ブログ「いらけれ」

微生物を食べる魚ってすごいなって、『ごはんジャパン』かなんか見て思ったんだよ。小さすぎて目では見えないものを食べるってどういうことなんだろうって、小学生になってラジオの電話相談に送りたいぐらいだ。でもさ、そもそも目で見えるものだったとしても、食べるってすごい行為だよね。生き物の口はいつできたのだろう。「食べたい」と思ったから口ができて、消化できるようになったのだろうか。生き物って不思議って、本当に小学生みたいなことを考える。


サイゼリヤだった看板は、店が移転したことで真っ白になった。僕は、おでんみたいだと思った。お腹が空いていたのかもしれない。

花粉症患者の僕は、生きることが単純に困難。自分が外に出ていなくても、持ち込まれた花粉で、鼻水は止まらないし、目は痒いし、何だか熱っぽくなる。薬を飲めば眠くなる。書く態勢を作るという、ただそれだけのことが難しい。自分の文章が、僕にとって正確な表現なのかどうか分からなくなってしまう。今週の『東京ポッド許可局』の「スープカレー論」で、マキタさんが「まず自分のコンディションを疑ってみない?昨日寝た?」って言っていたけれど、本当にそういうことだと思う。例えば、一刻も早く働かなければならない状況に追い込まれていた去年の僕が、それでも2月から4月まで職探しを一切していなくて、そのことについて働き始めてから、「あの時間、何していたんだろう俺」なんて思っていたのだが、これは花粉症に力を持っていかれて、余力が無かったからだろう。辛かったということを記憶しておけないほど、辛かったのだと思う。だから、そんな日々のなか生きているだけでも、僕が偉いと思う。


名前の分からないものが、たくさん空き地に置かれていた。僕は、生き物の群みたいだと思った。あと、若干のジブリ感があった。

ブログを書く人として、お金にならないままずっと続けて、ブログを書く人として死んでいくなんて、思いもよらなかったことで、自分でもビックリしている。人生は思い通りにならないことの連続だ。
どれだけ書いてもお金になっていないことについては、もちろん忸怩たる思いを抱えている。でも、お金儲けが上手くない人が大半の世界で、お金儲けが上手い人が書いた文章が、お金儲けの上手くない人を救えるだろうか、お金儲けが上手くできないような人生下手の言葉が、同じような人生下手の苦しみを緩和したりはしないだろうか、と思う。
それだけを頼りに、道を作るようなつもりで書き続けている。


花が咲いている。僕は、梅かなと思うが、詳しくないので分からない。季節が春に近づいているのは確かだ。

中央図書館は工事中で、2月中はずっと休館していた。それを知っていた僕は、萩山図書館に着いた。それから一時間、しかつめらしい顔をした僕がそこにいた。