ブログ「いらけれ」

今時の大学生らしく、一年生の頃から、履修した講義には毎回出席し、レポートなどの課題もしっかり提出するという真面目さで、四年生後期になってからは、キャンパスに行くのは週一日、ゼミの先生の卒論指導を受けるだけだから、高いお金を出して買った自転車はすっかり使う機会が減ってしまって、錆びつかせるのがもったいないと思った僕は、朝から降っていた雨が上がったタイミングで、いつものスニーカーを履いて、玄関を開けて、目に入る空に虹がかかっている。しかも二重だ、よく見ると。

兄が仕事をやめたのは、先月のことだった。彼の身体に、三月の終わり頃から断続的に訪れるようになった小さな不調は、一月で瞬く間に大きくなって、それでもなんとか会社に通っていたのだが、ようやく診察を受けたときには、もう手遅れだった。詳しい検査のあと、家族も呼ぶように言われた診察室で、ドラマのように余命宣告が行われることはなかったけれど、医師の口振りから、彼の人生がそう長く続かないことだけは、はっきりと伝わった。彼の後ろで、円形の椅子に座って話を聞きながら僕は、天井を見つめていた。その向こうに、本当に、神様はいるのだろうか?

後方から不意の、けたたましいクラクションの音にも、僕は振り返らなかった。まだ乾ききっていない道を、自転車は快調に進む。地面とタイヤが接しているのが分かる。この感覚は久々だ。小さな公園、シャッターの隣のシャッター、スーパーマーケットから人が出てきて、美容室には大きな女性の写真。赤信号で停まる。あまりにも綺麗な虹は、それが最後の虹かもしれない。僕は振り返り、わざわざ靴を脱いで、リビングのソファに横たわりながら、テレビを見ている兄の側まで行って、そして、話してしまった。

フォローのつもりで「歩きたくないよね」と言うぐらいなら、話さなければよかったと、その時は思った。彼の苦しみが、痛みが、僕には分からない。「そうか、見たいな」と言って起き上がろうとした兄を母が支えて、短い廊下を歩いて、玄関でサンダルをつっかけて、ドアを開けた二つの後ろ姿の向こうに、あの虹はまだあった。「本当に綺麗だね」という、たわい無い会話に家族があって、胸がいっぱいになる。うん、話してよかった。「出かけてくるわ」とそっけなく横を通って、自転車の鍵を回しながら僕は、この日のことを死ぬまで忘れないだろうと思った。

