体操と失格
仕事終わりに東京ドームの三塁側でヤクルトファンを謳歌できるほど水道橋に職場があって、しかし仕事は終わらないのである。休憩する暇もなく、じっと手を見る隙もない暮らし。
なんで生きてんだろか。分からなくなりそうだったから昼休みを捻り出して歩くと、すぐに神保町に着いて、通りすがりにブックカフェに入って見る棚に「頭の体操」と「人間失格」が並んでいる。
これまで出会わなかったであろう二人だ。並べちゃいけない感じがする。目に入った"体操"と"失格"が、対義語にさえ思える。
「頭の体操」が呼び起こす微温的な向上心と「人間失格」がイメージさせる前のめりなアンニュイがぶつかっているのだ、私は分からなくなった。
めまいで店を出ると夏さながらの日差しだ。そうだ。私には、体操も失格もいらない生活があったのだ。まあ、これはこれで悪くないか、と思った。
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