ブログ「いらけれ」


【歌詞つき】Gloria(live ver) / FoZZtone[official]

苦しみは それ自体が目的のような
フリをする お人好しは死んでいるようだ

(承前)その後は、ほっといていたんだよ。それで、気分よく過ごしていた。「AQUOS sense2」は、安さに見合ったパフォーマンスって感じだけど、ゲームとかやらない僕にとっては、それで問題なかったし。なにより、さすがに二年使ったスマホより、だいぶバッテリーが持つなあと、感動していたし。

ほっといていたのは、面倒くさいのもあったし、実際、まだ新しいスマートフォンでは、インストールできてないアプリとか、ログインできてないサービスばかりで、整理が終わってなくて、画面を開く度に引っ越し直後の部屋みたいだと思う。段ボールにつめるように、アプリは、とりあえずフォルダに収めてある。それと、月末に登録申し込みをしたんで、できれば無料期間を月初にスタートしたいという思いもあって、どういう契約になってるのかイマイチ分からないが、一応、Apple Musicアプリは3月から使い始めようとしたのだが……。

ここで、もう一度auに問い合わせることになる。アプリを開いても、「auからの登録はありません」というメッセージが表示されてしまい、手順を進められないのだ。しかし、もちろんauのサポートは役に立たなかったどころか、電話口の相手が、遠隔でスマホの画面操作をしていたのだが、明らかな誤操作をして、「これ、違うと思うんですけど」と、こちらが説明する始末。待たされ待たされ、もたもた画面を操作され(自分でやりたい……)、一通りの対処をしたところで、結局、「電源を切ってみて(SIMを挿し直してみて)」と、「それでもダメならAppleに問い合わせて」という、屁の突っ張りにもならないアドバイスをいただいた。それだけだった。

Appleに電話する。auに電話したときも「サービス向上のために録音させていただいています」って音声が流れて、その時も思ったけれど、やっぱり監視されているようで息苦しさを感じるし、後からいろいろ言われるだろうサービスセンターの人を不憫に思ってしまう。もちろん、センターの人を理不尽なクレームや強迫から守るという意味もあるのだろうが。

Apple先生のサポートは、なんか言葉使いがフランクでビックリする。若干の馴れ馴れしさ。症状を伝えたところ、「初めてのケースなので、時間をくれ」と言われた。その後、Apple側からauに電話をかけたようで、会社同士でのやり取りに発展したらしい。つうか、そういう連絡は事前にやっとけや、と思わなくもない。折り返しの電話までもらったが、ここでも、事態が好転することはなかった。

「auに確認したところ、申し込みが適用されるのに一週間かかるというから、待ってみてくれ」と言われたが、だったら、auに電話したときに、「こちらの登録は済んでいるから、appleにその旨を伝えてから相談してくれ」と断言されたのは何だったんだ?それに、ツイッターなどでは、機種変更して即使えている人もいるようだぞ?

絶対に、どちらかが間違っている(か、スマホの不具合?……仕組みが分からないので、原因も分からない)はずだ。登場人物が馬鹿しかいないよ。なんで、こういう不幸ばかりが俺に起こるんだよ。このことで頭がいっぱいになって、マスクをつけ忘れて家を出てしまったよ。こんなことに、休日を4時間ほど費やしてしまったよ。

もう怒りを通り越して、どうでもいいやって思っている。そして驚くべきことに、そう、この問題は決着がついていないのだ。果たしてどんな結末を迎えるのか……ご期待を乞うほどでもないが。

Gloria 悟りそう Gloria もう悟りそうだ
Gloria 嵐の中 Gloria 心は凪いでいた

ブログ「いらけれ」

壊滅的である。そもそもが、Twitterに流れてくる流行りのnoteなどを見るにつけ、何の教養もなく知識もない自分に苛立ち、ブログを書くという気持ちの著しい減少に見舞われており、どうでもよくなっていた真っ最中だったのだ。そして、先程まで東京ドームで行われていたオープン戦で、相手チームのエースにきっちり抑えられ、4番にきっちりサヨナラホームランを打たれたことも、少しは影響しているのだろう。ああ、嫌だ。