信号は青に変わった。顔を上げ、しっかりと前を向いて、もう一度ペダルを踏み出した。

僕は魂の本に今日のみんなを記すんだ。

「魂の本」中村一義

ブログ「いらけれ」

※この文章は、5月6日に開催される予定だった「文学フリマ東京」での販売を目指し、作成していた同人誌の巻頭言として、執筆されたものである。

「小説とは何か」という問いに、答えを出そうとした数え切れないほど多くの先人たちと、彼らの残した言葉について私は、ほとんど何も知らないといって過言ではないだろうし、それなのに小説を書く、という意気込みで書かれたあの文章を、こうして人目に触れる場所へと置いてしまえば、心からじくじくと、忸怩たる思いが湧き上がるのも当然だろう。
 私は、胸を張ってライターとは名乗れない、産業廃棄物のような文章を日々生み出すことによって糊口をしのいでいる人間で、それとは別に、ただの趣味として毎日毎日千文字程度の日記を書いてインターネット上で公開するという、自分で自分を苦しめるような行為を二年程前から始め、今でも続けている。「知らねえよ」と思うだろうが、まあ、付き合っていただきたい。
 その日記には、「作家になりたい」とか「小説を書きたい」といった〈私〉の思いが綴られることも少なくなかった。しかし、この世界を生きる私と日記の〈私〉は別物であり、書かれた〈私〉の思いは、私の考えとイコールではなかった。
 小説とは何か、それが私には分からなかったし、もちろん小説、と自作の文章を呼んでいいものか、自信が持てないから〈小説〉と書くことにするが、〈小説〉を書き終えた今でも分かってはいない。例えば私は、日記のなかで数え切れないほどの嘘をついてきた。それは、間違いとされる確信犯の意味において、日記という枠組みからはみ出るようにして、より面白いものを書くための試みとしてあった。あるいはより消極的に、身内や知り合いにバレたら嫌だとか、直接書いてしまうと陰口のようになってしまうからといった理由で、出来事の細部に手を加えたり、存在しない兄を登場させたりしたことも度々あった。
 あれは、小説だったのだろうか。私小説にカテゴライズされる文章だったのだろうか。日記という体で書かれたテキストであろうとも、ドキュメンタリーが嘘をつくように、フィクションが紛れ込むのは当たり前だ、そもそも、すべての出来事は果てしなく複雑で、それを文字列に変換すること自体に無理があるのだから、それに、日記を書いてわざわざ公開する人間というのは、これも誤用だが須らく卑しい人間なのであり、興味をひこうとあの手この手を使う、その手段の一つとして話を盛る、確実に。
 小説と日記の分岐点が見つけられない私にとって、小説と〈小説〉がどこで分かれるのか、小説と〈小説〉を何が分けるのかというのは難しい問題だった。難しいから分からないし、分からないから書けないと思っていたし、告白すれば、書きたくないとさえ思っていた。「いつか小説を書きたい」と言うだけならば、やればできる子という自己イメージを持ち続けながら、「いつの日か俺はやるんだ」と甘えていられた。
 しかし、今これを読むあなたは、この本を手に取っている。目次にはタイトルがあって、その下にある数字を頼りにページをめくれば、私の〈小説〉がある。きっかけを話せば長くなるから、次の機会にしようと思うけれど、この同人誌を一緒に作っているパートナーとの出会いが、とある将棋大会にあったと聞けば、むしろそちらを詳しく書いてくれと、そう思われてしまうだろうか。ひょんなことから知り合い、そして連絡をもらい、口は災いの元……ではないけれど、同人誌を作りたいとか、小説を書きたいと言ってしまったばっかりに持ち掛けられ、それに乗り、すべてはノリでここまできた。ちなみに、私の座右の銘の一つは「囃されたら踊れ」である。
 小説を、もとい〈小説〉を書いて初めて、私は分かった。私にとってそれは、微細な運動の連なりだった。途切れることのないダンスだった。饗宴を続ける言葉を眺めていた。それだけだった。それなのに文章は、一つのテーマを念頭に置きながら書かれたとしか思えないものになっていた。最後のパートを書き終えて、冒頭から読み返した私は、心底驚いた。
 しかし、これは反省ではないけれど、あの〈小説〉には四千字が丁度良かったけれど、小説には全く足りなかった。一本の木が立ったに過ぎなかった。読者が深く入り込み、さまざまなものを目にし、さまざまな音を耳にし、時には迷ってしまうような、小説という森にはならなかった。
 最初も一つならば、最後も一つだ。最初の小説を書くにあたって私は、それを最後の小説にするつもりだった。しかしそれは、〈小説〉になってしまった。だから私は、〈小説〉を小説にする為に、もう少し創作活動を続けなければならないようだ。次こそは、森のように大きい物語を書けるだろうか。自信も確信も、作戦も戦略もないままに、とにかく書き始めよう。それが小説になったら、それが私にとって最初の小説となり、あの〈小説〉は、最後の〈小説〉となるだろう。

ブログ「いらけれ」

書きづらいことが頭の中にあって、それと目を合わせられないままで、どうしようかと悩んでいるのが今だ。覚えているというのはとても残酷で、忘れてしまって思い出さなければ、人生は揺さぶられない。

実際、目をそらしてきたのだろうか。そんなつもりはなかった。目をそらそうと思ったことはなかった。その出来事が、記憶の水面に浮かび上がらなかったから、沈める必要もなかった。

その日も調子良く歩いていた。鼻歌さえ響かせんとする勢いで。午後5時の街はもう暗い。川を見下ろせる橋の上で、小さな女の子の手をお母さんが引いて、丁度すれ違ったその時に橋の下に目を落とした川は、ほとんど水が流れていない涸れ川だ。

川の脇の道は、線路が上を通っているから、下を潜るように道は坂になっていて、川底と同じ高さにまで行くが、トンネルの灯りが点いていて、降りて通らなければならないはずの自転車が、すごいスピードでそばを通り抜け、イヤホンからはゲストを迎えたトークに花が咲いている。

一番下では、顔を上に向けないと空を見ることができないから、視界の大半を上り坂が埋めて、今上演されている舞台のお知らせが、その内容が怪我をさせられた子の親と、させた子の親が、子ども以上に喧嘩するというものらしい。見てもいない舞台でさえない、そのような場面が容易に想像できた時、それはおかしいと思った。

