ブログ「いらけれ」

中学校の近くの、ポプラの系列だったらしいコンビニが閉店した。閉店に際して、たまたま前を通った父は、オーナーから開店から閉店に至るまでの経緯を聞いて、安売りされていたビールを買って帰ってきた。そのオーラルヒストリーを、僕は、勝手に書くつもりはない。
古くからあった商店街にあった寿司屋は、僕が行く前に閉店した。スタンドアローン系の100円ショップも、ライブスペースのあるバーも閉まった。これだけではなく、続々と街から場所がなくなっている。
新しい元号が始まるということは、それまでの元号が終わるということだ。個別の事情は、もちろんそれぞれにあっただろうが、元号が変わるということが、閉店のひとつのきっかけになったのではないだろうか?
終わる、終わるということ。その先が、次に何を作るか決まる前に、終わっていった場所も多い。これからどうなるんだろう?”明るい未来”など、僕にはさっぱり分からない。

楽天カードを作ったんで、新規入会のキャンペーンで、使うとポイントが貯まるということもあり、あと、auの2年契約が更新になったタイミングで、auのショッピングサイトとかで使える3000ポイント分のギフト券をもらったということもあり、気が大きくなっていると書けば、なんだか度量が大きくなって良いみたいだが、単に浪費しそうでいけない。皮ボロの財布を買い替えようとしているのは、まあ、許容するとしても、散歩中になぜか、新しいパソコンを買おうと考えている。戒めのために、自分が置かれている非正規的な状況を思い出し、金はないぞと気を引き締める。……うん、正社員になれたら買おうかな(ダメだこいつ)。

小難しい話をしているとき、小難しいことを考えているとき、「明日死ぬと知っていたら、こんな話をするだろうか」と思うことがある。それはつまり、私たちは普段、明日死なないと思って生きているということだ。未来があることを前提に、僕たちは喋る。でも本当は、自分に先がなくても、身近な存在として、未来ある他者としての子どもなどがいなくても、いずれここに生きる誰かのために、考えなければならないことだってあるのに。しかし、明日死ぬと知っている人なんて、そうそういない。このように考えるために、仮構された空想上の人だ。トロッコ問題だってそうだ。実際に、そんな場面はない。考えやすくするためだけに、人を殺すなんて、とてもずるいな。


SPARTA LOCALS『APOLLO』

君の友達となんか
ウマが合わないのなんで?
そんな事考えんな 情けない

ブログ「いらけれ」

「ぷらすと」が終わるってなって、いろんな人が、それこそ今や大スターのだーりおまでコメントしていて、目頭が熱くなる思いだったわけだが、だけど、そういうものを見るにつけ、無力感が増していく感じがあって、それは、「それなのに終わってしまう」ということで、これは、明らかに不備のある法案が通っていくときに感じる無力感に近い。
つまり僕は、いつも同じことばかり言っているが、良いと分かっている人の間で、その良さを確認し合っていてもしょうがない、それでは終わってしまうわけで、良さをどうやって向こう側に届けていくのか、向こう側との回路をどうやって用意するのかということこそ、真剣にならねばならないし、方法を発明しなければならないと思っている。

結局、どれがお得なんですかと、何が一番お得なんですかと、いろいろ調べたら余計に分からなくなった。たぶん、おおよその支払いにおいては、僕の手持ちならば、楽天カードでチャージしたau WALLET プリペイドカードを使うのがよさそうだ。しかし、お得を追い求める者としては遅れているのだろうが、「Kyash」というものを見つけてしまった。これが何なのかは、僕に説明できる能力がないため、各自調べてもらいたいのだが、例えば、楽天カード→「Kyash」→楽天ペイと、どんどんとマネーロンダリングみたいなことをすれば、最低でも3.5%の還元が受けられるという。
で、これを使うのか、ということなんだ。僕は、使わないことにした。そんなの、もういいじゃないかと思うんだ。こういうことに、必要以上に頭を使うのが面倒だというのもあるし、そもそも、そんなに買うべきものだってないし。なによりもまず、目の前に50ポイントとかぶら下げられた瞬間に飛びつきたくなるけれど、道に落ちてたら拾うか?いらない面白グッズを100均で買うのをやめたら?という話だし、その時間を活用し「アップル」を作って、一攫千金を狙えって話だ。
ポイントは、お金よりも使える場所が限定的で、劣っているはずなのに、なぜかお金よりも価値を感じてしまっている自分を見つめる。その認知のおかしさを分かっていなければならない。

ついに、ウイスキーをコーラで割ってコークハイにするように、エナジードリンクで割って飲み始めたから、「ははーん、後藤さん人間をやめる気だな?」と察しがついた。それに違いねえや。

ヤクルトの五十嵐が、ヤクルトの五十嵐としては約10年ぶりに勝利投手になった瞬間は、あの時も生きていて、そして、ここまで生きたから見られた。死んでしまっていたら、メジャーリーグから帰ってきた青木の延長12回2アウトからの代打サヨナラホームランも、田中浩康が解説者として話している姿も見られなかった。死んでしまって見られなかった人の代わりに、まだ生まれてなくて見られない人の代わりに、生きている人は生きているかぎり、歴史に証人として立ち会っていく責務がある。

ブログ「いらけれ」

昨日の文章というかさっき書いたんだけど、君はなんでそういうことをするかね。そういう文章しか書けないのかね。違うんです、僕だって真っすぐな、理路整然としたものを書けるんです。なんなら、そっちの方が得意で、それでおまんま食べてるんです。しかし、はっきりとクソくらえだね、そんなのは。クソみたいな仕事、クソみたいな会社。辞めさせてください(練習)、つか辞めてやるって。えへん。そりゃ、誰も読まないというね。著しいアクセス数の減少。正直、落ち込むようなことばかりだけど、今までもそうだったように、これからもなんとかするしか、だって、他人に期待できることなんて、限定的なんだからさ。負けないよ!

