ブログ「いらけれ」

「ヤクルト石井琢朗コーチの珍練習再び。ボールではなくバットが飛んだ」
このバット投げ練習が新聞やネットの記事になる時はいつも、この投げられているバットは折れて使い物にならなくなったもので、それを再利用しているのだと説明されていた。新品のバットを使っていると、誰から文句を付けられるか分からないと思っているからだろう。
でもさ、野球の試合では、ボールが根元に当たって、バットが折れるなんてざらにあることでしょう?試合で折るのは良くて、試合で活躍するための練習で折るのはダメ、ということなのだろうか。それに、お金を出して買ったものなのだから、煮るなり焼くなり、投げるなり勝手にすればいいと思うのだけど。……と、ここまで読んで説得されそうになった人も、これが炊き立てのご飯を投げる練習だったら、顔をしかめると思う。松本人志が、糸井重里との対談で、似たようなことを言っていて(「帰ってきた松本人志まじ頭。」)、これを読んだ高校生の僕が、それなりに納得して、仲の良かった先生にその話をしたら、「お前は世の中のことが何も分かってない」って諭されて、その時にはなんでって思ったけど、今では先生の言いたかったことも分かる。
炊き立てのご飯を食べずにぶちまけることより、カロリーの摂り過ぎで太っている僕のような人間が、もうお腹いっぱいなのに、あとで排泄するだけなのに、無理して食べることを良しとするような心性、それはお供え物のおはぎを食べられなかったり、お地蔵様にいたずらできなかったりするような心のあり方というのがあって、それを理解することの方が、「ご飯を、食べるのとは別の使い方をしたとしても、お金を出して買ったんだからいいでしょ?」というような考え方を持つことよりも、よっぽど大事なんじゃないかと思う。

電線。電線に巻かれた青いカバー。青い電線が空に溶けている。溶けた電線に止まった鳥は、羽ばたくことなく空に留まっていた。3月9日にも歌われていた白い月の下で生きていた。太陽光でさえも、そのエネルギーを変換して使おうとする人間。ソーラーパネル畑の日陰で休む猫が、鋭い目つきでこちらを見ていた。傍らには、水の入った青い皿が、地面の青いシートに溶けていた。僕は歩いて、その場を離れた。家に帰らなければならなかった。生活を続けていくのだと思った。そのために、やらなければならないことが頭を擡げるとき、この曲に恥じないようにしたいと思った。

LIBRO【MV】とめない歩み

家に着く頃には
全てひっくり返したい
眠りにつく頃には
何にも考えない