久しぶりに夢を見た、と目が覚めた。起きる必要がないから眠った。
『チャパーエフと空虚』は”花婿とは、アーノルド・シュワルツェネッガーのことだったのだ”という超面白い一文がある小説で、夢/幻覚が描かれている。
読んでいたからかもしれないが、私は知らないスーパーマーケットにいる。病室のような引き戸があり、その向こうに日用品の棚がある。日用品としか言えないのは、無数の商品が並んでいるからだ。一つ一つが潰れている。私は、それを扉を開けた瞬間に見た。
夢を見て、そこで見たスーパーマーケットなどなく、あるのは私の脳だけだ。それでも、私は私が見た、と言うだろう。私には、その光景が私のなかにあったという実感はなく、私には私が見たという実感がある。
つまり、私が家を出る前に、家の外が私の中にある。スーパーマーケットがあり、スーパーマーケットの店内がある。仮構された都市がある。私は、その虚構に無自覚だ。無意識の構えがある、だからこそ驚くのだ。予想がなければ、予想外はない。
私の夢を作ったのは無意識の私だが、その無意識の私に、私は会いたい。無意識は意識できない、意識できないものを無意識と呼ぶ。だから、無意識の私に会うというのは、叶わない夢だ。