ブログ「いらけれ」

今の私が物凄く落ち込んでいるのを私は分かって、しかし、その理由が上手く掴めないでいて、人々の愚かさにうんざりするのは常だから、おそらく身体的な不調によるものだと考えているのは、長く日記を付けるなかで得た知見がそう教えているからだ。気温や湿度、もしかしたら気圧が、花粉症は確実に、とにかくそういったものから、運動不足や体重増加によって内側から潰れるような、もっと対処しようのない、何かしらの偶発的な病が身に降りかかっているのかもしれない。心が動く前に立つ腹が、のぼせる頭が心を動かしていると知ること。深呼吸の後、ストレッチでもしなさい。

これだけ進歩した時代に、あったこともないと言えばなくなるような、合理ではなく信仰が勝つのか、これがいわゆる再魔術化なのかもしれないが、そうした時代精神に興味があるというか、そちらにしか興味がない。信仰に生きる人々に合理化せよと言って合理化するのならば苦労はない、言っても仕方がないのならば、仕向ける方法を考える他ないのだから。

覚えていたはずのことも忘れてしまったなあ。いろんなことを考えていた気もするが。ボートレースには、どの選手をレースに起用して、どの枠に配置するかを決める"番組マン"と呼ばれる人がいるらしいと知り、まあ、少し考えれば、誰かが決めなければならないことぐらいは分かるとはいえ、世の中にはさまざま仕事があるのだなあと思った。やってみたいけれど、なり方が一切分からない。あと、死亡事故が少なくない競技であることを知ってレースの見え方が変わったり、笹川良一が設立に重要な役割を果たしていたんだ、へーと思ったりした(日本史は苦手だけど、戦後史には興味がある男)。お金をかけていない今が一番楽しい……とは言わないけれど、幸せなのは間違いないだろうな。
それで、夕方のニュースでは中居くんが会見をしていた。矢野利裕さんはどう見たのだろうと思った。あの砕けた雰囲気の会見は、キムタクには出来ないものだろうなと思った。アイドルのほとんどは、自分たちで組んだわけではなく、誰かに集められたグループだ。『少年ハリウッド』が好きな私でも、こんな単純な事実を失念してしまいがちだ。何の因果か集められた彼らに、私は、もしかしたらあなたもそうかもしれないが、なぜ仲良くしていてほしいと思うのだろう。強い絆で結ばれていてほしいのだろう。クラスの同級生や会社の同僚といった偶然の隣人が、これほどまでに嫌いな私たちなのに。いや、それほどまでに嫌いだからこそ、彼岸の存在である彼ら(アイドル)には、仲良くしていてほしいのかもしれないと、そう思った。

ブログ「いらけれ」

電車に乗っても、上げるほどの荷物を持っていないから、まだ網棚に網が張られているのかどうか、どう思い出しても分からない私が捨てられた、あるいは忘れられた雑誌を見つける。今ではもう、雑誌が置きっぱなしになっていることもないのか、ホームのベンチの上にも、ホームの外の草むらのなかにも。
雑誌は何でもいいし、雑誌じゃなくてもいい。とにかく、誰の物でもなくなった紙の、その上のインクだ。あなたは、網棚の上にわざわざ手を伸ばして、それを取って、時間つぶしに読んでみると、意外なことにこれが面白い。いや、面白いというほどでもない。美味しいというほどでもないおかずだ。きんぴらごぼうだ。毒入りのつぶやきを摂取するぐらいなら、絶妙にどうでもいい付け合わせを食べておいた方がいい。それだけのことを、多くの人が忘れてしまう。
つまりだ、私はその程度の面白いことを書きたいと思っているのだが、この"その程度"に達するのがいかに難しいか、その辺りは一応プロ(本当にプロなのか?)だから知っているつもりだ。読み捨てられる文章、そして誰かに拾われるかもしれない文章、たったそれだけのものにだって矜持は隠されている、気が付かないだけで。気が付かれなくていいと思って書いている。かけた時間や労力が、どれだけ大きなものだったとしても。

目が痒い。目が痒いことによる生産性の低下。ひりつく粘膜がやる気を削いで、どれだけの砂が下に落ちたか。逆さにして、もう一度もう一度。そうやってまた長い時間が経って、山から湧き出た水が川になって、花が咲いて枯れて、おじいさんが赤ん坊に生まれ変わった。そのような自然に対する捉え方が変わってきたのだろう。環境問題は確かに興味深いなと思った。それは科学で、与える影響が大きくなったということもあるけれど、これまでであれば天変地異と呼ばれていたものが形を変え、私たちが介入できる対象とみなされるようになった。人間が天と地を恐れることはなくなり、それを破壊しかねない自分たちの失敗を恐れるようになった。誰かが言ってそうなことを書いてしまったのは、偏に花粉症のせいだ。

あと、よくテレビに出ているどんな家電でも修理してしまうプロの人の密着を見て、人間は分業することによって発展してきたけど、機械が進化すると逆に集約されるんだなって思った。電話でテレビを見てラジオを聞く、無限のカセットテープに音楽が入っている。すごい話だ。夢の汎用機が存在する世界は、汎用機が見る夢の世界のようにも思えるね。