楽天カードが簡易書留で来るっていうから、朝からそわそわしていた。出かけたかったけど、受け取れないで再配達になったら面倒だから、待つことにした。一度、午前中に配達が来たが、それはCDだった。変わった形の段ボールに入れられて、届けられた『LIGHT CORAL』のリイシューを手に取って、じんわりと感動しながらも、「前に中古で買ったときは2万もしたんだよな……」と、余計な思考が湧き上がってくるのを、必死に抑えていた。ネットで見られる配送状況は、朝から持ち出し中になっていたが、昼間に一度それが消えて、郵便局で受け取ったというところまで戻って、どうなっているんだろうと心配していたら、数十分後には、また持ち出し中になって、午後3時に玄関のチャイムが鳴った。それから散歩に出て、強い風に散る桜を見て、帰ったらポストにわさび風味のミックスナッツが入っていた。開けて食べたら、思ったよりも辛かったけど、おいしかった。
『LIGHT CORAL』を注文したのは4月が始まってすぐ、楽天カードへの申し込みは3月の終わり、ミックスナッツは3月の中頃に頼んだものだ。ばらばらの過去から、それらはすべて、同じ日に僕の元に届いた。このことが示すように、あらゆる人間の人生は例外なく、決断と偶然が混ぜ合わされたところに立ち現れる。

縁石とかによく乗るんです、僕。道の。とくに意味もなく。あと、ちょっとした段差を上るときに、ちょっとしたジャンプをしたりするんです。僕はまだ、20代をやらせてもらっていて、ギリセーフかなとか、勝手に思っているんですが、実際どうなんでしょうか。あと、これから先歳を取って、責任のある立場になったとしても、わけもなく縁石の上を歩いたりするのだろうかと、例えば、カルロス・ゴーンは、階段の最後の一段を下りるときに、少しジャンプしたりするのだろうかと、そんなことを考えることのなかった子ども時代は、本当に良かったと思いました。


高橋徹也『人の住む場所』

いつか夢見てた自分と今は少し違う
あきれるほど広い世界の中で肩をぶつけ合う人達

ブログ「いらけれ」

現実が一番シビアだ。何よりも増してそうだ。結構、わりとマジで、うまく動かない脳と心を引きずって、どうしようか悩んでいる。だいたいのことは、自分が悪いのだけど。生活がきゅうきゅうとしているのは、一方では、週に5日働くことの出来ないダメ人間だからだし、そして大したことのない大学にしか行けなかったことで、まともに就職できなかった(できない)のは、中学校に行けないダメ人間だったからだ。なんて夢のない話をしているんだろう、僕は。ずっと僕は、あらゆる局面で劣ってきたし、それはこれからもそうだろう。これから終わる人みたいになってるけど、終わったのは僕ではなく「ぷらすと」の方(一応、まだ「続きがある」という話もあるが)で、もちろんショックだけど、終わるだろうなと思っていたので、心の準備はできていた。

終わるのはおそらく、儲からないからで(儲かるならば、やめる必要がない)、でも、そこにこそ価値があるような番組だった場合、どうしたらいいっていうんだ。映画や音楽、アニメといったジャンルだけではなく、SFやNBAですら大きな話題で、キッチンカーやハワイ、サウナ、イスという「誰が聞くんだ(俺だ!)」というようなテーマまでエンターテイメント、あるいはカルチャーといった方面から語り、そして、こういったニッチな回の方が面白いという、30分だって黙って話の聞けない現代人に向けた番組としては、とても非効率的で不経済的な取り組みが負けていってしまうのは当然で、きっとニコニコ動画というプラットフォーム自体から人が去り、集客が厳しくなったというのもあったのだろうが、それは置いておくとしても、しかし、こんなことは始まる前から、いや始まった後でも分かっていたであろうことで、スポンサーしてきたのがメディア企業だから、行っている事業に関係する部分も大きかったとはいえ、ある種メセナ的な意味を持った、あるいは、そういった志を持った活動であったのは間違いのないことだろう。

僕は、金が儲かったこと、より金が儲かるようになったことを、良いこととして話す人や、そのように取り上げるニュースを、はっきりと馬鹿にしているが、それは、効率的に課金を集められるようになったソーシャルゲームと、何が違うのかという問題意識でもあり、「金が儲かる=良い」という等式が成り立たない程度のことが、分からない人々への絶望でもあるが、でも儲かっていれば、なにかしらの形で続けられるという良さがあるのも事実だ。とにかく、すべては終わるんで、終わったものを寂しいと言っていてもしょうがないので、寂しくて辛いなら、サイバーエージェントの藤田社長みたいに、自分が金持ちとか権力者になって、自分が理想とするものを作るか、『東京ポッド許可局』のように、自分が理想とするものを作って、それを別の誰かに認めさせてお金をもらう立場になるか、それしかないわけで、あと、「届ける相手のサイズ感と、オンラインサロン等のマネタイズを考えれば(こういう話し方をする人が、僕は嫌いだ)」、工夫の仕様はあったかもしれないし、生まれたときから生まれると思っていなかったように、あらゆることは常に、気づいたときには切迫した今として、9回2アウト満塁でマウンドに立つしかないんで、まあ、そうやって焦たまま10年20年かかるのかもしれないけど、番組も人も死んでも、理念や理想は、ゾンビのようにしぶといのでね。