ブログ「いらけれ」

「2018/08/18 今日のボイスメモ」
わたくしのやっているポッドキャスト番組「ボイスメモを公開する。」が、昨日更新されました。蝉がうるさいですが、聞いていただけますと嬉しいです。とはいえ、今回はリハビリみたいなものなので……次回に期待だ!(なお、次回の予定は未定)。ただ、番組内で言っていることは本気で、このサイトに文章を載せたいという方がいればなーというのは思っています。もし書いてもらえるなら謝礼を、とも考えていますよ。どなたか名乗り出てください……!!

上述のポッドキャストでも言っている通り、仕事上のいろいろなこと、職場で起こるあれこれを、社会勉強だと思って生きています。基本的には「やめマン」(辞める気マンマンの略。僕の造語)だけど。だって、嫌なことばかり起こるのだもの。辛くない人生がほしい。
とにかく、交通費が出ないとか、残業代が出ない、残業時間が長すぎる、時給が基準以下など、レベルはさまざまでも、とにかく最低限のラインを守っている会社に入るだけで大変なのです、今の時代。まず、ちゃんとした休み時間があり、その時間にも給料が払われるだけで、素晴らしいことなんだよ。こうなってんのは、最低限すら守らない会社が多いからで、だからこれから会社に入る人(学校を卒業して就職することを、絶対に「社会に出る」とは言わないぞ)には、気を付けてほしいと思うし、僕も次はまともな会社で働きたい。いや次のためにこそ、せめて最低限をくださいっていう運動をすべきだろうか……。

あらゆるネガティビティが鈍色。予め決められた一日の、予定された狂気。あるいはその反対に、私が叫ぶ自由。それから少しずつ獲得されていく、獲得されていくべき幸福や未来の可能性について、考える23時の電車内。不定のリズムで走る狂気の溜まった箱。瞑想からのみ得られる自由と、少しずつ失われていく時間がそこにはある。ポケットから取り出した、この指先が実現する悪態。画面に表示される、連なる言葉が裏返る瞬間があって、だが、それは決して祈りではない。疲れているのでもない。諦めそうになっているだけだ。振り返れば、一足飛びで手に入れようとしていたのかもしれない。明日のことは分からない。だから、もう一度、なすべきことのためだけに生きることを望む。

あらゆるシーディーの、最後の曲とボーナストラックとの間のブランクを埋めるためだけに、あるいはそのブランクを取り除き分割するためだけに法律を作りたい。だって、スマホに取り込んで、ランダムで聞く時に困るんだもの。最後の曲も、ボーナストラックも、結構いい曲だったりすんのにさー、10分無音が挟まって1トラックになってたりするとさー、ほんとやめてーって思う。かといって、自分で編集すんのは面倒だしなあ。”アーティスト”のみなさんは、どういうつもりでああいうことをしてるんでしょうか。あなたはイラっとしたことはないんでしょうか。そして、なんとかする術はないのでしょうか。ないのでしょうな。

ブログ「いらけれ」

昨日は、時間がない中で頑張って書いたので(「『未来のミライ』を見た」ですね)、基本的にはそちらを読んでください。そんな毎日毎日、力のこもった文章なんて、お金をもらわないと書けない8月半ば過ぎなのです。
それで、「夏 終わり いつ」でgoogle検索したら、「9月23日日曜日」と表示されたので、まだ一か月は夏が続くかもしれません。いや、でもまあお盆(お盆がなにか、そういうのにめっちゃ縁遠い僕はよく分かっていないんですが)が終わったら、だいたい夏が終わっていく感じがあるけど。夏が終わったと思ったら、「終わった」って、また書きます。

野球の実況で、大きく開いていた点差が縮まったときによく「試合が分からなくなりました!」って言うのを聞く。だけど、その時点で分からなくなるということは、分かったと思っていたときには分からなかったことだから、分かったと思っていた推測が間違いだったわけで、その前からずっと試合は分からなかった、試合のことを分かっていなかったということだ。

「リバプール、やってるサッカーも、スカッドもエグイな……でも、中盤から前3枚はいいけど、ただ、バックスがね~。それに、このリーグにはシティっていう化物チームがいるからなあ。」なんていうと、ちょっとサッカーが分かってるっぽいかもしれない。分かってるっぽいだけの、こんなライトなファンでも、プレミアリーグの行方は楽しみ。

