ブログ「いらけれ」

デモクラシーカフェが終わって、その日は、感想戦を行うことなく帰ったが、でも、とても充実した気分だった。ここまでの言葉は、裏のないものとして、額面通り受け取ってほしい。月曜日の仕事から始まって、僕には珍しく、一週間ずっと予定があった。嫌だったのは、就職活動と仕事があった4日間だけで、他の3日は、お友達とおしゃべりしたり、落語見に行ったり、イベントに行ったりと、とても楽しく過ごした。

ただし、ここのところ散歩に行けていなくて、少し歩数が足りてないかなあと思っていたので、家でご飯を食べたあとに、健康のためにと、暗くなってから外に出た。昼間に比べれば、だいぶ冷たくなった空気が、とても心地よかった。

その時、胸に広がった充実感は、言葉にできないほどだ。「言葉にできない」と、言葉にするしかないほどの幸福だった。それは、それまでの予定をやり遂げたからではなくて、一人で散歩に出たからという理由によって。僕は、僕の何たるかを知った。どんな楽しいことよりも、それがどれだけ楽しくても、夜の大きな霊園に、一人でいることに、充実感を感じてしまう人間なのだ。だとしたら、僕という人間は、出来損ない以外の何なのだろう。

そこで思い出したのは、デモクラカフェの来月4月のテーマだった。「友だちってなに?」。僕に、真に"友だち"と呼べるような関係の人がいたことなんて、一度でもあっただろうかと、考え込んでしまう。"友だち"と、胸を張って紹介できる人なんて、僕には、できなかったのではないだろうか。みんな、後藤さんのことが嫌いで、"友だち"だと思ってないんじゃなかろうか。そしてそれは、僕が、みんなを"友だち"だと思ってないことが、みんなに伝わってるからじゃないだろうか。

物心ついたときから僕は、ずっと一人だと感じてきたし、それは今もそうだ。人混みでも、クラスでも、家庭でも、初めて彼女と向かい合ったときだって、孤独だった。誰かに分かってもらおうなんて、さらさら思ってないのに、「誰も分かってくれない」と甘えている。そこには、僕が一人だった。耳には、いつも通りイヤホンをしていた。

星野源「ばらばら」

気が合うと 見せかけて
重なりあっているだけ
本物はあなた わたしは偽物

この曲だと思った。スマートフォンで再生して、思いがけず泣いた。世界は、そしてぼくらは、ひとつになれないのだ。そのままに、どこかにいくしかない。でも、それは希望でもあって、重なりあったところは、紛れもなくたったひとつのものだし、ばらばらのまま、どこかにいくことはできる。

なんて、「友だちってなに?」について、後藤さんは涙を流しながら考えました。なので、「分かる分かる!」とか、「その考え間違ってるよ!」とご意見のある方、あるいは、そんなに言いたいことがなくても、人の話を聞くだけでも大丈夫なので、テーマが少しでも気になるという方は、デモクラカフェに参加してはいかが(詳細はこちら「4月のテーマ 友だちってなに?」)?……という、長たらしいお誘い文でした。

ブログ「いらけれ」

はいみなさん、こんにちは。今月も、「デモクラシーCafe@東村山」に行ってきましたので、そのご報告をいたします(会のブログはこちら「3月はこんなことをしました」)。僕は17日の方に参加しました。

「哲学カフェのつくりかた」と題された前半部では、哲学カフェの歴史や特徴、哲学カフェとはどのようなものか、スライドを使いながら教えていただきました。実際に会を進行する場合のコツや、テーマ設定の方法といった、かなり実践的な内容も含まれていて、「やはりこれは、哲学カフェを開催するしかないのでは……」と、かなり真剣な顔で、食い入るようにお話しを聞いていました。

(しかし、哲学カフェだけじゃなくて、将棋の会とか、読書会とか、東村山で作りたいなあとは思っておるのですか、イチロー選手でも「人望がない」というくらいですから?僕なんかは、もう、ねえ。会をスタートさせるまでの、たくさんのハードルをどう超えていくか、どうやって人を集めるのかというところを、考えねばなあと、まずは。)

後半部では、「質問」についての入門的なワークを通じて、相手の考えを理解すること、そして理解するためにはどう質問していけばいいのかを学びました。その場でも指摘を受けたのですが、僕が、誰かの話を聞いてから、それを受けて質問する場合、どうしても「今、○○と言われていましたが、××ではないでしょうか」と、反論というか、詰めるような言葉づかいになってしまうことが多い。

この日、僕にとって一番の学びとなったのは、相手の考えを理解するとは、相手のassumption(前提、そもそも)を理解すること、という言葉でした。相手が(半ば無意識のうちに)前提としていることを、問いかけによって浮かび上がらせるためには、問い詰めるようなやり方ではなくて、気持ちが通い合うような表現方法を身に着ける必要があるのだなあと、反省し、勉強になりました。

他にも、「前提をどこまで掘るのか問題」については、「自分と相手が分かれていく分岐点を探る」というお話しがあったりとか、質問をしたときに意外な答えが返ってきたら、そういった驚きは大きなヒントとなること(それは、自分が無意識に前提にとしていることの発見にもつながる!)など、興味深い内容が盛りだくさんでした。

哲学カフェのなかだけではなく、人生のすべての場面において、相手の前提を理解することは大事で、そして、おそらくその先には、相手にこちらの前提も理解してもらって、違いを認め合うということが目指されるべきで、そこに近づいていく第一歩として、非常にためになる会だったなあと思いました。