ブログ「いらけれ」

鳥が死んだまさにそのとき、地球の裏側の音楽家は新しい曲を作った。それは早すぎも遅すぎもせず、静かすぎでも派手すぎでもなかった。死の厳かさをまとった曲だったが、音楽家がその曲を発表することはなかった。それが、誰にも聞かれることのなかった曲だ。もし、その曲が世界にもたらされていたら、音楽家は大金持ちになっていただろうに。
音楽家が飼っていた犬は、世界を見ることをしなかったがゆえに、音とにおいの世界を生きた。犬はそれでとても幸福だったので、それでよかった。犬はその幸福を、全身を使って表現し続けていたが、音楽家は生涯気が付くことはなかったけれど、犬も音楽家も幸福だったので、それでよかったのだろう。
その警察官は、音楽家の屋敷の前の並木道をいつも通っていたが、それは、警察官の巡回ルートだったからではなかった。その日も警察官は、並木道を車で運転しながら、考え事をしていた。もし、地球の裏側に誰も知らない木があったらと。警察官は知らなかったけれど、警察官が考えていた木は、世界中から顧みられることのない事実として、確かにあった。


ダニエル・クオン – Judy

ブログ「いらけれ」

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それが、誰の目にも映ることのなかった木だ。隣の木々とは一メートルほど離れている。もちろん隣の木々も誰にも見られたことはなかった。見上げても先端が見えないほどの高さと、抱き着いても手を回せないほどの太さだった。先週からの急な寒さのせいだ、足元は落葉で地面が見えない。
小さな鳥が一羽やってきて、枝にとまった。誰も見ていなかったから鳥は、それから十年そこにいて、飛び立つ気配すら見せない。鳥の目には、他の鳥の姿は見えなかった。歌は聞こえていたけれど、どこからか分からなかった。
小さな虫が二匹やってきて、幹の表面にとても小さな穴をあけた。虫には、それだけができた。一匹は他の虫に食われ、もう一匹はそれを虫なりに感じていた。虫にとって世界は、絶えず送られてくる電波のようなものだ、それを全身で捉えていた。
もう一匹の虫が死んで、その後、鳥も死んだ。


ダニエル・クオン – Judy

ブログ「いらけれ」

「あることないこと」とは、用心深く人から嫌われない態度で書かれたことだ。周到に、決定的な政治の話題は避けていた。そして、書かなかったことがたくさんあった。例えば、虫歯を見てみぬふりしていた左の奥歯が、骨があるとしらず焼き鮭を噛んで、頭の中に痛みが響くとともに欠けたこと。
そんな風にして僕が書かなかったことは、世界中から顧みられることのない事実として、確かにあった。


Bibio – lovers’ carvings

ブログ「いらけれ」

僕に気の置けない友人が出来るのは、それから五年経ってからだった。その間に卒業して、就職したり、離職したりした。大学卒業後、僕はすぐには就職しなかった。いや、出来なかったのは、もちろん就職活動のようなものに馴染めるような人間ではなかったからだし、一方では、大学の「就職率」なるものに貢献することになることが癪に障ったからで、それは、大げさに言うならば、未来に入学する十八歳に対する責任感だった。卒業後一年間は、TSUTAYAでアルバイトをしていた。その後、正社員として入社した運送会社を一カ月でやめて、また一年ほど、今度はニートをしていて、次は出版社に勤めて、それも半年で辞めて、またニートをしていた。
運送会社を辞めたころ、つまり二年ほど前になるが、僕はブログを書くようになった。入社前に聞いていた話と、実際があまりに違っていて、その怒りが原動力だった。文章を書くことを仕事にしようと思った。それは、肉体労働ではないことをするべきだと考えたからだし、休みがなくて残業ばかりでも、給料が安くても、自分のしたいことを職業にすれば我慢できる気がしたからだった。ブログは、その練習というか、ライターになるための第一歩のつもりだった。編集者だった時期もあって、その間は更新しなかったけれど、それ以外のニートの期間は、毎日のように何か書いていたし、今も書いている。それは例えば、未来の自分が、高校時代や大学時代のこと、卒業後の今のことを思い返しているような文章だった。
僕はTwitterもやっていて、毎日あることないことつぶやいていたのだが、そのTwitterに、いつものようにブログを更新したというツイートをしたところ「ブログ読みました」から始まるDMが届いた。二月の、雪は降っていないけれど、とても寒い日のことだ。


PAR 001 “LIGHT CORAL” 02 Light Coral