ブログ「いらけれ」

夏にきりっとした空気を味わえるのは、この時間帯だけで、実際にはきりっとしていないのかもしれないけれど、冬と比較さえしなければ、マンションとアパートの間を抜けてきた風は十分に心地よく、それは、私の皮膚に感覚があることを意味していた。家の前のゴミ集積場は金網で作られていて、鍵のかかったドアに貼られている紙には、「見てるぞ」という言葉と共に、人間の目の不気味なイラストが描かかれている。誰のものでもないはずの、その目が見ているのは私たちで、そしてその目は、同時に私たちの心のなかにあった。私たちは、私たちを見ていた。

水気のない青いゴミ袋の陰から、一匹のごきぶりが這い出してきて、そのまま道路を横切ろうとしていた。街で出会うごきぶりは、家のなかに現れるごきぶりとは、まるっきり別の虫なのかもしれない、と思う。部屋のごきぶりは大きいし速いのだけれど、道端ではそこまで大きく見えないし、スピードも速いとは感じない。部屋と街の間には壁があるだけなのに、そこにおいて認識される空間のサイズが、大幅に変化しているのだろう……か。それとも、どこへでも行けるのだから、わざわざこちらに向かってはこないだろうという予測で、安心しているだけか。

そうして私は、しっかりと閉めたカーテンの隙間から漏れる朝の光のなかで死ぬ。睡眠は夢に邪魔されることなく続き、私は見慣れたゲームセンターで、大昔のシューティングゲームに興じている。唐突にカメラが引いていき、そのゲームセンターがスーパーマーケットのなかにあるゲームコーナーだということが分かる。身体に服がまとわりつく不快さで、タイマーで切れたエアコンのスイッチを入れる。スマートフォンのアラームに先んじて目覚めたら、早朝が朝になっている。管のなかで温められていた水道水で顔を洗った私は、夏の一日は長いなあ、と思う。これからまた、今日を生きなければならないのか。

ブログ「いらけれ」

夜。公園。月の光。8月の1週間が過ぎた。やっと夏らしくなった空気をマスク越しに吸い込んで、吐き出して、ようやく声になる。

すっかり暗くなって、この場所には僕たちしかいないのに、予想に反して騒々しい。蝉が鳴き止んだ後に鳴く虫がいること。微風に木立が揺さぶられる音の大きさ。木の影も揺れている。夜のなかの黒にも濃淡があることを、僕たちは同時に発見する。街灯のない向こう側よりも、夜空の方が白くて、そこを飛ぶ鳥の方が黒い。あったことのない人がたくさん生活しているから、マンションの明かりがある。生活音は聞こえない。

聞こえていないかもしれないと思ったから、声が少し大きくなった。僕は、この時の会話を書くことができない。感情だけが流れていた。僕のことを悪く言うのはなぜだろうと考えていた。傷つかないと思っているからだろうか。それとも、嫌われてもいいと考えているからだろうか。むしろ、嫌われたいと思っているのだろうか。それならば、どうしてここに来たのだろう……なにも分からなかったけれど、それで良かった。

嘘ならば、いくらでも本物らしく言えるのに、本当の気持ちを言葉にしたら、嘘みたいだった。だから人間は分かり合えないのだと知った。それはすでに決められていたことで、逆らえない運命だった。分かり合えない不幸は、しかし、分け合うことはできた。「誰と不幸になるか」という問題を前に、僕たちはお互いを選んだ。

ブログ「いらけれ」

精神的な不調です。でもね、好調な日なんてないんだから不調が普通で、異常が日常なんです。

今日は『これやこの サンキュータツオ随筆集』を「幕を上げる背中」まで、『不安の書 【増補版】』を59まで読み進めることができた。良い感じだ。それで『ウィトゲンシュタインの愛人』を購入してしまった。出るより入る方が多いから、未読本の山は大きくなる一方で、でもそれに幸福を感じてもいるから、とても厄介だ。これから読む予定の本だけが、僕を待っている。

