そばを通り過ぎる

ブログ「いらけれ」


性的地獄 -日本語訳- / 透明雑誌

オーケー、オーケー。完全にコントロールできている。つまり、国籍や人種、性別で誰かを判断するようなぼんくらには数字で反論し、人種や性別に関するある種のデータから、エビデンス至上主義によってなされる差別には文学で反論しなければならないということだろう?文学の問題には根拠、数字で、数字やエビデンスの問題には、自由や平等の理念を語る文学で。そんなことって上手く行くんかねえ……いかんいかん、飛ばしすぎて誰にも理解されんことを書いてしもうた。

無限に書くことはあるのだ。東大和市駅へ向かう間の、まるで東京都内とは思えない風景についてや、とち狂った僕が、その足でグルメシティ(ってなんじゃそりゃ。ダイエーグループらしいよ)立川若葉店に向かったことを書いてもいいだろう。あるいは、その日も僕はマルエツまで歩いて、それから、結構遠回りしてローソンへ、auでもらったツナマヨのおにぎりのクーポンを使いに行った13時ごろ、お弁当もおにぎりもほとんど棚になくて、親に「もらってくるからあげるよ」と言った手前、しょうがないからもう一軒のローソンまで30分かけて歩いて、もちろんそこにもおにぎりはなくて、計2万歩近く歩くはめになったことを。つうかこの出来事、今思い出したよ。そういえばそんなこともあって、途中には、橋のようになっている道があって、その下にはグラウンドがあって、少年たちが野球をしていて、その脇では、出番のなかった控えの子をコーチらしき人がトレーニングさせていて、反復横跳びを繰り返す4人の、真ん中手前の1人だけが遅れていて、今の彼には辛いだけかもしれないが、ちゃんと生きれば、それすらも青春の思い出になるということを、ここからでは、どうやっても伝えられないと思った。夏が来そうな新緑が、目に眩しい。

マルエツまで行くルートには、ほとんど乾いて水のない川沿いに、木や草が生い茂っている道があり、僕は、そのさざめく緑を見ながら、「緑が目にいい」と言われているのは、つまり、緑を見ようとすると遠くにピントを合わせることになって、緊張していた目を緩ませることになるからだと完全に分かって、それで今検索してみたら、確かにそんなことを書いているページが見つかって、なんでも分かりすぎるのは、とてもつまらないと思った。

順調に世界をこなしている僕の、このような日々にも何かしらの意味はあり、たまに面白くなる日記として生きていこう。

(参考リンク:「対談=吉川浩満×綿野恵太 ダーウィニアン・レフト再考 連続トークイベント〈今なぜ批評なのか〉第一回載録」

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Posted by 後藤