ブログ「いらけれ」

家にあるカレンダーがさ、家というかトイレなんだけど、世界の名所みたいな写真が載せられているんだけど、7月になったじゃん?それで、写真が新しくなって、世界のどこよりも砂が白いと言われているビーチが写っていて、その場所の名前の下ある説明文には、「4・5月と10・11月がベストシーズン」と書かれていた。素人が「ツッコミ」するの寒いと思ってる僕でも、流石に「7月じゃないんかい」ってツッコんでしまった。写真を見て、「旅行に行こう」と思い立った人でも、7月から手配すれば間に合うという配慮なのだろうか。

ツイッターで、テレビでの問題発言が炎上する度に、ラジオって本当に聞かれてないんだなって思う。ラジオの方がよっぽど酷い発言が多いし、それをきっかけに、番組の聴取をやめてしまうことだって多い。やれ、ポリティカルコレクトネスがどうのこうのと言われているけれど、たまたま厳しすぎる事例が目に付いているだけで、普通に暮らしていれば、信じられない差別とぶつかることとかざらだし、世界はまだまだ"遅れている"と、僕はそう思うね。

やっぱこう、人として綻んでいるから、括弧付き普通の人々によって運営されている括弧付きまっとうな世界に対する不満で溢れていて、それでヒップホップとかがやっぱ好きになったし、ティーンの頃からずっと、大神「大怪我」とか聞いてしまうと、血液が沸騰する感じがあって、それは今もそう。「知ったふりしろ」!

お風呂は温かかったが、目薬はひんやりとしている。天井のライトが点滅している。アプリで当たったファミマの鶏つくね串、おいしかったな。串を抜いて、卵かけご飯に乗せるという工夫も良かった。違法アップロードだし、ユーチューブで関連動画に上がっている『タモリ倶楽部』を見てしまうのをやめたい。でも、ユーチューブで見る『タモリ倶楽部』が、サイズ的に丁度いい。ユーチューバーの動画内の文章が、おかしなことが多くて困る。まともな文章を書いてない自分が言うことでもないけど。内容よりも、てにをはを気にしていることとかあるから。選挙が近いという。政治のことは分からない。だから、勉強しなければならないと、ずっと思ったまま、そのままだ。良くないな。なにせ、こういう暮らしを続けていくためには、そうのんびりもしていられないようだから。

普段だったら読まないし、読んだところで得るものはなかったんだけど、たまたまタイトルが目にとまったから、数年前に書かれた有名な資産家のインタビュー記事を読んでいて思ったのは、評価経済って言葉、すっかり聞かなくなったなあということ。文章中に出てきて、化石を発掘したような気持ちになった。

ブログ「いらけれ」

(自分のこれまでを、間違いとして総括して、間違いに気づいた私は成長したということにして、だから今の私は正しいという理屈を展開する手法)

未来の自分に出会うように生きる。とか言って、だらだらと10時に起きる。

「何かやりてえなあ」と、窓の外が明るくなるまで、久米川にあるケーキ屋さんがラジオ好きで、「TBSラジオfamになった」ってツイッターに書いていたから、今度行こうと思ったり、東村山駅の近くにある、児童書などをメインに扱っている一風変わった本屋さんのホームページに、「紹介された」と書いてあったから、『むらのわ』という東村山の情報誌を読んで、やっぱりまったく知らないバーとかあるんだな、今度行こうと思ったりしていたからだ。

その日の昼間には、焼肉屋の2階に、テナント募集の張り紙を見ていた。僕は、そこを遊び場にする妄想をした。人狼会とか読書会、哲学カフェのために貸し出すスペースを作っても、儲からないだろうか。あるいは、地域の人がだらだらと、そこで時間を忘れて過ごせるようなブックカフェにするのもいいな。せっかく仕事に耐えて小金を貯めたのだから、本当に好きなことやりたい。「カフェ 開業」とグーグルに打ち込んで、最低でも500万円が必要だと解説されているのを読んだ。貯金の10倍だ。でも東村山市には、創業・開業支援の制度があって、お金を借りられるらしいよ。

しかし、ケーキ屋にもバーにも行かないだろうし、遊び場も作らないだろう。これらはすべて、夜更かしにしか繋がらなかった……というのが、従来の僕だ。やっとアクセス数が増えてきたというのに、このように、無内容な日記を書いてしまうのが、これまでの僕だ。『音楽ガハハ』で知った、子どもが「甘い!」と言っているように聞こえる曲(Calvin Harris「Slide ft. Frank Ocean, Migos」)があって、その反対に「苦い!」っていうの面白いなーと思っていたとはいえ、内容とはまったく関係がないのに、タイトルにしてしまうのが、まあ、今までの僕。

ある会話のなかで僕は、「どんな革命も、笑われるところから始まるんですよ!」と言った。自分で良い言葉だなって思った。イヤホンが断線して、右から音が出なくなっても、また買えばいいやと思った。「金がない」という焦りから、残高によって救われている自分を見つけた。そんな風に、自分も周りも否応なしに変わってしまうのならば、良いことを始めようと無茶な決心をしてしまうぐらい、少しでも良くしようと夢見るぐらい、悪いことではないと思うことぐらいは、悪いことではないと思う。