あと矢野利裕「生徒を「社会」から切り離すな。オンライン授業が進む中でも忘れてはいけないこと」も読んで、「どもりや対人恐怖とともにあるようなコミュニケーションがありえます」にそうだよなあと思った。オンラインを良いことに(?)きつい言葉を使う人もいて、もちろん、身体的な暴力の脅威がなくなることの恩恵もあるのだけれど、身体が置き去りにされたコミュニケーションしかないのも、それはそれで問題なんだなあと感じているところです。

それと柴崎友香のコラムをまとめて読んで、やっぱめっちゃ良いなあと思った。「違うかもしれない」の"自分以外の人の身体感覚は体験できないから、違いを伝えるのはとても難しいし、そもそも、違うことに気づきさえしない"という箇所は、最近考えている「多様性」という言葉の問題にもつながると思った。ぱっと見で分かる違いにばかり注目してしまうと、違いのなかの違いや、隠れてしまいがちな違いを見落としてしまうから、気をつけなければいけないと常々考えている(そんなこんなで、次に買う本は『百年と一日』に決めた)。

兄のお下がりの自転車に乗って下校していた僕の目が、高い橋の上から川岸の小さな点を捉えた。あそこは"いつもの場所"で、その正体がすぐに分かった僕は、考える前に自転車を停め、気がついたら走り出していた。
スラックスが汚れてしまうのなんてお構いなしに座る後ろ姿は、教室のドアに消えたそれと同じだから、ためらう。でも、ここにいるということの意味を信じるのであれば、口を開くという選択肢しか残っていないように思えた。
僕たちにはこれまでの時間があり、お互いの苦しみを共有してしまった。それが息苦しさの原因で、しかし僕たちには、このように息苦しくなれる友人は他にいなかったのだ。「ごめん」は、後ろ姿の向こうから聞こえた。僕は、小さな笑顔を連れて隣に座った。

ブログ「いらけれ」

誰も読んでない日記で、大事な話なんてするかよおー、うおーという気分になっているが、怒っているのも馬鹿らしいので僕は怒りたくないのだけれど、怒りたくなるようなことばかり起こるんだ、うおー。

それに、めちゃくちゃ高い買い物をしたって話も、うっかり書き忘れている。でも、もう少しだけ秘密にしておこう。隠し事は生活の彩り……でしょ?あ、でも「めちゃくちゃ高い」って書いちゃうと、ウン十万な感じが出てしまうから、「僕にしては、かなり高額な買い物をした」と訂正しておこう。うん。

窓ガラスは夕日を通すから、肘をつく机がオレンジ色に染まっている。この教室には、もう誰もいないから、僕は一人だ。目を閉じて、たった一人の頭のなかで繰り返す。荷物の入った青い鞄を持ったのを見て立ち上がろうとした僕を手で制した後に、「じゃあな」の前に、その口から出てきた言葉を。
全員が揃っている教室で、僕は一人になった。仰向けになって空を見ていた身体に、痛くないところはなかった。部屋から出なくなったのは、時間に解決させるためだった。部屋にはパソコンがあり、本があり、CDとラジカセがあった。やがて義務教育の期間は終わった。
言うところによれば僕は思慮深い人間で、僕といると、自分を薄っぺらい人間だと感じるのだそうだ。僕が返そうとしている言葉を、聞きたくないという素振りで振り返った後ろ姿は、すぐさま扉の向こう側へと消えてしまった。
僕が、本当に思慮深い人間になれているとしても、それは生まれつきの才能なんかではない。世界や人生について考えているのは、死なないでいるための理由を探していたからだし、親切でありたいと思うのは親切にされなかったからで、積み重なる不幸と苦しみのために、僕はこうならざるをえなかった。
こうなるしかなかったけれど、こうなりたくはなかった。幸福で、底の浅い人間が良かった。目を開けたら、感傷的になったからか、日が暮れていた。帰ろう。たとえ一人だったとしても。