独りでに膨らんだ
ボーっと考え事をしながら移動。人間の記憶には、カタログ的なものと、物語的なものがあるのではないかと思いつく。それで僕は、カタログ的な記憶力が本当にないなと思う。いや、テスト前日の暗記とかは、それなりに覚えられるんだけど、残しておけないというか。同級生と話していて、遊戯王とかポケモンのたくさんのキャラクターを忘れないでいることに、いつも驚かされる。僕もやっていたはずなのに、全然覚えていないなあ。
僕が記憶しているのは、家に遊びにきた友だちが、僕のゲームボーイを操作して、ポケモンの裏技を使って、どれかのポケモンのレベルを100にしてくれたけど、それまで無駄な努力をしていたみたいで、虚しい気持ちになったこととか、マンションの駐車場で、数人の友だちとポケモンのフィギアで遊んでいたんだけど、そのなかの「ロコン」というポケモンのことを、何度も「コロン」と言い間違えて、最後まで正せなかったことだ。
頭の中にあるのは、色の付いた像としての一場面と、大まかなエピソードだけ。日記に書くときは、記憶の像を仔細に見ていきながら、物語の隙間を埋めている。綺麗に整えられた思い出は、実際にあったことでも、完全な作り事でもなくて、その間にある。
未来を記録したビデオテープが山積みになっている。一日一日、それを見ている。
例としてポケモンが出てきたのは、もしかしたら最近、ユーチューブでゲームの小ネタ集みたいな動画ばかり見ているからかもしれない。そのなかには「ゲームあるある」を紹介するものがあって、よくRPGで、「はい」と「いいえ」の二つの選択肢が出てくるんだけど、結局「はい」を選ばないと物語が進まない、というネタがあった。
言われてみれば、確かに何度か見かけたことのある演出だが、深く考えたことはなかった。なぜか、ゲームとはそういうものだと納得していた。しかし、こうして取りあげてみると、なぜわざわざ無駄な入力をプレイヤーに強いるのか不思議だ。
僕の頭程度で思いつくのは、ゲーム内の選択を、例えば、姫を助けに行くことを、操作しているキャラクターではなく、プレイヤー自身が決断したのだと思わせるための、一つの仕掛けとして作られているのではないか、というものだが、それならばなお、何度「いいえ」を選択しても同じ反応が返ってくるばかりで、お話が進行しないというのは、それがプログラムに従って動いているゲームであることを、強く意識させるものであるはずだし、自分の選択ではなく、ゲームに選択"させられている"ことを、感じさせるものであるはずだ。
僕には分からないような意図で、選択肢が作られているのだろうか。それとも、(僕のように)あえて「いいえ」を選ぶような天邪鬼は無視して、ゲームが作られているのだろうか。調べると面白そうなテーマだ。
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