ブログ「いらけれ」

今日も散歩していた。たかだか10楽天ポイントのために、立川市まで、4キロも歩いたわけではない。行き先はどこでもよかった、欲しかったのは言い訳のようなもので、目的地がなければ、2時間も歩くことができなかっただろう。疲れたといって、やめてしまったに違いない。遠くへ行くためには、目標を定める必要がある。ゴールを決めてしまったら、進んで行くしか仕方がないというのは、人生も同じだ(こういう、"それっぽい"言葉に騙されてはいけない)。

街を行く僕は、なんだかざわざわしていた。この日記を読みに来てくれる人が、ここ数日かなり多くなっていて、そのことの違和感がずっと、心の内にあったからだ。だって別に、特別なことは何もしていないし、何か特別なことが起こったわけでもないし、それに、いつもだったら1時間で到着するはずなのに、聞いていた『東京ポッド許可局』が終わったとき、まだ半分をちょっと過ぎたぐらいの所で、どうにもおかしい。ここはパラレルワールドなのではないか、いや、そうに違いない。

それで、パラレルワールドに迷い込んでしまったら、どうすべきなのかと考えていた。ドラゴンもゾンビもいない異世界について。でも、元の世界でうだつが上がらない、いつまでたってもパッとしない日々だったわけだから、むしろラッキーといった感じすらある。パラレって、よかった、よかった。

まあでも、パラレったわけではなくて、過去の自分が続けてくれたおかげで、無駄に積み重なったものがあって、グーグルの検索結果で上の方に表示されるようになったことで、クリックしてくれる人が増えただけだろうし、新しくアクセスしてもらうことも大事だけど、それよりも、繰り返し読んでもらえること、常連の人を増やすことの方がよっぽど重要ですよと、今は冷静になって考えられているけど、あの時は無理だった。僕は、疲れているのが分かったから、自分をケアすることにした。

何かに怒ってる人とか、人生に絶望してる人とか……事情は置いといて、疲れてません?というのはあって、とにかく、自分をケアすんのメチャクチャ大切。ケアの仕方を知らないと、大体なんか間違ったことするからね。それで僕は、ドクターペッパーと缶チューハイとチーズケーキを買った。帰ってきて、夕飯の前に空腹で、ウイスキーをドクターペッパーで割ったヤツを飲んで、ご飯と一緒にチューハイを飲んで、食後のデザートのチーズケーキを、皿に乗せて自分の部屋に持っていって、少し落ち着きたいと思って、横になった瞬間に寝ていた。体内のアルコールを感じた2時間で、途中で目を覚まして、体を起こそうとしたけれど、金縛りにあったみたいに動けなかった。なんとか覚醒したとき、「あー俺、なんか間違ったかもしんねー」と思った。

ブログ「いらけれ」

結局、サイトのリニューアルも、プロフィールの更新もしなかった僕へ。恥ずかしいね。でも、いろんなラッキーと、いろんなクリエイターによるユーチューブ動画のおかげで、割と元気出てきているし、来週までには、僕がなんとかしてくれるんじゃない?

「アジアカップ開幕!これからのサッカー解説の話をしよう!」
僕がめちゃくちゃ好きそうな特集なのに、これまで日記に書いてこなかったのは、当然聞いていなかったからで、1月11日の放送を、7月になってやっと聞いているのヤバいよなあ。
内容について言えば、そこまで深く分かりたい人ばかりではないとか、賢い人は少数派だとか、そうやって諦めるのはすごい簡単だし、世の趨勢はそっちに流れつつあると思うけど、手の届くところからアップデートしようとする意志を持っている方が、まだマシだと思った。

人狼を見ていて思ったのは、話されている言葉には、論理的な正しさとは別に、パフォーマンス的な機能があって、だから例えば、疑われている人を助けるようなことを言った人は、それが、一見正しいと思われる意見だとしても、疑われていた人とのつながり(「ライン」という言葉が使われる)があるのではないかと怪しまれることになるわけだが、このように、すべての言説には文字通りでは捉えきれない「意味」があるということ(行間という言葉が近いかもしれない)を、そしてその「意味」はある程度操作可能であり、人を騙すこともできるのだということ(または、その方法)を、プレイした人たちが学ぶ場になっているのだろうなあ、ということ。それが良いことなのか、悪いことなのかは分からないけれど。

あと、めちゃくちゃキャラが出来ているというか、他者からの見え方をコントロールしたいという感じがビンビンに出ているプレイヤーがいるんだけど、その人が、論理的にもキャラ的にも完璧に喋ると、逆に胡散臭く見えるのが面白いなと思った。人間というのは、破綻や欠陥から、相手を人間だと認識しているんだね。

煙草の煙の向こうを見ながら考え事するっていうのは、何かが違うんだろうなって思って、僕にも、煙草の代わりになるようなものがあれば良いのにって思った。ココアシガレットか。

褒められたって良さそうな気もしてる
人知れず強くなろうぜ俺達

FoZZtone『ベイビーゴーホーム』

第三者視点で日々を省察/精察してみたところ「頑張っているよ、僕は」と思ったとき、この歌詞が浮かんだ。うっかりすると泣いてしまうよ。