ブログ「いらけれ」

この前の土曜日、日記を書きながらではあったものの、初めてユーチューブではなく、TVKで『ヨーロッパ企画の暗い旅』を見た。「ワンナイト100円フィーバー3の旅」は、"谷回"と番組内では言われていたけれど、すごろくの演劇への偏見がすごい件とか、変なマスのせいで「世にも奇妙な物語」みたいになってしまった場面とか爆笑で、とても面白かった。土曜日の楽しみが増えた。よかった。

「受け手を信頼する」と言う。「受け手を信頼する」という言い回しがある。「受け手を信頼する」と言うためには、自分が受け手になったときに、間違えて受け取っていないという確信がなければならない(自分が間違えてばかりで、どうして他人を信頼できるというのか)。
人間には、それぞれに固有性がある。それぞれの経験がある。知識に欠けがある。先入観がある。だから、そこに書かれているものを、そのまま読むということですら、実はとても難しい。でも、普段はそんなことをすべて忘れて、偏見も何もない透明な存在として、作品を受け取っているつもりになっている。
そういった"自信過剰"から目覚めて、距離をとってしまう私のような人間は、受け手を信頼などせず、どのように受け取られても仕方ないと諦め、自分が納得できるか否かに、すべてを懸けている。

本当は、受け取り方に正解/間違いはあるのか、作者が設定した答えが正解なのか、といった難しい問題も考えなければならない。

思いの外、事実は柔らかく、真実は固い。起きたことは変わらないはずなのに、たった一つの情報(それは嘘でも構わない)を加えるだけで、人々のなかで事実の形が変わる。人々のなかにある真実というものは、信じるということは、根拠のあるなしを超えている面があるから、いくらそれが誤りであることを説明しても、形を変えない。
真実の話は何一つ面白くない。真実を語る言葉は、こちらが同意していない根拠薄弱な前提に基づいて進められ、「私はこう思う」という信仰の告白で終わるからだ。真実を話す人には色気がない。迷いやためらいのない態度は、人間らしくないからだ。
人間のなかで凝固した真実に、どのように対抗していくのかが、これからのテーマだ。どうすれば、真実の破壊者として生きることができるだろうか。そのための武器を。

ウイスキーをドクターペッパーで割るとおいしいのは、ドクターペッパーがとても甘いからなんだな。バカみたいな文章。


高橋徹也「テーマ」

なんという朝日
俺はまた生き延びた

ブログ「いらけれ」

ボーっと考え事をしながら移動。人間の記憶には、カタログ的なものと、物語的なものがあるのではないかと思いつく。それで僕は、カタログ的な記憶力が本当にないなと思う。いや、テスト前日の暗記とかは、それなりに覚えられるんだけど、残しておけないというか。同級生と話していて、遊戯王とかポケモンのたくさんのキャラクターを忘れないでいることに、いつも驚かされる。僕もやっていたはずなのに、全然覚えていないなあ。
僕が記憶しているのは、家に遊びにきた友だちが、僕のゲームボーイを操作して、ポケモンの裏技を使って、どれかのポケモンのレベルを100にしてくれたけど、それまで無駄な努力をしていたみたいで、虚しい気持ちになったこととか、マンションの駐車場で、数人の友だちとポケモンのフィギアで遊んでいたんだけど、そのなかの「ロコン」というポケモンのことを、何度も「コロン」と言い間違えて、最後まで正せなかったことだ。
頭の中にあるのは、色の付いた像としての一場面と、大まかなエピソードだけ。日記に書くときは、記憶の像を仔細に見ていきながら、物語の隙間を埋めている。綺麗に整えられた思い出は、実際にあったことでも、完全な作り事でもなくて、その間にある。

未来を記録したビデオテープが山積みになっている。一日一日、それを見ている。

例としてポケモンが出てきたのは、もしかしたら最近、ユーチューブでゲームの小ネタ集みたいな動画ばかり見ているからかもしれない。そのなかには「ゲームあるある」を紹介するものがあって、よくRPGで、「はい」と「いいえ」の二つの選択肢が出てくるんだけど、結局「はい」を選ばないと物語が進まない、というネタがあった。
言われてみれば、確かに何度か見かけたことのある演出だが、深く考えたことはなかった。なぜか、ゲームとはそういうものだと納得していた。しかし、こうして取りあげてみると、なぜわざわざ無駄な入力をプレイヤーに強いるのか不思議だ。
僕の頭程度で思いつくのは、ゲーム内の選択を、例えば、姫を助けに行くことを、操作しているキャラクターではなく、プレイヤー自身が決断したのだと思わせるための、一つの仕掛けとして作られているのではないか、というものだが、それならばなお、何度「いいえ」を選択しても同じ反応が返ってくるばかりで、お話が進行しないというのは、それがプログラムに従って動いているゲームであることを、強く意識させるものであるはずだし、自分の選択ではなく、ゲームに選択"させられている"ことを、感じさせるものであるはずだ。
僕には分からないような意図で、選択肢が作られているのだろうか。それとも、(僕のように)あえて「いいえ」を選ぶような天邪鬼は無視して、ゲームが作られているのだろうか。調べると面白そうなテーマだ。

