ブログ「いらけれ」

この前の日曜日には、ナツノカモ低温劇団本公演「ていおん!!!!」へ行ってきた。予約するつもりだったのだが、ギリギリでいいやと思っていたら、ローチケの予約終わってしまっていた。その後も、メールで予約を受け付けていたのは見たのだが、メールを送るのって結構心理的なハードルが高い。送ればいいだけなんだけど、手間に感じられてしまって。
だから、確かなものは何も持たずに、手ぶらで電車に乗っていた。そういう気分で、夜公演に向かっていた。車内では、『みんなの「わがまま」入門 』を読んでいた。ほー、と思うこと多し。電車の方が集中できる感じ。西武新宿駅で降りて、少しだけ急いで、人が多くて、まっすぐ歩くのが困難な道を、15分ぐらい歩く。「All Blacks」と書かれた黒い服を着た人を何人か見かけた。昼間に試合をやっていたようだ。
急いだ甲斐もあって、開場数分前にプーク人形劇場に到着する。扉の前には、すでに列ができていた。当日券を買って、席に向かうところで、後ろから声をかけられた。久しぶりに会うお友だちだった。並んで座って、楽しく談笑している内に、劇場が暗くなった。
やすさんの服パツパツ問題とか、舞台に出演者が腰掛けるシーンが真ん前でビビったこととか、いろんなことがあったけど、今回もやっぱり面白かった。上手く言葉にできる気はしないけれど。
コントでも演劇でも落語でも、実は小説でも、そうだと言った瞬間にそうなるということがあって、つまり、「僕は人間そっくりに作られた精巧なロボットだ」と発した前と後で、目前の誰かが、著しく変化するということがあって、また、「ここは虹の上だ」と説明されれば、私たちがそれを受け入れて、そこは虹の上になる。その不思議さに自覚的というか、何を受け入れさせるのかということについて、非常に意識された作品だからこそ、言葉にならない面白さが宿っているのかなと思った。
買わないで後悔した前回の台本と、今回の台本を手に入れて、ピンバッチは売り切れていた。しゃべりながら帰って、ちゃんと頑張らないとなって思う。書くことはもちろん、語ることについても、ラジオパーソナリティーとしてね(この冗談肩書を名乗っていること、すっかり忘れていた)。
帰りの電車では、今回の公演を思い出しながら、今回の台本を読んでいた。90分の舞台でも、(当然アドリブもあったし、追加された台詞もあったろうが)文字にすると、それほどの量ではないことを知る。なるほど、と思う。口で語られるための言葉と、目で読まれるための言葉の違い。付属していた「創作ノート」で、まったく新しい世界を生み出すということが、どういうことなのか、その原理が少し分かる。コントを書いてみたいと思う……これは、ラジオコントをやるべきなのか?それは誰が聞くのだろうか。

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透明な空気を、肺一杯に吸って吐く。頭がすっきりしてくる。歩行とともに、脳内も透明になる。すべてが手に取るように分かりながら、その一切が分からないという退屈が楽しくて、退屈しない。

白線の内側は狭く、すぐ脇を車がびゅんびゅんと過ぎていく。中央図書館に目ぼしい本はなく、借りたいという気持ちが生まれなかった。だから、そこにある検索システムが使いづらくなったパソコンに「ジジェク」と打ち込んで、廻田図書館を行き先とした。帽子を目深にかぶって、何かが気に入らない顔つきで、世界に入り込んでいた。

平日ながら16時だったので、まだまだ余裕があると思っていたが、グーグルマップに「廻田図書館」と打ち込んでルート検索をすると、名前の下に「もうすぐ終了」と書いてある。中央図書館のように、どこも開館時間が長いわけではないことを、忘れないように。

東村山駅から廻田図書館は、歩いて30分程かかる。地球の裏側で、いや、そこまで行かなくても、例えば、オーストラリアに住む人が、この日記を読んだら、どう思うのだろうか。その人の考える東村山駅と、その人が勝手に想像する廻田図書館は、この世にはない。けれど、その人の頭蓋骨の中にはあって、どうにか取り出して、見てみたいと思う。僕が、少しだけ早足になっていた道中は、上り坂しかないという印象で、辛い辛いと嘆いていた。秋になって、涼しくなってきたと言っても、夏に怠けた身体が、運動それ自体の強度に負けてしまう。

だから僕は、「ポストモダンの共産主義」を借りた。あったから借りたのだ。中央図書館にも、ジジェクの本はあったけれど、手に取って、難しそうだったからやめたのに、それは、手に取る前から借りることを決めていた。行動を律する原理のようなものがあると、勘違いしている僕は、とんだ勘違い野郎だ。実際は、あまりにも適当に生きている。

「今では誰も、哲学の棚から本なんて借りないからな」という声が聞こえた。その通りだなと思いながら、来た道を戻ると、その傾斜がいきなり上りで驚く。上ってきた辛さばかりを覚えていて、下りの快適さは、下っているその間に、なんと、忘れていたのだ。

人の頭ってのはさ、当人に都合が良いように構築されるんだってことを、知っといてほしい。特に、十代の君にはさ。一旦建てられてしまうと、解体の難しいビルだ。あらゆる鉄球を跳ね返す。頑なな態度に負けたとて、諦めてはいけない。昔はもっと酷かったんだぞ、ハラスメントとか!心がキレ続けられていれば、世界は変わるぞ。