なぜ続いているのか分からないが、なんでか続いているから書いている。僕は今、詩が書きたい。嫌なことに対して、それを我慢してしまうことに対して、あるいは脳内にかかった霧。でも、言葉が出てこない。苦しいと「声」が出せないこと、それ自体が苦しい。

僕はけっこう強烈な「フィクションで何を書いてもいい」論者で。よく例に出すけど、『大脱走』は、刑務所からの脱走を肯定しているから駄目、『模範囚物語』を作りなさいみたいなこと、道徳の教科書みたいなストーリーを書きなさいとか言われても困るし。でも、ヘイトスピーチを肯定的に描かれていたら嫌だな、とか、この前書いた(「巻き込んだ風に押されてく」)プロパガンダについても、やっぱり嫌というか、ダメだと思うものはあるわけだし、新興宗教の勧誘や「洗脳」に使われているフィクションに対して、身構えるところはあって。でも、冷静に考えれば絶対ダメな「殺人」を肯定的に描いている作品なんて一杯あるわけでしょ。要するにケースバイケースってことなんだろうけど、それが一番難しい。ポジティブなメッセージならいいかといえば、ポジティブな正義の気持ちで、人が人を殺すこともあるし。

コラム「後藤の超批評」, 映画

これをいつも読んでいるあなた、もしくはこれに偶然出会い、これから読むあなたが感じている/感じるかもしれない感覚について、つまり文章を読むことによって引き起こされる感情について、書き手として、それまでよりずっと意識的に考えるようになった。その感覚とは、巷間「退屈」と呼ばれているものだ。きっかけは、映画を見て「退屈」を感じてしまったから。その謎について、考えている。

ブログ「いらけれ」

先週『カメラを止めるな!』を見たように、仕事終わり、時間はギリギリだし、疲れていたけど、『未来のミライ』を見に行った。新宿の、あのゴジラの東宝に。上演時間を少し過ぎて入ったスクリーンは、客席数が少なく、劇場のサイズが小さくて、少し不安になった。大きいところで掛けても人が入らないという判断をされているということだから。座って間もなく、場内は暗くなったけど、すぐに映画が始まるわけではなく、あまりにつまらなそうな実写映画の、つまらない予告を長々と見る羽目になった(アニメであるエヴァと、ペンギン・ハイウェイと、フリクリは面白そうだった)。
これから、映画がつまらなかったって話をする。ただ僕が『未来のミライ』を見て思ったことのほとんど、例えば『となりのトトロ』の影響(お父さん似すぎ!逆ネコバス!)は宇多丸さんのラジオの「ムービーウォッチメン」でも指摘されていたし、くんちゃんが未来ちゃんにいたずらするシーンの前に見せる顔が、奈良美智さんの絵に似ていると思ったのだが、その類似は、(同じシーンを指しているか分からないが)タニグチリウイチさんがツイートしたりしているわけだし、さらに映画評として、批判的なものならば小野寺系さん「小野寺系の『未来のミライ』評:いままでの細田作品の問題が、作家的深化とともに表面化」、肯定的なものなら添野知生さん「この夏必見!『未来のミライ』【連載】添野知生の新作映画を見て考えた(1)」の文章がある、その他にも多数の映画評やレビューがあるわけで、僕の言うことなんて誰かが言っているだろうし、ちゃんとしたものは、ちゃんとしたものを読んでほしい。だって僕は、細田守監督作品は『時をかける少女』と『サマーウォーズ』しか見ていないし、見たはずの映画も、あまり覚えていないのだから。
……なんつって、詳しい感想が読めるのは、明日なんですけどね。期待していてください!

「ナッツがいい」と聞いたので、ダイエットのために買った味付き落花生が美味い。体重は、そりゃあビタイチ落ちない。

読んでた本にイエロージャーナリズムが出てきた。詳しくはググってほしいわけだが、インターネットの出現によって似たような状況になったという話は、聞いたことあるかと思う。で、真に驚くべきというか、悲しむべきというか、それは二つの新聞が争うことによって質が低下したように、いくつかのサイトが争うことによって、インターネット上の言説の質が低下しただけではなく、それに引きずられるように、新聞、テレビ、ラジオといった他のメディアの言説の質も低下したことだ。このことから、「新しいメディア」が作られるたびに、世界の言葉が汚れると言えるのか?は、よく分からない。