ブログ「いらけれ」


2018年の夏を語る。【WOWOWぷらすと】

仕事から帰ってきて、この動画を見たらめちゃくちゃ面白くて、深夜に一人興奮していた。この四人+天明さんの意見や見解が違って、そのバランスもよくて。例えば、「万引き家族」について、貧困を貴族の遊び的に消費してしまっているのではないかというような、そういう光の当て方をした話は、他ではなかなか聞けなかったし。

もちろん、MeTooの告発問題についての難しさや、現代の息苦しい雰囲気については、僕が普段から考えて書いたり、話したりしているようなこととリンクしているから、面白く感じているというのはある。(あと、天明さんが「ちょっと楽天にNBA井戸端会議を……」という気になる発言をしているからというのもある。タツオさんの発言でかき消されちゃってるけど。)

しかし、ここで話されていることに、全部同意するわけじゃない。そんなの当たり前だ。でも、「全部同意するわけじゃない」って当たり前のことを言わないと、「この問題発言を認めているのか」みたいなクソリプが飛んできそうな、この世界の感じが嫌だ。それに、同じ意見じゃないと敵視される感じも嫌だ。自分の中にもそれはあって、意見の違う人を敵視してしまうのが嫌だ。とにかく今が嫌だ。

「みんな同じ」「世間の意見」「擁護派・否定派」ってなっていく、この空気こそが敵なのだろうと思う。私たちは、分かれているのではなく分けられているのだし、怒っているのではなく怒らされている。誰に?私たちに。私たちは、私たちを分け、私たちを怒らせる。この自縄自縛な、マッチポンプな構造こそを変えなければならないだろう。

(イライラしているのではない、心の中に狼を飼っていて、義憤を覚えているのだ。)

だが、「最新調査で判明、インターネットはこうして社会を「分断」する」にあるように、インターネットによって敵/味方感情を煽られてしまうのならば、現代のアヘンであるネットを手放せないのならば……

個人にできることは少ないが、革命が可能になるためには。それはつまり、対ノンアルコールビールってことだろうし、対カフェインレスコーヒーってことだ(ここではもちろん、ジジェクを思い出すわけだが)。消毒された世界に、毒を盛る方法を考えなければならない。

世界を良くする毒の盛り方。白眼視されたとしても、孤立したとしても戦うこと。はびこる悪を、それを許容する思想を変えていく方法。いつもお前が言っていることと、大して変わらないって?でも、やるべきことは、そこにしかないのだから。私なりのやり方で、それはなされるだろう。

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「頭痛派」というグループと、その公式サイトを作った。なぜか?

僕にはずっと不満があって、それは、世に出ている人の、その出ている根拠が「肩書き」ということの多さだ。つまり、自称文筆化だから書かせるというように、自称○○だから仕事をふられる、ということの。

と、いうことで!それを逆用しようと考えたのです。「公式サイトがあればそれっぽい」とか、「プロフィールがあれば興味を持ってくれる人がいるかも」と。

「頭痛派」という名前には、宣言文「頭痛派宣言」に書いた意味と、「頭痛の種という言葉もあるように、頭痛には心配や、厄介なものという意味があるから、頭痛派とは、やっかいな人たちのグループ」という裏の意味がある……これらは全て後付けだ。ただ、青梅街道沿いを歩いている時に閃いた神様からの贈り物だ。

それでサイトを作ることになる。ない金から、1000円捻出(ただ、泣きながら払っただけだけど)し、独自ドメインを取得(zutsu-ha.com)、試しに無料サーバーで始めることにした(その後、広告が出るのが嫌だった+慣れてきたということで、有料のサーバー(年3000円!!)に切り替えるのだが、移行が思っていたより大変(専門用語頻出で素人には難しい)で、後悔することになる)。

もちろん初めての体験だったから大変なこともたくさんあったけど、世の中にはクリック数を集めるために、ホームページの作り方を解説しているサイトが山ほどあったし、何よりWordPress様様というか、これまでブログサービスでブログ作ってレイアウトをいじっていたのと、感覚的には大して変わりがなかった(だからもちろん、このブログのデザインを変えるために「HTML」や「CSS」をいじった経験が役に立っているということで、そういう経験もないって人はもっと大変だと思う)。

デザインをいじる中で、作るつもりのなかったアイコン作成の必要性を感じ(見た目が段違いによくなるし、ツイッターでも目立つ)、ペイント(とワードアート)で作ることになる。それで生まれた(僕が生んだ!)のが「頭痛くん」だ。

こいつは本当に気に入っていて、自分で作ったと思えないほど良いと思う。「人は時に、能力や才能を超える何かをしでかしてしまうものだ」と思った。

コンテンツは後から考えようと思っていた。とりあえずプロフィールと、過去のブログ記事の抜粋を上げた(一応、TWICEの記事は追記しました)。これから、今まで僕が話したこと(ラジオ「とくにないよね」)の書き起こしをしたり、新しい何かを書いたりしようと思う。

