ブログ「いらけれ」

頑張れって思ったところで、深い知識や教養があるわけでもないから、何か閃いて面白いことが書けるわけもないが、絶望していたところで、未来が拓けるわけでもないから、しょうがないから書くために、今日のことを思い出してみると、宝くじ売り場が目に入ったときのことが、頭に浮かんだ。
2013年に、ロト6で一等・1億8000万円の当選があったと看板に書かれている。その売り場で一等が出たことと、後の当選が関係するはずがなく、それぐらい誰でも分かりそうなものなのに、なぜそんなことが宣伝されているのかと考える前に、想像のなかで1億円が当たった。これで、相当の時間遊んで暮らせる。とてもくだらないイメージは、しかし、一瞬だけ心を癒す。ここを通る少し前に、ATMから引き出した金を空の財布に入れたとき、辛さと収入が見合っていないことを再確認したから、こんな空想をしてしまったのかもしれない。
大衆の生活というものは<いつか、そこに住んでいた誰かや、たった今、どこかで生きている誰かと比較すれば、大層恵まれていたとしても>、常に苦しみを伴うものであり、いつでも準備万端なのだ。だから例えば、過去に出た一等賞の当選金額を目にしただけでも、この日常から抜け出せたら……という妄想が始まってしまうのは、私だけではないはずだ。その輝きが、人々をくじへと誘引するのではないだろうか。

どうでもいいことばっかりで申し訳ないな。どうでもいいことしかしていないからな。懸念だったサンダルを買った。靴流通センターの、アプリの入会記念クーポンが、期間内なら何度でも使えるの、すごいと思った。買ったことでウキウキして、購入して即家に帰って、靴下脱いで履き替えて外に出たの、まるで子どもみたいでかわいいね。それで、近所の綿半スーパーセンターというところまで歩いたら、靴下がない分、試し履きしたときより少し緩く感じるけど、やっぱり快適。とかいって、今日は涼しかったし、雨も降ってたから、水たまりが冷たかったけど。
到着して張り紙を見たら、先週の土曜日が将棋大会の開催日ってなっていてショック。というか、まじで将棋大会やってるんだ……。将棋クラブ的なものがあるって張り紙は見つけてたけど、連絡先が一つも書いてなかったから、本当に存在しているのかどうか、気になっていたんだ。大会の日程は、7月のイベント予定のなかにあったから、7月の頭に来てチェックしていたら、のぞくこともできただろうに。今度は、8月の頭に予定を確認しに行こう。そして、普段の買い物でも、もっとここに来よう。本業の方が潤ってなかったら、大会も何もないもんな。

今の自分がこうしていられるのは、人の話にちゃんと耳を傾けてきたから、書かれている文章をちゃんと読んできたからなのかもしれない。と、思わされるような出来事が多数。何かを信じる人(ビリーヴァー)じゃないのは、運が良いのか悪いのか。「自分は正しい」に甘えられないのは、また別の弱さだよ。

ブログ「いらけれ」

言葉にすることもなく毎日は、一瞬で過ぎていくから切ない。立ち止まらなければ、その切なさすら感じることができないから、なおさら。何かをしていたわけでもないのに感じる徒労感。時間は、生きているだけで流れ落ちてくシャワーだと、シャワーの水を浴びながら思った。本当に無意味だ。

僕の2019年は小吉で、7月14日は渋谷らくごに行った。その日に行くことを、前月から友人と約束していたために、去年の10月から毎回参加していたデモクラシーカフェには行けなかった。でも、何かを得れば何かを失うというのが世の真理だからしょうがないよ。

渋谷らくごは、天候に左右されると前説で言っていた。小雨が降り続いていたから客足が遠のいてしまったのだろうが、客席はゆったり座れる環境だった。それでも100人近くは入っていたようだ。もちろん、だからといって高座のクオリティに比べると、少ないなあという感想は変わらないけれど。

垂乳根も愛宕山も、ねずみだってそうだ。落語のマジックが炸裂した回だった。どれだけ丁寧ったって、あんな話し方をする人はいないし、どれだけ竹がしなったところで崖の上までは戻れない。ねずみなんて、言うまでもないことだ。でも、演者がそうなったと言えば、そうなったことになるのが落語の良い所で、そこに無い長屋や山は当然、ありえないことだって見えてしまうのが楽しい。自ずから想像を迎えに行かなくても、脳内に光景が浮かぶ快楽。それにしても、正蔵師匠は本当によかったなあ。

お笑い好きだから、風藤松原の漫才を分析したくなってしまう。初めて生で見たけど、30分近い出番は爆笑の連続だった。どちらかといえばクスッとくるような、俗に"シュール"と言われるようなコンビだと認識していたから、とても驚いた。ネタの構造としては、お題があってボケるという大喜利に近いやり取りがメインになっているのに、観客が予想する答えを上回り続けるのがすごい。

渋谷から帰って、前回と同じく地元のメキシコ料理屋へ行く。前回と違って、結構混んでいた。前回と同様、やっぱり料理はおいしかった。また行きたいな。満腹で家に着いて、ベッドに横になったら、遠方に住む友人から、家への招待の連絡が来ていた。ありがたいことだ、そして、また小旅行に行きたいものだ……いつになるかは分からないけれど。

それで、寝て起きたら、また日記にコメントをいただいていた。それまで数カ月、さっぱりだったのにである。何もないと何もなくて、動き出すといっぺんに動き出すあたり、本当に人生は不思議だ。小吉の僕だから、良い時と悪い時があるのだと思っておこう。そして、吹いてきた風には乗っておこう、と思う。

ブログ「いらけれ」

コメントを付けると、丁寧な返信が返ってくる日記としてお馴染みたいので、どんどんコメントを付けると良いんじゃないかと思うぞ。誹謗中傷だったら、承認しないけどな!

