見えすぎる世界
帰りの電車のなかで、そういえばリュックに入れていたなあと、借りていた本を取り出したら、挟みこまれていた細い紙に書かれた返却期限が明日。ぼんやりと来週ぐらいかなあと思いこんでいたので、本当に危ないところだった。このところ、時間が早く過ぎる。髪を切られている間の面倒な10分と、風呂に入っている間の大好きな10分は、絶対に長さを変えられていると思う、神様に。そんなことより、『電化製品列伝』がマジで面白いので、みんな読んだ方がいいよ(絶版だから、読むまでが大変だと思うけど!)。本当にそうか、読者が疑問に思いかねないギリギリの自説を、断言していく手際がすごい。技術的に素晴らしすぎませんかと、読みながら感心することしきりだ。憧れる(そして、帰宅してすぐ延長を申し込んだ)。
それで、二日前には出来ていたはずの新しい眼鏡を取りに行った。お金も払っていたし、些細な確認だけで受け取りはつつがなく終わった。僕は、その場で新しい眼鏡を掛けて店を出たんだ。それまでと、物の見え方が大きく変わっている。眼鏡やコンタクトを使わない人には、分かってもらえないのだろう。ただ遠くの文字が見えるようになって、ただ視界がクリアになるだけではないのだ。世界の印象が、大きく変わる。流石にこちらでは、「本当に危ない」と思うような目に逢うことはなかったものの、見えすぎる世界に慣れなくて、フラフラしてしまった。
僕の家の最寄り駅、久米川というところは、少しずつの変化を、ここ数年ずっと続けている街だ。それは、肌に感じる雰囲気という文字にしにくいものもそうだが、分かりやすく、周辺の店が入れ替わっている。入れ替わるのはいい、勝手にすればいいと思っているのだが、しかし、駅近くの商店街入口の辺りが、「ドラッグストア、歯科、ドラッグストア、歯科」という狂気じみた並びになっているのは、誰か早くどうにかした方がいいと思う。「馬鹿のシムシティか」と、心のなかでツッコんでいるよ。
見えるものばかりが本当じゃないんだぜってのは、僕も知ってる。
『東京ポッド許可局』の「解散ドッキリ論」を聞いて考えた。「※工事中」でプロレスのことを書いた。感動したのは本当だが、書かなかったことがあった。それは、いわゆる"答え合わせ"までの(時間的な)距離が短くなりすぎているのではないか、ということだった。
“それ"について詳しく知りたい人にとって、いくらでも裏話が公式的に出てくる今は、天国のような時代だ。何が、どこで、どう起こって、噂のどこまでが本当で、どこからが嘘なのかということ、あまつさえその時の心境まで、当人がツイッターで教えてくれたりするわけだ。しかも、質問できちゃったりして。ただ楽しみたい者が、快楽と感動をインスタントに手に入れる世界。想像する余白はなく、当事者の話す正解が絶対視され、すぐ"答え合わせ"されてしまう世界。
これは、良いことばかりじゃないはずだ。良いことばかりじゃないんだぜって、いつも気を付けとこうな、みんな。
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