とはいえ、それらは全部試供品なのだ。僕は、肩書きを偽り、これから仕事をもらおうとする身。あまり無暗に文章を書くべきではない、と考えを改めたし、喋りもそうだ。コンテンツのクオンティティをコントロールしなければならない。

あとはSEOってやつとかで、とにかく、いかにサイトにアクセスしてもらうかが今後の課題。人の心はコントロールできない。何がバズるか分からない。また、それを狙ってはいけないという思いもある。

人の気を引くために、過激なことや流行りに飛びつかず、品よくコンテンツを増やしながら、将来的には、今見てくれている人たちが、未来に「後藤って奴、昔っから知ってたんだよ」と自慢できるように、世界のなかで活躍出来たらと思う。

今んとこ全部が夢物語で、冗談にしか聞こえないだろうけれど、本気だ。その本気度は、サイトを作ったということが証拠だ。

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プロレスの動画(NXT)を見てたら「タッグパートナーが仕掛けた雪崩式フランケンシュタイナーで飛んできた相手を受け止めてパワーボム」という、めちゃくちゃで訳分からんが超凄い技が出た。凄すぎて笑った。パワーボムしてんのがピート・ダンで、受けてんのがタイラー・ベイトだった。この二人は、UK王座をかけてNXTテイクオーバーシカゴで名勝負を繰り広げた、あの二人だ。UKのプロレスの未来は明るいと思う。この二人にトレント・セブンを加えたユニットの名が「ブリティッシュストロングスタイル」っていうのがもうね。やっぱりストロングスタイルって付けたいわけですよ、実際のスタイルは置いておいて。現代、日本を含めた世界のマットの流れをキャッチアップするのは、さぞ楽しかろう(ぼくは、そこまでしないけど)。ついでにいえば、「ブリティッシュストロングスタイルVSジ・エリート」という動画も上がっている。すごく楽しい世界だ。

WWEの二軍的な位置付けでもある(もう”あった”というべきか)NXTのレスリングが今、上質で熱くて面白い。WWEの本放送を凌ぐほどに。良いプロレスを作っていく段階においては、会場の大きすぎないこと(客との近さ)が必須なのではないかと思っている。そして、良い試合をした選手がちゃんと評価されること。上手く行ってないように見える205 Liveと、NXTの差はそういうところなのではないか。もちろん、ガチのプオタが見に来ているのか、そうでない(子どもなどが多い)か、という違いもあろうが。

プオタという人たち、日本にいて(アメリカやイギリスにいて)世界のレスリングを見ている人たち、の作ってきたものの大きさも感じる。いいレスラーを評価し、(ネット上も含めて)盛り上がる人々。その広がりがあったからこそ、他の国でトップだった選手の試合がWWEで見れてるわけだし(もちろん、別にWWEが一番偉い、WWEが最高と思っているわけではないが)。作り手側の意識も変わってきているというか、「金になるぞ」と思われているのだろう。しかし、裏側には「ユーキャントレッスル」問題があることも知っていなければならない。つまらない試合をする奴だ、と一度評価が定まった選手に対する「ユーキャントレッスル」チャントが、目の前の試合内容に関わらずされてしまうこと。

スマホ的時間感覚(と勝手にぼくが思ってる)からくる「たるさ」に対抗するようなテンポの速さ(ハイスパート化?)、スーパーキックの乱打、技の複雑化による組体操感、禁止技が増えていくWWEと危ない技が多用される傾向にある他団体。あるいは、場外カウントのコールに「10」をかぶせる人々や、フォールのツーカウントの後に「スウィート」と叫ぶ(「too sweet」)人々、ヒールに声援が飛び、ベビーにブーイングが飛ぶことが増えてきていること(観客の問題)。

面白いことと、それを阻害しかねないことは繋がっていて、だからこそ今、現象として”も”プロレスが面白い。


SPARTA LOCALS – 『黄金WAVE』

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誰かが読んでるから書くんだけど、小説が止まっている……。「物語」が動き出し、それに少しうんざりしているところもある。
書くとは何か。情報について考える、つまり、特別な経験や固有名詞などを書くこと。情報量の多い小説?読み手としては、思いつかないもの(以前書いた意外性)を読みたい部分もある。それって下らないことなんだろうけど。書き手としては、そんな読者の知らない驚くべき情報を込めて書くようなことが出来ないから(経験の足りなさ)、くじけてしまう。
書き手としての条件がそろってない/そんな条件なんてない、という複雑な思い。ただ書くためのヒントは、ただ読むことにあると思うので、少し離れて、何か読んでみようと思う。
しかし、こんな風に悩まないならば、書く必要もない。「快楽を求めるならば、麻薬でいい」とは、ラジオで話したことだ。そうじゃないだろうと思うからこそ、つまり意外性的な快楽を与えること意味を見出せないからこそ、悩んでいるわけだから。


The Magic Gang – How Can I Compete (Official Video)