ブログ「いらけれ」

後藤さんの数少ない良いところは、話が分かるところですよね。謎に守備範囲が広くて、知らなくて良いことまで知っている。好奇心で生きている。タイムラインに住んでいる。ウマグマをご存じか。ピンク・フロイドのアルバムではない。走る様子がウマに似ているから名付けられたというクマ。ネーミング、適当ですね。
しかし、この能力とまでは言えない何か、知らず知らずの内にさまざま知識がインプットされているという性質は、伸ばし方も活かし方も分からないのだ。そんなの無いのかも。子どもの頃からそうで、でも、テストの点数が抜群に高かったりはしないわけです。得にならないし、金にならない。ただし、会話を盛り上げるのには役立って、宴会で重宝されたりはするわけです。それだけなので、友だちは少ないけど。悲しい。
とにかく、私は使われたいのですね。せっかくなので、ATMみたいに利用されたい。話を"お引き出し"て欲しい。その一つの表れとして哲学カフェがあり、俗に言う裏回しをしたりしているのだ。酔狂ですね(ちなみに、今度は裏ではなく表をやるという噂で、私の脳内の私たちが持ち切りだよ。恐ろしいよ)。

体験記とか、そういうのが受けるんでしょ?稼げるんでしょ?という読者を舐めた態度ですよ。ボートレースを趣味にしようとしているのも、GABAを摂取しようとしているのも。体験記は簡単なんですよ。書いてみれば分かるけど、あったことをそのまま書けば良いんだから。政治的に正しいことを伝えるのが小説なのだろうか、人間を描くのならば、当然のように居座る悪や、私たち自身も気が付いていない差別心を描かなければならないとして、最後には遠山の金さんが出てきて成敗しなければならないのか、すでにそうなりつつあると言え、悪の正体も掴めぬままに世界は、不完全な勧善懲悪に向かう……とか考えなくて良いんだから。それでGABAですよ。近所のスーパーとかドラッグストアを回って、それほど多様な商品展開が行われてないことを知りましたよ。迷いに迷って2時間ぐらい歩いて、結局コンビニで、どこでも売っていたグリコのチョコを買って、家に着く直前に小さなスーパーに寄ってみたら、コンビニより10円以上安い値段で売っていて、それが最大のストレスでしたよ。パッケージに「ストレスを低減する」って書いてあるのに!
食べてみましたけど、味は普通に美味しかったです。寝付きもいつも通りでした。以上、体験記でした。

ブログ「いらけれ」

砂煙をあげて消えたい。「こんなの誰が読むんじゃ」と思いながら書くのが辛い。「そういう0か1かみたいな~パソコンの使いすぎなのではないでしょうか」という文章は、コンピューターが二進数を使っていることにかけているわけだが、読む人が分かってくれてるのだろうか、と考えるのがストレス。そこで登場するのがGABA。すごい宣伝感、まるで青汁のCMだ。「しじみ習慣」のCMは箍が外れている。「しじみチャンス」って何だよと見るたびに思う。

ストレスに効くとかリラックスできるとか、そういった効果を信じているわけではない。むしろ疑っている。しかし、溺れる者は藁をもつかむ。そうやって騙されていく。騙されたい。偽薬効果を期待するというねじれ現象。部屋にゴミが増え続けている。朝になっても眠れない。綺麗な部屋でぐっすり眠りたい。どこかがおかしくなっている。お菓子食って太る。

金を使いたい。金を使うしかない。ストレス共々消費したい。グレイソン・ペリー『男らしさの終焉』を買うために国分寺に行った。ネットで買ってもよかったが、早く手に入れたい理由があった。その理由はいずれ書くだろう。気長に待っていてほしい。とにかく国分寺に行ったがなかった。あれだけ棚があったのに。何を置いているのだろう。この辺りが折り返し地点だ。大きなコーンが置かれている。競歩の選手が来ては去っていく。

それで西国分寺まで行った。毎日毎日、アンケートに答えては数円を貯めているというのに。矛盾は分かっている。駅前のビルのエスカレーターを上がったところにあるBOOKS隆文堂にはあった。なんとなく良い品ぞろえだなと思った。本屋の好き嫌いってあるよね。僕が好きなのは、欲しいと思っていた本と、知らなかったけれど良さげで、欲しくなる本が並んでいる本屋。既知とも未知とも遭遇したい。

愚かしいのは生まれつきだから諦めている。こういう風に明日も語る。未読の本が積まれていく。気を抜けば、『男らしさの終焉』もその中の一つになってしまう。読む必要がある。がある。ガールではなく、かといってボーイでもなく、もう僕という一人称を使うのはやめる。「あそこん家のピザ食うのはもうやめる」。今死んだら困る。私によってあつらえられた図書館がある。時間が欲しい。時間があったら本当に読むのだろうか。急激に増えたアクセス数で、中邑真輔が「スッキリ」に出たことを知る。どこかに行ったGABAの話は明日する。あなたは明日も読んでくれる?