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とても、書けなくて困っている。

いつも変なことばかり書いて、それで面白いかといえば、ただの目眩しにすぎない。つまらなさで、嫌になっている。それなのに、どの面下げて、何を書けばいいのだろう。分からなくて困っている。

日は長くなったり短くなったりするものだが、すっかり短くなったというのに日中は、とても暑いので驚く。すれ違う人々の、服装が軽い。喫茶店の表に、まだかき氷の張り紙がしてあるのも、当然といったような陽気。カレンダーに従って、もっと涼しくなってほしいところだ。

写真館の飾り窓で、どこかの家族が団欒している。カメラの後ろから、「笑顔をください」と声がかかったのだろう。姉と弟は、いつもと違う両親の雰囲気にかしこまっていたし、父と母は、その直前に口喧嘩をしていて険悪だった。とか、そういった事実が仮にあったとしても、その瞬間は記録されていなかった。ただそこには、理想的な家族像を体現するような一家が写っていただけだった。

笑ってくれと言われて笑うことも、近頃では、かなり少なくなった。写真を撮られる機会がないからだろう。でも、笑わなくなったというわけではないから、そこまで悪い暮らしではないと思う。一人で歩いていても、特に寂しさは感じていない。しかし、小学生の頃には、毎月自主的に図書館へと通うようになるとは、想像だにしなかった。そこは、授業で調べなければならないことがあるときに、仕方なく行く場所だった。本も好きではなかった。

それが、毎日のように文章を書いて、本も読むようになったのだから、すごい変化だと思う。一夜にして目覚めたわけではなく、ショートカットをしたわけでもなく、すごろくのマスを一つずつ、亀の歩みで駒を進めてきた。

そのようにして、たどり着ける場所があることを知ったのは、あの山登りだ。クラスみんなでバスに乗って、ハイキングに行った。山の名前は忘れた。小学3年生の体には急とも思える坂を、延々と登った先にだけ山頂があった。堆積した落ち葉に隠れて、ごろごろと石が転がっていた。息切れをしてもまだ、道は続いていた。その時、僕の頭にあったのは、ヤクルトスワローズの主軸であった岩村明憲の座右の銘「何苦楚魂」で、この言葉を何度も繰り返しながら、山道を歩いた。一歩ずつしか進めなかったが、それでも、一番上に着いた。

水筒に詰めた氷は溶け切ることなく、見晴らしの良い広場で、冷たい麦茶を飲んだ。お弁当も食べ終えてすぐに、帰途についた。下り坂になった道を、音速で走った。そのことを20年越しで書いた。過去に助けられたって感じだ。過去よ、ありがとう。

ブログ「いらけれ」

ついに、構成の渡辺君が「深夜の馬鹿力」を辞めたことについて、とか、思っても言わないことだらけで過ぎる日々。さぼってばかりの一日を終え、体を横にしても、近頃は一つの夢も見ないから、現実だけが続く生活は、拙い映画のようで、息が詰まってしまう。搾取し合う人々の上を、ジェットセッターが飛ぶ。誰かの悪夢のような光景が広がっている。手のひらに収まっている機械で、少し不思議な形の雲でも撮って、死んでいければいいのにね、みんな。

流行りの映画の話題に轢かれて、昼下がり、動かない歩道にしがみついていた。感情と所持金がゼロ。それでもアップルミュージックは、ダウンロードしたはずの曲が再生できなくて、息絶えそうになる。日差しは夏みたいで暑かったし、季節がすっぽ抜けたムードが漂っていた。視界に飛び出してきた蝶々は、轢かずに済んだ。嘘みたいだが、生きていた。双子の兄も、幼馴染みもいなかった。伝わらないパロディをした足元に、それはあった。
寂れ街なので、シャッターは閉まってばっかりなのに、建物の工事をしているとビビる。何か新しい計画でもあるのだろうか。工事現場の前の道に、アイスの袋が落ちていた。「白バラ牛乳バー」と書いてあった。二度見した。見覚えがなさすぎたし、外連味がなさすぎたから。この現実世界において、それだけが映画の小道具みたいだったから。
まず、「白バラ牛乳」を知らなった。鳥取県で愛されているらしいよ。最近は、県外での知名度も上がっているんだとさ。あれ、みんなは知っているのかな。お初にお目にかかった、パッケージに描かれたぼってりとして白いアイスは、とても美味しそうだった。そうだ、今度見かけたら買ってみよう……って、どこで売ってんの?

もう一つ、フィクションが現実に染み出してきたのかと思った例を、あなたに話しますね。
すっかりラグビーの面白さに目覚めてしまった僕は、過去の名場面を集めた動画(公式の奴ですよ)を見たり、ネットにアップされた記事を読んだりしていたわけです。その流れでウィキペディアも読んだのですが、「ラグビーリーグ」のページに、この競技はオーストラリアで3位の人気を誇る、ちなみに1位は「オーストラリアンフットボール」って感じの記述があったのです。
「君は『オーストラリアンフットボール』を知っているか」
僕は、ユーチューブで試合の動画を見て、ぶったまげましたね。小説とかコントの設定でたまにある架空のスポーツみたいというか、SF映画に出てくる未来のスポーツみたいというか。とにかくフィールドがデカいし、その中に選手がいっぱいいるし、両端にポールが4本立ってるし、ルールが色んなスポーツを混ぜた感じだし、点数の入り方がよく分からないし、でも観客がめっちゃ入っているしで、すごく作り物みたいなの。マジで一回見てみて!


Richmond v GWS Highlights | 2019 Toyota AFL Grand Final