思い出が向かい側

ブログ「いらけれ」

用もないのに生きてしまう。金縛りにあったみたいに動けないけれど、それでもまだ、生きてしまう。時間の足音さえ聞こえないというのに。
物を考えると、頭の後ろ側が痛くなる。金曜日は労働があるばかりか、数を数えたくないほど大量のアンケートが送られてくる。あと、一週間の疲れ。
小学生の頃、一緒に階段を降りている友だちの背中を、押したらどうなるだろうと、ふと思った。押してみたくなった。押してしまった。このエピソードにおける僕の役割は、背中を突かれた友だちだ。
そこにある悪との、ある種の取引さえ許さないような、一切のダーティーさを認めないような、あまりに幼稚な考え方は、いずれあなたの首も絞めるのではないだろうか。
手作りホットドッグを噛んだら、魚肉ソーセージだったのでぎょっとした(魚だけに)。(食べさせてもらっている立場だし、なにより美味しかったから)もちろん、文句などあるはずがない。麦茶だと思ってめんつゆを飲んでしまった時の、あの驚きがあっただけだ(そのように間違えたことはない)。
なによりもまず人望がない。友だちがいない。校舎の外にある石のらせん階段で足を切ったあの時のことを思い出す。もしかして、気が付いていなかっただけで、いじめられていたのかな。
上級生の女子が二人、僕の前を降りていた。そのうちの一人に衝突した。「謝りなよ」って言ったもう一人が、僕の足を見て絶句した。運が良いわけはないが、その階段は運良く保健室にもつながっていた。友だちに肩を借りて、何とかたどり着いた保健室の先生も、同じように絶句した鮮血。
痛々しい足の傷は、消毒とガーゼですぐに処置されて、一週間ほどで治ったものの、大きな跡が残った。今の時代なら、保護者を巻き込んだ大騒動になりそうなものだが、二十年前の小学校は加害者に寛容だった。僕も、それでいいと思っていた。後ろには「友だち」しかいなかったわけだし。
ただ、僕が「押された」と主張して、先生が「誰かが押したのか」と尋ねても、犯人が名乗り出なかったことと、見ていたはずの友だちが、何一つ証言してくれなかったことは、とても悲しかった。
この事件が、心にも大きな傷跡を残したのは間違いなくて、それからしばらくは、手すりがないと階段を降りれなかったし(今でも、大きな階段の真ん中とかで、手すりに手が届かないときは、恐る恐る足を踏み出している)、この通りの孤独な人間になってしまった。
黄昏時に、思い出が向かい側でこちらを見ている。「いろんなことがあった」と、涙が出るほど美しい歌が聞こえる。戸惑いのなかにいたら、時が経つのを待つまでもなく、すぐに明日がやってくる。「急がなきゃこのままで止まってもいられないな」。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