ブログ「いらけれ」

夜の九時半に書き始めている。終わったと思ったろ、俺。もう少しやるぞ。もちろん、俺は俺のことが手に取るように分かるし、このブログのアクセス数だって、完璧に把握してしまっているわけだから?そりゃ、落ち込んでいるのも知っているが、俺は怪文書きとして、あるいは頭のおかしな人として、生きていかねばならないのだから。
追記:十一時には書けました。いいかげんな仕事をして、書き終わりました。これを最後まで読んでしまった人の気持ちを考えると、慙愧に堪えないですね。

人生で初めて、一日に二回、行きと帰りの電車で、席を譲ってしまった。一回目のベビーカーを押すお母さんには「すぐなので」と断られたけど。
基本的に、電車で席を譲ろうが、頑なに座ろうが、黙って席を立とうが、どうでもいい小さなことだ、どれもね。でもまあ、声を掛け合って、お互いにハッピーになるならそれでいいじゃんって思う。これは"思想抜き"の話で、そっちの方がいいなら、そっちの方がいいというだけの、同語反復的なお話し。
当たり前だが僕も、どうしようもなく辛いときは、譲れないかもしれないし、何かに怒っているときは、そんな気持ちになれないかもしれない。だから、他の誰が譲らなくても、それはその人の事情があるのかもしれないし、どうでもいいことで、自分ができる範囲でいい方を選んだほうがいいってだけなわけでね。
しかし、こういう風に考えられるようになって、声をかけられるようになっただけで、人として少しはマシになったのかなって思う。おいちゃんも、いじめたり、いじめられたり、ゴリゴリの反抗期とか、バリバリの不登校とか、いろいろやってんのよ。だからさ、どうにかなるもんなんだなって思うし。

「289 熱量と文字数 【長濱博史のアメコミヒーロー映画論】」
そうそう、その電車の中で、これを聞いて笑っていた。「でも、心には何か残ってんだよ」、「控室でボコボコにしてくれた」、「徹夜で考えたとしたらどう思います?」とか、監督の名言が多すぎるう。やっぱり、この過度な熱さや本気が、クリエイターには必要だよなあ。

1日だったから、こんなことを書いている。1日だったから、これから挫ける誰かのために書いている。1日だったから、掛かっているカレンダーを一枚ちぎって、フランクフルトの景色が壁に開く。某新聞のカレンダー。あらゆる宗教団体と僕は関係がない。

またアンケートを始めてしまった。アンケートに答えると、一円がもらえたりするやつ。Amazonでお金を使ってしまっているという焦りが、なぜかこちらで埋め合わせをしようとするという、おかしな方へ行ってしまった。
やっていて面白かったのは、年齢を問われると、一度「25」と打ち込んでしまうことと、職業を問われると、一度「無職」にチェックをつけてしまうこと。意識は変わっていても、無意識は変わっていないということか。僕は26歳のアルバイターだよ。どうすんだよ、本当に。

ブログ「いらけれ」

鼻から吸った息が、やる気に変わるのを待ってる。強めに作った水割りも、早くやる気に変われって思うけど、少しも執筆は進まずに、ただ少し酔うだけだった。

ブルボン小林『ぐっとくる題名』を読んでいる。
読んでいて、ボンコバさんの書くものを読むといつも感じることだけど、自分の気持ちに素直だなって思う。というのも、僕なんかだと何かに触れたときに何かを思ったとして、「他の人も同じ感想なのか」とか「自分の感想が外れていないか」とか考えて、時には検索までしてしまう。ボンコバさんは、自分が思ったことを素直に書いているように見える。もしかしたら考えと違うことを書いていることもあるのかもしれないけど、少なくとも読んでいるかぎりにおいては、誰がどう思っているかとかどうしたら受けるかとか、そういう皆の顔色を伺うようなことをしていないように見える。誠実ってそういうことだろうし、だからボンコバさんの文章が好きだ。
すごいなって思うのは、本当は強引なことを言っているのになんだか納得させられてしまうこと。「~だと思えてくる。」とか「~のような感じがする。」って書いてあると、遠くの方に「ん?」と思う自分が間違いなくいるんだけど、なぜか自分も同じことを思っているかのようになって「うん。」とうなずく自分が勝ってしまう。テクニックってそういうことだろうし、だからボンコバさんの文章には強さを感じる。
それで、おそらくこの二つは相互に関わりあってお互いに効果を高め合っていると思うんだけど、それをあなたに納得させるように書くほどのパワーは僕の文章にはないのだ、今のところは。

つか、9月じゃん。よく生きたよ、オレ。

このサイトにも、僕の好きな人に原稿書いてもらいたいなー。しかし、「原稿料 相場」でググってほしいけど、お金のないアルバイターには難しいよなー。でも、物書きの人はそれで生活しているわけだから、安くお願いするのは失礼だしなあ。PVで収益が出てるわけでもないので、完全に自分の趣味として、いやでもお金を払えば、(おそらく)自分の好きな人に文章を書いてもらえるんだから、それはそれで夢のある話な気もするなあ。お金がたまったらお願いしてみようかなあ、ダメもとで。CDを買うみたいに、書籍を買うみたいに、コラムを(書いてもらうという形で)買えたら面白いだろうな。
そうそう、これから毎月、CDと本を買っていこうと思っていて(実は、服とお酒も買っていこうと思っていて)、来月の候補は、CDだと洪申豪『bored』です。「YESASIA」というサイトで買えるっぽいことが分かったので。でも、使ったことのないサイト怖いなあというのもあり、まずはPayPalの使い方を覚えることからかな。本は、保坂和志『小説の誕生』かな。小説論三部作、とりあえず早く読まなきゃ。

様々な文体で書いている。それは確実に、仕事に役立っていると思う。でも、一向に文章が上手くならない、上手くなっていないと感じている。まずは文体を作って、同じように書く練習をしたほうがいいのだろうか。書くことがつまらなくなりそうだから、できればしたくないのだが。しかし、このやり方で読者が増えていないわけで。少し考えなければ。