ブログ「いらけれ」

飲み物でも取りにいこうと立ち上がったら、部屋の壁に濃い灰色の虫がいて、近づいてよく見たら、それは天道虫だった。同じ虫でも、ゴキブリだったらそうはしなかっただろうが、ティッシュで優しく捕まえて、窓の外に放した。

世界は分岐して、「併存」しているわけではなかったようだ。なにせ、普段通りのアクセス数に落ち着いてしまったのだから。それでも、別に悲しくはないというのは、決して強がりではない。あなたが読んだかどうかは分からないが、昨日「思い出が向かい側」を書き終わったとき、根拠のない手応えを感じたからだ。
予め書こうと思っていたのは、もっと別のことだった。しかし、目の前の文章を書くことに潜り込んだら、書くという行為に導かれるかのように、新たなイメージが次々と湧いてきた。覚えていたことが驚きであるような記憶が蘇った。
けれども、子どもの頃の思い出を書くことによって、読み手のノスタルジーを喚起しようとするのは、安易な手法であることも分かっている。
家から東村山駅に向かう途中の釣具店は、おそらく道路の拡張計画のために、移転することになった。時代がついた佇まいの店舗に「移転しました」という張り紙がしてあって、僕は、一抹の寂しさを感じていた。数日後、たまたま移転後の釣具店の前を通りかかった。とても綺麗で、おしゃれな店構えだった。
あの「一抹の寂しさ」は、僕の内にある「ノスタルジー欲」が生み出していた。ノスタルジーの切なさは、とても気持ちのいいものだから。物も出来事も、古くなってしまえば、ある美しさを獲得する。今そこに生きている人や、過去そこで苦しんでいた人を置き去りにして。だから、郷愁が作り出す感動には、用心し続けなければならない。

牛乳パック、三ヶ月に一回ぐらい、間違えて逆を開けようとしてしまう。あと、スマホにイヤホンを刺して使っていると、プラグのところがすぐに壊てしまう。「そのままでいいの?」案件だよなあ。なんか解決法がありそうなものだけど。

今日は手応えがなかった。自分でお店をやるんだったら、そこで落語会を開くのもいいな。夢物語すぎて、実現性に乏しい。とりあえずカフェでアルバイトして、どのくらい儲かるものか、感覚を養うべきだろうか。とにかく、ものを知らないってのは罪深くて、無知は失敗への道につながっている。大きなことを一人でやるのも難しいから、グループを作るのもいいって、そもそも「頭痛派」ってそういうコンセプトで、現在メンバーが僕しかいないということは、それは無理だということなのか。なんだろう、これ。現実が動かないから、妄想を書くしかないのか。現実は、どのように動かすのだろう?

ブログ「いらけれ」

用もないのに生きてしまう。金縛りにあったみたいに動けないけれど、それでもまだ、生きてしまう。時間の足音さえ聞こえないというのに。
物を考えると、頭の後ろ側が痛くなる。金曜日は労働があるばかりか、数を数えたくないほど大量のアンケートが送られてくる。あと、一週間の疲れ。
小学生の頃、一緒に階段を降りている友だちの背中を、押したらどうなるだろうと、ふと思った。押してみたくなった。押してしまった。このエピソードにおける僕の役割は、背中を突かれた友だちだ。
そこにある悪との、ある種の取引さえ許さないような、一切のダーティーさを認めないような、あまりに幼稚な考え方は、いずれあなたの首も絞めるのではないだろうか。
手作りホットドッグを噛んだら、魚肉ソーセージだったのでぎょっとした(魚だけに)。(食べさせてもらっている立場だし、なにより美味しかったから)もちろん、文句などあるはずがない。麦茶だと思ってめんつゆを飲んでしまった時の、あの驚きがあっただけだ(そのように間違えたことはない)。
なによりもまず人望がない。友だちがいない。校舎の外にある石のらせん階段で足を切ったあの時のことを思い出す。もしかして、気が付いていなかっただけで、いじめられていたのかな。
上級生の女子が二人、僕の前を降りていた。そのうちの一人に衝突した。「謝りなよ」って言ったもう一人が、僕の足を見て絶句した。運が良いわけはないが、その階段は運良く保健室にもつながっていた。友だちに肩を借りて、何とかたどり着いた保健室の先生も、同じように絶句した鮮血。
痛々しい足の傷は、消毒とガーゼですぐに処置されて、一週間ほどで治ったものの、大きな跡が残った。今の時代なら、保護者を巻き込んだ大騒動になりそうなものだが、二十年前の小学校は加害者に寛容だった。僕も、それでいいと思っていた。後ろには「友だち」しかいなかったわけだし。
ただ、僕が「押された」と主張して、先生が「誰かが押したのか」と尋ねても、犯人が名乗り出なかったことと、見ていたはずの友だちが、何一つ証言してくれなかったことは、とても悲しかった。
この事件が、心にも大きな傷跡を残したのは間違いなくて、それからしばらくは、手すりがないと階段を降りれなかったし(今でも、大きな階段の真ん中とかで、手すりに手が届かないときは、恐る恐る足を踏み出している)、この通りの孤独な人間になってしまった。
黄昏時に、思い出が向かい側でこちらを見ている。「いろんなことがあった」と、涙が出るほど美しい歌が聞こえる。戸惑いのなかにいたら、時が経つのを待つまでもなく、すぐに明日がやってくる。「急がなきゃこのままで止まってもいられないな」。