携帯電話の機種変更をしたのは、先週の火曜日だった。これから始まるのは、本当にただの愚痴である。読んでいて、面白いものではないだろう。しかし、心が壊滅的な今は、それでもいいと思ってしまっている。ちなみに、登場人物はauとappleである。

ショップでの手続きに、想定していたよりも時間がかかったことは、こちらから、不明点を尋ねた部分もあったので、納得している。そのせいで、周りの飲食店のランチが終わっていたことと、髪を切る暇がなくなったことも、仕方のないことだ。「故障紛失サポート」というオプションが、何の説明もなく付けられていたのも、まあ良しとしよう。壊すと手厚く補償されるようなので、壊すように使うつもりだ。わざわざメールが来ていたので、「誕生日月の人には、プレゼントがあると聞いたのですが……」と、スタッフに声をかけたら、「全部捌けたんです」と言われたことが、一番腹立たしかった。「もれなく」って書いてあったから。もれたから。

でもまあ、流石にここまでならば、寛容な私なら忘れてしまうようなことだ。問題は、機種変更と同時に申し込んだApple Musicの無料サービスだった。

まず、auショップでの申し込み時に、こちらも説明をされなかった。家に帰って、もらった紙袋を探ったところ、契約書などと共に利用開始の手順が書かれた紙を見つけた。だが、手順の最初に書いてある「届いたSMSのURLから……」の、SMSが来ていないので、お問い合わせに電話をする。

ただこれは、SMSで届いたURLでなければならないというわけではなくて、よく見れば、手順の紙に「こちらからでも手続きが出来ます」と、QRコードが書いてあったし、auの公式サイトのヘルプにも、URLが記載されていた。だから、これは私のうっかりだったわけだ。しかし、それならば「SMSが届いてないんですが」という電話口の私に対して、すぐにそのことを教えてほしい。そういった対応を、サポートには期待しているわけだが、相手から出る言葉は、状況自体が分かっていないのではないかというもので、若干不安になる。『調べたところ、Apple Musicの申し込みは済んでいる、だから使える』というようなことを、過剰な敬語で話す相手に対して、「だから、申し込めていたとしても、URLがないと始められないのですが」と、ややキレ気味なってしまう。なんとか状況を説明し、URLを送ってもらうところまで漕ぎ着けたときには、長すぎる音声ガイダンスと、オペレーターに接続するまでの待ち時間も合わせて、15分ほどかかっていた。(続く)

ブログ「いらけれ」

何を、どのように書けばいいんだっけなあ。始めから終わりまで、忘れた。『熱量と文字数 感謝祭』のチケットを発売している「ローチケ」の、「ロ」のロゴが大きくて、ずっと「お、オー?ゼロ?」と分からなくて、もちろんこれはカタカナのロだったって、そんなことか?それとも、チケットの予約の有効期間が三日ぐらいしかなくて、他に行ける日がなかったから、遠くにあるローソンまで無理して行って、やっぱりローソンにはローソンを家の近くに作ってほしいと思ったこととか?かわいい女性の店員さんが、チケットを見てどう思ったんだろうと、店を出てから考えたこと?
そんなことより、図書館に行って1時間近く悩んだことを書きたい。ローソンはもういい。『機械カニバリズム』が良い本だったから、余計に分からなくなってしまった自分の欲望。ありきたりな小説の書き方本を借りてしまうところだった。誰かが読む本を決めてくれたら楽だ。教養の無さにクラクラするのは、これまでの読書量があまりに少ないからだ。どれから手を付ければいいのか分からないから、どれにも手を付けられない。死にそうな苦しみのなかから救ってくれたのは、長嶋有だった。好きな作家の本を、読み逃していてよかった。『電化製品列伝』を借りて、命からがら逃げだした。危ないところだった。
交差点では、人間に星を付けるのは良くないことだと思う。人間に点数を付けて評価するのは良くないことだと、みんなが思っているから、「あなたは星3つ」とか言わない。でも、飲食店に入ったら、誰もが店員の接客を評価していると思う。ときには、ネットで点数付けたりするでしょう。つまり、人格を点数で評価するのは憚られるけれども、機能で切断された人間や、ある役割が被さった人間ならば、私たちは容易に点数を付けるのだ。とか言って、これは昔からそうで、勉強の能力をテストで測ったりするし、面接とか人事評価の場面では、人格的な部分にまで踏み込んで点数化したりしてるかもしれない。そういう人間の世界が嫌だ。
それで今日の昼間は、親とサイゼリヤに行って、真面目な息子みたいだった。キッズメニューの裏に描かれた2月の間違い探しが、難しすぎて、食べている間もずっと探していた。サイゼリヤが開店して半月で、もう3回来ているという親も、最後の一つが見つからないと言っていた。もう帰る時間になったから、最終手段としてググってしまった。間違いに丸が付けられているサイトで正解を見たが、どこが間違いなのか一瞬分からなかった。親に教えたら、「あー」と声を上げていた。間違いは、分かったら、なぜ分からなかったか分からなくなる。それから一人で散歩に行って、表札に書かれていた「春雄」という名前が良いなと思う。絶対にできないが、息子ができたら付けたい名前だ。ただ、"雄"はちょっと強いから「春央」でどうだろう。今日は、花粉症の症状が比較的軽い。家に着いて、仕事を少しだけして、夕飯はマックで、その残りのハンバーガーを食べながら、書いているのが今。まだカレンダーをちぎっていない3月に、僕は善処していくつもりだ。


