ブログ「いらけれ」

魂の削りすぎで、おかしくなっている感があるね。さすがに、「うっわ、A級順位戦の羽生-渡辺戦やべえ」って、興奮している場合ではないというのは、分かっているんだけど。それらもすべて、すぐに過去って、何なんだ。南国の鳥みたいに、「くえー」って鳴きたい。辛さはそのぐらい。
南国といえばって、そんな日記はないだろう。いや、ある。「今日は曇ってんすねえ」と、空と会話しながら歩く。社会からの戦力外通告も仕方なし。特別に応援してた選手が、クビになって寂しい。人のことを心配している場合ではない。年下の選手が辞めていくことについては、すっかり慣れてしまった。
それにしても、高津監督かあ。と、感慨深いぜ。だってさ、シーズンオフのバラエティ番組で、クリスタルキングの「大都会」を歌ってた人でしょ。そのイメージ、まだあるでしょ。こうやって、時代は移り変わっていくのだなあと思う。「笑っていいとも!」を知らない子どもたちも、SMAPを知らない子どもたちも、いずれ成人になるのだ。
「わりかし涼しいっすねえ」って、空気としゃべっている人は、むしろ面白いのではないだろうか。家の近所をぐるぐる回る。ダイエットが必要である。長く生きるつもりなのが笑えるね。世界が、自分の思い通りになっていくのも笑える。ユーチューブで見られるので、次はサンドウィッチマンが槍玉に挙げられるんじゃないかと思ってるんだけど、どうなるだろうね。そうならなければ、この話は、僕の胸の内にしまっておくことにしよう。
AbemaTVのビデオに、今日のMリーグの録画が無いじゃん。つって探すけど無いというのが、さっきの僕だ。そういう時は、ユーチューブに上がっている、対局の最初の方だけを中継していた動画の、説明欄の「視聴はこちら」のリンクから飛ぶと、録画を見ることができたぞ。という些末な技術を書き残しておく。未来の自分と、あと、誰かのために。
靴を、サンダルからスニーカーに変えたら、とても歩きやすい。そんなの常識。書くほどのことでもない。それは、僕の思い出もそうだし、思考もそうだ。くだらない。書くほどのことっていうのは、家の近くの、でも、普段はあまり歩かない道の、アパートの窓の下の、少しだけ出っ張ったところのタイルが、日の光でキラキラと、南国の魚の鱗みたいな色で輝いていたという事実などだ。あれはすごかった。アパートの外壁は、普通の茶色なのに、窓の周りだけ煌々としていた。書くほどのことを書いたので、今日は終わりです。

ブログ「いらけれ」

口々に語り始めた人々の、少しずつの綱引きによって、あったことの形が変わっていく。ユーチューブでもなんでも、誰の審査もなく、何でも言えてしまう。口を封じられることと、無限に口が開かれることは、どちらも、とても恐ろしいことだ。放たれた言葉は、印象で信じ、無根拠に断罪し、とくに責任は取らない人々の間で回る。逃げ出したくなる。

人間性のぐずぐず。ラジオのニュース。大人になったら、言ってはいけないはずのことを、偉そうな誰かが口にしている。久々に苦笑し、吐き気を覚えた。そのように言葉を運用するべきではないことが、子どもでも分かるような、最低限の約束を反故にすれば、私たちは、私たちではなくなるというのに。もう期待はしていなかったとはいえ、最低を下回られると、呆れてものが言えない。

リアルを充実させたい。あるいは、リアリティを獲得したい。友だちを増やしていきたいところだ。呼びかけたら、人を集められたりするのだろうか?ゲームがしたいだけなんだけど。
暑いって言っていた、テレビでは。しかし、夕方に差し掛かっていたおかげか、それほどでもない。図書館まで歩く。
いつもは行かない萩山図書館で、鞄の水筒の水が揺れる音を気にしていた。10月になったら開いているかなあという読みは当たって、開いていた。パソコンのシステム入れ替えという理由で、1週間ほど閉まっていたからか、少し混雑しているようだった。
本を選ぶのは嗅覚だと思いますか。それとも、センスという表現をしますか。僕は、本選びは技術だと思う。表紙、奥付、目次、著者紹介。ぱっと見の佇まいと、ぱらぱらと頁をめくった際に目に飛び込んできた一文で、すべてを理解しなければならないのです。かく言う僕が、30分悩みに悩んで、はたして何を選んだのか。
手ぶらで帰った。今回は難しい選択だった。前日の夜に、Syrup16gを聞いていたからだろうか。同じような状況を、かつても書いた気がする。やっぱりこう、面白い本を読んだ後だと、どれも色褪せて見えてしまって。
あ、そうそう。館内のパソコンは、しっかりと新しいシステムになって、きっちり使いづらくなっていましたよ。ああ、なんだか上手く行かねえなあ、人生。

最新ビデオの棚の前で
2時間以上も立ちつくして
何も借りれない
何を借りればいい

Syrup16g『神のカルマ』

間違えちゃいけないのはさ、他者に冷淡な人は、何よりもまず自分の尊厳を毀損しているってことよ。そうでないと生き抜いていけない社会なんだろう、ということよ。みんなが自分の得だけ考えて、その結果、みんなが損をしているという、とても単純な仕組みだけがあるのだから、必要なのは愛ね。

