色褪せたジーンズを履いて、安物のポロシャツを着た私は、一人を収めるものとしては大きな傘の下にいた。直射日光はアスファルトを熱し続けているから、上を遮っても暑くてたまらないことに変わりはないけれど、それでも十分に快適だ。
言葉はかたまりでやってくる。しかし、ただぼんやり待っていても、私の元には訪れてくれない。待っていても来ないと知らない私は、いつまでも書き始められない。だから私は、言葉を呼んでみる。おーい。
言葉を読んでいる。5冊の本を並行して読んでいる。とりとめもなく。デイヴィッド・マークソン『ウィトゲンシュタインの愛人』、サンキュータツオ『これやこの サンキュータツオ随筆集』、フェルナンド・ペソア『不安の書 【増補版】』、高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』、テッド・チャン『あなたの人生の物語』。あと、アイドルについて考えるきっかけがあり、書棚にあった『ジャニ研!』も再読中。
一番終わりに近いのが『あなたの人生の物語』で、映画『メッセージ』の原作となった短編も読み終えたのだが、その映画を見ていない私は、これをどうやって映画にしたのだろうと、もちろん面白くない映画ならばいくらでも作れるだろうけれど、これを元に面白い映画を作れるのだろうかと、今から映画を見るのが楽しみだ。
「小説を読むと、心の声がその文体にな」ってしまう私だから、『ウィトゲンシュタインの愛人』で考え事をしているときがあり、内側の声が「~だけれど」などと言うから、小説の混ざった私が形成されつつあることに、私が驚いている。
それで図書館に行ったら、たくさんの本があるにもかかわらず、読みたいと思える本は少ないのが常なのに、たくさんの本を読みたいと思ったから困った。もちろん、読みたいと思った方のたくさんは、図書館の本のたくさんよりもずっと少ないのだけれど。赤瀬川原平と精神科医の大平健による文章術の本を借りた。
私たちには「人並みの幸せ」の後ろ姿がばっちりと見えているから、苦しんでいる。しかし、あらゆる普通の足し算とわり算には、もう死んでしまった人たちの幸福と不幸は入ってないから、私は幸せ者である。こうして、それまで悩んでいたことのすべてが、一瞬で、どうでもよくなった。