ブログ「いらけれ」

「夏を語るを語る。」で名前を出したから、ジジェクのことを調べていて、それで、彼がウォール街でしたスピーチが翻訳されたものを読んだんだけど、先日来読んでいる大澤真幸『可能なる革命』の序章と、同じ話がいくつか出てきてビックリした。本の方が後なわけだけど、文章中でも言及されてないし、注釈にも出てないのは、どういう理由によるものなんだろうか。まったくの偶然なのだろうか。僕が教養がないから分からないだけで、当たり前すぎて言わないだけなのだろうか。

「辺境ラジオ」が更新されていた(もちろん!ここで話されていることのすべてに同意するわけじゃないよ!)。4月以来だったから、4月からこっちのニュースを振り返ってるんだけど、それを聞きながら、やっぱりこの国は頭がおかしいんじゃないかと思った。頭のおかしすぎるニュースそれ自体が面白かった。頭がおかしい人たちが偉くて、問題を起こしても咎められるわけではなく、また問題が拡大再生産されるって、なんか、笑うしかないね。

カルーアミルクは飲みやすいけれど、それだってアルコールだから、知らないうちに酔っているらしい。飲んですぐ寝たら、熱っぽくて起きた。午前4時くらいだっただろうか。それからだらだら、インターネットなんかを見ていたら、窓が変な色をしている。どうやら朝焼けが、とてもいい感じらしい。とりあえず帽子をかぶることによって、身支度のほぼすべてを済ませ、朝5時の街に出かける。
朝焼けはもちろん素晴らしかったし、景色は美しかったのだけれど、なによりも気温と湿度が、風が、無人の気配が、そのすべてを含む空気が完璧だった。この季節の、この日の、この時間に起きていた人しか感じることのできなかった空気だ。このひどく込み入った時代と、僕を取り巻くあらゆる煩雑な出来事が、遠のいていくようだった。今のために、生きてきたのだと思った。
日の出直前の時間や日没直後の時間は、写真などに自然を美しく写すことができるから、「マジックアワー」といったりするけれど、大きなカマキリが逆さまに柵にしがみついていたり、道にみそだれのパックだけ落ちていたりしたから、あの時だけ僕は、本当のマジックにかけられて別の世界にいたのかもしれない。


我に返る(Live) – Nohtenkigengo

出かける前にツイッターで見かけて、とても良かった。僕は、Nohtenkigengoと、ダニエル・クオンと、毛玉の新しいCDが出るのを、死ぬまで待っているから。ここで待っているから。