ブログ「いらけれ」

ここのところ、この日記に広告が表示されないパターンが増えていることに、あなたは気が付いていただろうか。自分ではクリックしていないのだが、8月に「無効なトラフィック」(自分/依頼した第三者が、不当に収益を得ようとするクリックを行うこと)が検出されたということで、広告の配信が制限されているようだ。
インターネットでお金を稼ぐのは難しいんだな、ということを学んだ。グーグルがどのように判定しているのか、これでは悪意を持った誰かが、広告(の権利)を剥ぐことができてしまうではないか(実際に、「アドセンス狩り」と呼ばれる、そのような嫌がらせも行われているようだ)。
でもまあ、別に良いんだ。強がってるわけじゃなくて、そもそもが勉強と、練習と、会話のネタにするために作ったサイトだからさ。初めは日記だって書いてなかったわけだし。稼ぎは毎月数十円だったわけだから、身の立て方を考えなければならないのは、広告があってもなくても同じことだし。
ただ、なぜか魂を削りながら、日々これを書いているので、リアクションがあると嬉しいなあと、とても直接的に呼びかけてみる。なんかあったら、いや、なんもなくても、コメントを送ってみてよネ。

愚かしい人々と、さもしい人々が上に立つ。問題は、踏みつけられながらも、それを許すばかりか、権力者を支持したり、応援したりする人々が出てきていることだ。つまりこれは、あちら側にいる人々の、意識を変えるための戦いである。だからまず、「意識を変えるための戦い」の渦中にいるのだと、こちら側の私たちが、意識を変えなければならない(といったように、世界に線を引く者を警戒せよ)。

Mリーグが開幕したので、それを見ているって書けば、日記らしくなるだろうか。日記らしく書くことが、目的だったのだろうか。ああ、麻雀は面白い。
そうだった。この前、僕がなぜ、これほどまでにゲーム、なかでもボードゲームやカードゲームが好きなのか、考えたのだった。
もちろん、単純に「勝つのが好き」っていうのはある。生活のなかで、はっきりと他者に勝つ瞬間って、そうそうないからね。僕らは、心のかなり深いところで、争いたいし、勝ちたいのだと思う。
もちろん、純粋に「頭を使うのが好き」っていうのもある。今日だって散歩中、”「バトルライン」における戦術カードを引くベストなタイミング”を考え始めたら、聞いていたラジオが耳に入ってこないほど、没頭してしまったからね。思考すること、それ自体に快楽を感じてしまう人間が、僕らだ。
でも僕は、それだけではないと思う。ゲームが持っている、もっとすごい何かに触れる瞬間が、好きなのだと思う。あれは、真剣にゲームをプレイしなければ、得ることのできない感覚で、一枚、一手、一アクションによって、すべてがひっくり返っていく、その一瞬にやられているのだ。それは、ここまでの不運や不遇、犯した失敗や間違いでさえ裏返り、逆に、それこそが運命的な”正解”だったのだと、肯定されてしまう奇跡……。

朝礼の校長先生みたいに、とてもつまらない話をしてしまったから、これでは反応が無いのも当然だろうと、反省したからといって、話が面白くなるわけではない!私語を読んでいるあなたが悪い。

ブログ「いらけれ」

根本的に嘘つきだし、実際以上に卑小な人間として振る舞っているふりをして、実際はそれ以上に卑しい。引きこもりだった。心を病んでいる。運転免許証を持っていない。つまり、すべてを持っているのに、ルサンチマンだけを忘れてきてしまった。羨ましいと思う心すら挫かれてしまった。ね。この世でも焼かれているというのに、地獄でも業火にくべられるのだろうか。
おかしい。子どもの頃を思い出してみると、全部嫌な思い出だ。とても恵まれた環境で、毎日欠かさず三食取った末に、毒人間が生まれた。そんなことって起こるんだ、ということが起こった。金太郎飴のように、人生のどこを切っても、失敗が出てくる。もっとちゃんと、まともだったらよかった。しかし、そんな自分は、どのパラレルワールドにもいない。出発地点から、決定済みの最悪。

予感の通りの嵐になって、荒れた海の波が、岩にぶつかって砕けた。舫ってあった船は、どこかへ行ってしまった。強く吹く風の音だけが響いている。鳥が流され、犬がよろめいた。それでも世界は壊れなかったから、いつか、美しい夕暮れ時も訪れるだろう。僕の網膜が、それを捉えることもあるのだろう。

ぬるい冷奴を食べて眠って、違和感の無い夢を見て、パニック発作で目を覚ました。注いだ水の冷たさを、コップの表面で確かめながら、飲んだ薬をもらったクリニックには、もう行くつもりはない。精神科のことを考える。精神科か……。辛いけれど面倒だからな。
病院で聞いたのか、薬局で聞いたのか忘れてしまった。いつか、老齢の男と女が、「良い時代に生まれた」とうなずき合っていた。そこまで生きたから、そう思えているんだ、と理解するのは簡単で、それはつまり単純だ。そう思える人だけが、長く生き残れる社会なのだろう。僕は、絶対にそうは思えないだろうから、すぐ死ぬに違いない。
ちょっと負荷をかけると動かなくなってしまうのは、子が親に似るように、僕のパソコンもそうだ。ただ単に、安物だからなのだが。パソコンが欲しいと思って、ずっと探していたのだが、増税前に買うのが嫌で、そのままにしている。腹が立つことには、逆らっていかなければならないし、屈服せずに高楊枝を決め込む姿勢でなければならない。
日々アゲンストの連続で、そろそろ限界という感じがしている。新しいことを始める余裕がなくて、要領の悪さに落ち込んで、あんまり自分を苦しめないようにね。できるところから、できることを。