本を読んでいるうちに眠っていて、目が覚めたら2020年が終わっていて、少し安心したような気持ちになった。いろいろなことがあって、それでも12月には希望も見えて、人のことを思うような心持ちにもなって、結果的には、ちょっとだけ人らしくなれた年だったけれど、やっぱり少し安心した。だからもう一度眠った。
二度目の目覚めで朝が終わっている。志村けんが死んだから、戦うお正月が所ジョージがメインの番組に変わっている。大根と人参と牛蒡を切る。今の十代は新春かくし芸大会を知らないという。雑煮用の鶏肉は、あらかじめ切られている。堺正章のテーブルクロス引きを思い出していたら、出汁が沸騰する。切り餅を魚焼きグリルで焼く。
初めて餅を焼いたときに燃やした。ふくらんだ餅がグリルの天井に届いて火がついたらしい。期待に胸を膨らませながら、グリルをガラガラと引き出して驚いた。ボヤだった。ボヤだなあと思いながらも、体はすぐには動かなかった。計量カップに水を入れて、ばしゃっと消火したら、真っ黒な餅が顔を出した。焦げてるなあと思った。
出来上がった雑煮は美味しかった。家庭料理に才能はいらない。レシピと顆粒だしを信じる心さえあればいい。生姜焼きやハンバーグ、唐揚げといったベタな料理はだいたい作った。肉じゃがなんて、もう”おふくろの味”から私の味になっている。もつ煮込み、バーニャカウダ、チリコンカンなどもレパートリーだ。必要は、発明とスキルアップの母である。まあ、母が亡くなったから必要になったんだけど。
いつもとは違うお正月。午後の陽光が、いつもより広くなったリビングに差し込んでいる。他にする人がいないので仕方なく、父の買ってきたあれこれをお重に詰めて、おせちとする。余った栗きんとんの餡をスプーンで掬って、これは役得と口に入れたら「んうー」と声にならない音が出た。これはもう人間の自然な反応なのである。全人類がこうなるはずだ。
これ以上、料理が上手くなりたいとは思わない。向上心はないが、幅は広げたい。死ぬまでやりつづけるだろう予感があって、引き出しは増やしておきたいと思うから、作ったことのない料理をたくさん作るというのが、今年の目標の一つ。