星の光が
面会できない私たちの世界。「人間はいずれ死ぬ」を受け入れられているつもりの人でも、他者に死が迫る姿を目にすれば、死の尊大さに驚くだろう。ましてや、この私の死を、この私が受け入れられるわけもないのだろう、と思う。想像と現実には、想像すらできない隔たりがあり、現実にならないかぎりにおいて現実は、非常な暴力性を隠蔽し続ける。
必要なものを運び込み、すぐに病室を出ると、忙しないナースステーションへと一礼して脇を抜けたが、誰もこちらを見てはいなかった。一階に到着したエレベーターから受付の前を通り、出入り口のホールでは、スーツの男たちが、病院に入ろうとする人々の体温を測るものとおぼしき、なにかしらの機械を設置していた。
消毒用アルコールはぬめっとしているのに、一瞬で手から蒸発してしまうから、本当に付けたのかどうかさえ疑わしい。自動ドアの向こうの真っ暗な蒸し暑さで、まだ居座ろうとしている夏の意思が十分に伝わってしまう夜の、一時間。ふと悲しくなり、それでもへたり込むことさえできずに、上を向いて歩く空には星。星と星。
病院からは何度も歩いて帰ったことがあるけど、こんな時間にはなくて、僕は歩く間に、自分の人生を振り返る前に、夜は朝になることを思い、それは明るい未来なのだろうか、それとも、星の明かりさえ届かない白夜のようなものなのだろうか。大きな墓地が通り道で、いつの間にやら、僕は墓地が怖くなくなっていることに気付く。死んだら善人は天国に、悪人は地獄に行くのでもないし、星になるのでもなくて、ただただ、いなくなる。これはとても大切なことで、ただし、やっぱり夜盗は少し怖い(そんなの、本当にいるのか?)。
ちゃんと生きている生き物は夜にも生きているのだ、白い羽根の蝶はよたよたと上下しながら飛んでいた。本物の夜の蝶なんて、初めて見た気がする。お墓を見飽きたころに出口があって、幹線道路沿いの歩道を進むと大きな音がして、道の先の邸宅の敷地内から火の手が上がったようだ、こちら向きに歩いてきた男女二人組が何事かと振り向いたころに、それが打ち上げ花火だと分かる。
人を縦に並べて、二人分ほどの高さがある豪華な門の下に集まった大人と子供が楽しそうにしていた。花火の、あの星のような光は、瞬く間に消えてしまったけれど、通りかかった僕の心には残り続けるだろう。俳句に詠みたい瞬間だな、と思った。
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