたとさ。

本当は、春が近づいていることを、そのように書けるはずだった。しっかりと目は痒くなり、鼻水も出るようになったけれど、外はビックリするほどの寒さだ。ノースフェイスの緑の薄いジャケットで出かけたのは失敗だった。小平駅まで、夕方の墓地を歩いた。僕は、あまりにも一人だった。でも、今日も明日も、僕には会う人がいた。それに、傍らには歌があった。ささやかな幸福と希望があった。もっとささやかな未来もあった。上を向いて歩こうと思った。


GRAPEVINE – Our Song

もう二月のニュースも 「雪が降った」て告げた どこでさ?
春はもうちょっと 先の事でしょ? あれま もうすぐかい