前日から腹を出して眠っていたが、高熱を出すという夢は叶わなかったので、エレベーターに乗って、アパートの扉の前に着いた時、大人の後ろにいた。出てきた大人に、大人は何かを手渡したが、何かを言って申し出を断った。原因となった体の大きさについて、だからそれを食べるべきなのはそちらではないか、つまり、生の皮肉を初めて聞いた。空気が黒いと思った。

担任ではない誰かから呼び出され、レースのかかったソファーに座って、話し始めると涙が溢れて止まらなかった。ごめんなさいではない。心を占めていたのは恐怖だ。怒られること、そんな直接的な悲劇よりも、もっと何か抽象的な、この先の未来が、崖っぷちに追い込まれるのではないかという恐れ。

加害者の発言は当てにならないが、ふざけていたから仲は良かったはずだ、ただ、少年たちには体格差があり、覆いかぶさるようになったとき、彼の膝に問題が起きた、それでも、大人たちは渡らないけれど、渡らなければならないことになっている歩道橋の階段を二人で上がった、歩道橋の上は二手に分かれていて、いつもはそこでさよならをするのだが、彼の異常な泣き方を見て、家まで送るという提案を断った彼の後ろ姿を見送った。

それからどうして、僕があの部屋に座り、あの扉の前に立つことになったのか、それは大人たちの領分だったから、あずかり知るところではない。僕は怪我をさせた子どもで、怪我をさせてしまった子は、しばらく学校に姿を見せず、そのまま転校してしまったのではなかったか。外気よりも、心の奥が冷たくなる。偶然だとか、悪意はなかったとか、それが本当だったとしても、小さくない影響を一人の人間に与えた。

ここから先を探しても、言葉は無かった。

ブログ「いらけれ」

押しても引いてもガタガタ言うだけで、頑なに動かない扉を蹴破った。そのような心持ちの夏だった。水色に近い空に、真っ白で分厚い雲が形を成していて、一面の窓ガラスがスクリーンみたいに、今しかない季節を映している。チョークが黒板を叩いている。小気味いい音に、私は眠ってしまいそうになる。空調の効いた21世紀は、ビクビクした時代だ。将来有名になったとき用のサインをノートから丁寧に消して、出たかすを丸めて、前の席の襟首目掛けて飛ばした今の私みたいな敵が、どこに隠れているか分からないと、皆がそう思っているのだろう。運動場から伝わる軽快な掛け声に気を取られた一瞬だけ、教室の外に渦巻く悪意の恐ろしさを忘れることができた。忘れても戦争はなくならないけれど、今日が終われば明日になって、明日になれば、私を乗せた飛行機が、あの空を飛ぶ。

久しぶりにレゴブロックを触った。それは、帰省していた甥っ子を大人しくさせるために、押し入れから取り出されていた。遊びが終わった後の部屋は、直すほどでもない程度に机が斜めになっていて、僕は気配を見る。プラスチックの青いバケツに手を入れて、まずは一握りする。手のひらのマッサージになりそう。いくつかのブロックを取り出して、色とりどりのそれを、どう組み合わせるか考える前に、やたらにくっつけてみる。くっつけてみたはいいものの、その先の未来が見えなくて、手が止まった。レゴで遊んでいた頃の僕は違った。もちろん、いくつかのブロックの形状を見ただけで、自分が作らなければならないものが導き出されてしまうような、想像力の豊かさがあった。それ以上に、でたらめにつなげられたブロックが戦闘機になり、飛行船になり、戦隊ヒーローのロボットになった。他の誰かには、そう見えなかったとしても。出来上がったそれが、空を飛ぶ動力源は、僕の中にあった。つまり、見出していたのだ。今の僕はどうだろう。作り始める前から上手く行かないと諦めてしまっているし、出来上がったものを見ても、不細工に連結したレゴブロックとしか思えない。歳を取った。現実を知った。夢を見なくなった。

かもめがいた。群れていた。灯台から光が伸びている。夜だった。波がある。大きくなった。音の波が距離を伸ばした。数分前まで、砂浜に男がいた。もう、その姿はない。そうして、いつもと変わらない風景になった。月に反射した光が、雲に遮られた。より一層、辺りは暗くなった。