『競馬予想TV!』における横山ルリカとか、『球辞苑』における土屋伸之とか、ナレーションですごい仕事をしているなあと、ずっと思っている。僕みたいな、ちっとも影響力のない日記書きが評価したところで、何の役にも立たないけれど。

2000円しないサンダルたちの前で、30分悩むことができる男だ。だって、同じぐらい欲しいというか、欲しくない度が同じものが二つあって値段も同じで、人間は差がないと選べないのだなあと思った。すべてを限界まで安くするのではなくて、一方をわざと少しだけ高くして売れない方を作り、もう一方を魅力的に見せるのが商売のコツなのではないだろうか、素人の想像だけど。
結局サンダルを買わなかった西友で、どちらも20%割引になっていた鶏団子と野菜の甘酢あんかけ弁当と焼豚を買った。ただ貧乏性なだけだな、僕は。お弁当の売りであるヘルシーさを、プラマイゼロにしてしまった200円ちょいの焼豚が、非常においしくて感動する。こんなにおいしいものが、こんなに安く手に入る社会なのに、どうしてこんなにも、ひどいことばかりなんだろうね。

ど根性人間。アスファルトの間から顔を出す。

Mリーグのドラフトを見ていた。詳しくないとはいえ、それなりに麻雀を見てきたから、おーと思うところがあったり、感じ入る場面があったりしたのだが、「指名なし」をありにしたのは、エンターテイメント的に失敗だったのではないだろうか。ドラフト単体としてもめちゃくちゃ分かりづらかったし、3人編成と4人編成のチームで分かれてしまうのも、新しく見る人は混乱するだろうし。もちろん、新たな選手と契約すると、最低でも400万円の年俸を支払わないといけなくなるわけだから、難しいチームがあるのも分かるんだけどね。
それで、Mリーグと関係あるっちゃあるんだけど、


【麻雀】"持ってる男"内川幸太郎!Mリーグ指名直後に国士無双!【役満】

これが、二代目麻雀爆笑動画に認定されました(僕のなかで)。もちろん初代は、つっちーの「親戚なの~」なわけですが(知りたい人はググってください)。
素晴らしいプレーとか、その詳細な解説といった面白さとは、まったく別の楽しみ、プロはそれぞれ個性的なんで、そういう面がもっと広まっていけば、ファンの新規開拓にもつながっていくのかなあとも思うんですけどね。

(学級会で手を挙げて)ひらがなにすると、なんでもいい感じになるので、タイトルをひらがなにするのはズルだと思います。やめた方がいいと思います。
……同感です。

ブログ「いらけれ」

息つく暇もない日々で、一息つく。なんかもう、すっかり日記じゃないものになってしまっている。いろいろ気にせずにいこう。やっとまた、『静寂とは』を読み始められていて、調子の良さを感じる。フレッシュオールスターもオールスターも少しだけ見た。一度置いたカップ麺を掴み損ねて、カーペットにこぼしてげんなりする。今日の夕飯は、スーパーのお弁当にしよう。将棋がいつもより上手く指せた。なんか違うと思いながら人生の時間。

久しぶりに靴を洗った。靴と一緒に帽子も洗った。だいぶ汚れていたから。洗剤とバケツと水。30分ぐらいだったか、「僕たちだけがおもしろい」を聞きながら、手を動かしていた。靴を洗うときは、先に靴紐を外さなければならなかったことを忘れていた。ヅダの回みたいだ。まくらで話されていた、作品と作者(製作に携わった人)を切り離して考えて良いのかというのは、ずっと考えているテーマで、この日記の「俗なるもの」でも一部書いている問題だし、作者の行いを許すか許さないかが、受け手の倫理観に左右されるというのは、「2019年4月『デモクラシーCafe@東村山』(後篇)」で、友だちの話にずらして書いたことでもあったので、興味深く聞いていた。こうやって、シリアスなときだけ感想を書くのは申し訳ない、だって毎回聞いているから。頑張って洗ったので、帽子も靴も、それなりに綺麗になった。ベランダに運んで干したものの、雨は降ってなかったけど灰色の空でなかなか乾かなくて、帽子には丸一日、靴には丸二日かかった。

言いたいことや思ったことを、表現にまで落とし込めていないから、読む人が増えないんだろうな。

それで、靴を買いに行くことにした。洗ったところで、草臥れている感じは変わらなかったし、匂いも気になったから。曇天の下、靴流通センターまで20分歩いたものの、ピンとくるものが一つもなくて、完全な無駄足だった(靴屋だけに)。久米川の西友まで戻って、3000円とちょっと高くて迷ったけど、アプリのクーポンを使って購入した。お出かけ時に履いていけるものは手に入れたので、普段使い用のサンダル的な靴が欲しいなって思った。夏だし。


これから読む本の自慢でもしておこうか。どうだ、非常にセンスの良いラインアップだろう。褒めてもいいんだよ。まあでも、これらの本が積まれたままになっているのは、頑張らないと沈んでしまうような、ギリギリの毎日が続いているからで、やりたいと思ったまま、ラジオにメールを送る活動も、ずっと再開できないでいるし、泣ける。そうやって逃げるのはいけないぞ、僕よ。もっと自分を消費していけよ。