ブログ「いらけれ」

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ずっと昔に、そこにあった家は、今ではもう、なくなってしまった。見る人によって、茶色とも赤色とも言われた特徴的な外壁は、砕かれて取り除かれてしまった。でも、作られた時から、そうなることを予見していたのだ、誰しもが。
大雨が降らないと川らしくならない、乾いた川に架かった橋の側の、店頭に置かれた金魚鉢からいつも空気が出ている、表のガラスに「シベリヤ始めました」と張り紙がしてある、今では地面から雑草がいくつも伸びているあの角にあった和菓子の店になった家は、昔は商売なんてするつもりのなかった男が住み、長い時間の中で、家族を作った。男と結婚した女は、男が和菓子屋になったことに、心底驚いた。二人には息子がいたし、借金もあった。
息子の部屋は二階にあって、いつのころからか「勝手に開けるな」というプレートが掛けられるようになり、誰かに入られることを拒否していたが、中の様子はあまり変わっていなかった。小学生のころには宇宙にあこがれを持っていたから、宇宙がモチーフの壁紙が貼られていた。それはとても、青い部屋だった。
それらはもう何十年も前のことだし、すべてこの世界にない。家族はみな死んだ。彼らの事を覚えている人は、数えるほどだ。家は、いつか壊されることになるのだから、始めから作らなければよかったのだろうか。

「プロジェクションマッピング」って言葉を聞くと、いつも『インディヴィジュアル・プロジェクション』を思い出すよね。いつか、そう10年くらい前に読んだ阿部和重の小説。『ニッポニアニッポン』と一緒に、単行本になっていた。ユーザーネーム「パンダ君」として、毎日こそこそと活動して、インターネットの海に常駐している僕の現状は、『ニッポニアニッポン』のあの主人公と近いのかもしれない。とかいって、内容はほとんど覚えていないんだけどね。
つか、そんなことより、あのDMだろう。あれを早くなんとか処理しなければ。「いつもブログ楽しみに読んでます、今度会いませんか」って書いてあったけど、僕の見ているこれは、現実なのだろうか。こんなことが、本当に起こり得るのだろうか、僕の人生に。だから夢か、幻だとしても、でも会いたい。可愛い女の子だったらどうしよう。下心は、もちろんある。
でも、会ったところで、いつか死ぬし、絶対に別れることは決まっている。会ったことで、嫌な思いするかもしれないし。それなら、会わなければいいなんて、その時の僕は、これっぽちも思わなかった。だから、「会いましょう」と返信した。

ブログ「いらけれ」

鳥が死んだまさにそのとき、地球の裏側の音楽家は新しい曲を作った。それは早すぎも遅すぎもせず、静かすぎでも派手すぎでもなかった。死の厳かさをまとった曲だったが、音楽家がその曲を発表することはなかった。それが、誰にも聞かれることのなかった曲だ。もし、その曲が世界にもたらされていたら、音楽家は大金持ちになっていただろうに。
音楽家が飼っていた犬は、世界を見ることをしなかったがゆえに、音とにおいの世界を生きた。犬はそれでとても幸福だったので、それでよかった。犬はその幸福を、全身を使って表現し続けていたが、音楽家は生涯気が付くことはなかったけれど、犬も音楽家も幸福だったので、それでよかったのだろう。
その警察官は、音楽家の屋敷の前の並木道をいつも通っていたが、それは、警察官の巡回ルートだったからではなかった。その日も警察官は、並木道を車で運転しながら、考え事をしていた。もし、地球の裏側に誰も知らない木があったらと。警察官は知らなかったけれど、警察官が考えていた木は、世界中から顧みられることのない事実として、確かにあった。


ダニエル・クオン – Judy

ブログ「いらけれ」

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それが、誰の目にも映ることのなかった木だ。隣の木々とは一メートルほど離れている。もちろん隣の木々も誰にも見られたことはなかった。見上げても先端が見えないほどの高さと、抱き着いても手を回せないほどの太さだった。先週からの急な寒さのせいだ、足元は落葉で地面が見えない。
小さな鳥が一羽やってきて、枝にとまった。誰も見ていなかったから鳥は、それから十年そこにいて、飛び立つ気配すら見せない。鳥の目には、他の鳥の姿は見えなかった。歌は聞こえていたけれど、どこからか分からなかった。
小さな虫が二匹やってきて、幹の表面にとても小さな穴をあけた。虫には、それだけができた。一匹は他の虫に食われ、もう一匹はそれを虫なりに感じていた。虫にとって世界は、絶えず送られてくる電波のようなものだ、それを全身で捉えていた。
もう一匹の虫が死んで、その後、鳥も死んだ。


ダニエル・クオン – Judy

ブログ「いらけれ」

「あることないこと」とは、用心深く人から嫌われない態度で書かれたことだ。周到に、決定的な政治の話題は避けていた。そして、書かなかったことがたくさんあった。例えば、虫歯を見てみぬふりしていた左の奥歯が、骨があるとしらず焼き鮭を噛んで、頭の中に痛みが響くとともに欠けたこと。
そんな風にして僕が書かなかったことは、世界中から顧みられることのない事実として、確かにあった。


Bibio – lovers’ carvings