植田真梨恵「FAR」MV

見えないものが見えている間
見えてるものは見えなくなっちゃったんだ

ブログ「いらけれ」

微生物を食べる魚ってすごいなって、『ごはんジャパン』かなんか見て思ったんだよ。小さすぎて目では見えないものを食べるってどういうことなんだろうって、小学生になってラジオの電話相談に送りたいぐらいだ。でもさ、そもそも目で見えるものだったとしても、食べるってすごい行為だよね。生き物の口はいつできたのだろう。「食べたい」と思ったから口ができて、消化できるようになったのだろうか。生き物って不思議って、本当に小学生みたいなことを考える。


サイゼリヤだった看板は、店が移転したことで真っ白になった。僕は、おでんみたいだと思った。お腹が空いていたのかもしれない。

花粉症患者の僕は、生きることが単純に困難。自分が外に出ていなくても、持ち込まれた花粉で、鼻水は止まらないし、目は痒いし、何だか熱っぽくなる。薬を飲めば眠くなる。書く態勢を作るという、ただそれだけのことが難しい。自分の文章が、僕にとって正確な表現なのかどうか分からなくなってしまう。今週の『東京ポッド許可局』の「スープカレー論」で、マキタさんが「まず自分のコンディションを疑ってみない?昨日寝た?」って言っていたけれど、本当にそういうことだと思う。例えば、一刻も早く働かなければならない状況に追い込まれていた去年の僕が、それでも2月から4月まで職探しを一切していなくて、そのことについて働き始めてから、「あの時間、何していたんだろう俺」なんて思っていたのだが、これは花粉症に力を持っていかれて、余力が無かったからだろう。辛かったということを記憶しておけないほど、辛かったのだと思う。だから、そんな日々のなか生きているだけでも、僕が偉いと思う。


名前の分からないものが、たくさん空き地に置かれていた。僕は、生き物の群みたいだと思った。あと、若干のジブリ感があった。

ブログを書く人として、お金にならないままずっと続けて、ブログを書く人として死んでいくなんて、思いもよらなかったことで、自分でもビックリしている。人生は思い通りにならないことの連続だ。
どれだけ書いてもお金になっていないことについては、もちろん忸怩たる思いを抱えている。でも、お金儲けが上手くない人が大半の世界で、お金儲けが上手い人が書いた文章が、お金儲けの上手くない人を救えるだろうか、お金儲けが上手くできないような人生下手の言葉が、同じような人生下手の苦しみを緩和したりはしないだろうか、と思う。
それだけを頼りに、道を作るようなつもりで書き続けている。


花が咲いている。僕は、梅かなと思うが、詳しくないので分からない。季節が春に近づいているのは確かだ。

中央図書館は工事中で、2月中はずっと休館していた。それを知っていた僕は、萩山図書館に着いた。それから一時間、しかつめらしい顔をした僕がそこにいた。