ブログ「いらけれ」

4日間ぐらい何も書けなかった。一文字も書く気になれなかった。その期間を経て、書いたのはこれではなくて、昨日のあれだった。よく分からないままに、あれが自分のなかから出てきた。書き始めたら、すぐに書けて、つまりそう、僕はきっと普通の顔して生きていてはいけないくらいには、頭がおかしいわけである。

書かないで何をしていたんだろう。いくらかのテレビを見たような気がする。いくつかの動画と、ラジオとか。あと、ずっとゲームしていたような気がする。片隅では、仕事探さなきゃって思いながら。歪んだ耳鳴りのような人生だって思いながら。ラーメンズが、ユーチューブに上げているコントを見ながら。

始めはサンドウィッチマンの動画を見ていた。次は東京03。その二つは、全部見てしまったから。前から上がっているのは知っていて、いつか見ようと思っていたから。でも実は、ほとんど全部、一度は見たことがあるんだ。なぜかって?そのことについては、少し物語があって、思い出があるんだけど、その話を読みたいって人はtgoto27@gmail.comまで、メールしてくれたら教えてあげるよ。

DVDを、一枚一枚見ているときには気が付かなかったことに、たくさん気付いた。これほどまでに、会話の文脈が読めない人コントがあったなんて。しかし、再生回数が10万回程度と少ない動画がほとんどなのは、なぜだ。ってまあ、テレビに出てないからなのだろうけれど。でも、せっかく見られるのだから、多くの人に見てほしいと思う。見て悪いものじゃないから、一応。

あと、歩いた。4キロ先のスーパーまで、そこに行って、あるアプリでログインすると、楽天ポイントが10ポイント貯まるから。他の日も、二度出かけたりして、1万8000歩とか、1万6000歩とか、スマートフォンの歩数計に数字が残っている。2時間か、もっと外にいたりして。

踏み出した一歩が教えてくれることは、なんだろう。痛い足の裏は、何を伝えているのだろう。とても冷たい風の日に、そのことを書かなかったら、次の日はもっと寒くて、書かなかったら、全部残らないなと思った。
目の前のことは、あっという間に塗り替えられて、あったことも思ったことも、すっかり忘れてしまう。

シバハマラジオの金曜日を聞きながら、それが終わるまで、夜の街を徘徊する僕が、中が明るかったから、初めて気付いた。扉の取っ手が、大きなバイソンの角のような、そういうバーを見た。これも、しっかりとそこに居た僕が、書いたことだ。


毛玉 – 暗夜行路

※これは、本当は「青い部屋」に付けたかった曲。二つに分けるつもりだったんだけど、やめたらから。でも、この日記にも合うんじゃない?

ブログ「いらけれ」

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ずっと昔に、そこにあった家は、今ではもう、なくなってしまった。見る人によって、茶色とも赤色とも言われた特徴的な外壁は、砕かれて取り除かれてしまった。でも、作られた時から、そうなることを予見していたのだ、誰しもが。
大雨が降らないと川らしくならない、乾いた川に架かった橋の側の、店頭に置かれた金魚鉢からいつも空気が出ている、表のガラスに「シベリヤ始めました」と張り紙がしてある、今では地面から雑草がいくつも伸びているあの角にあった和菓子の店になった家は、昔は商売なんてするつもりのなかった男が住み、長い時間の中で、家族を作った。男と結婚した女は、男が和菓子屋になったことに、心底驚いた。二人には息子がいたし、借金もあった。
息子の部屋は二階にあって、いつのころからか「勝手に開けるな」というプレートが掛けられるようになり、誰かに入られることを拒否していたが、中の様子はあまり変わっていなかった。小学生のころには宇宙にあこがれを持っていたから、宇宙がモチーフの壁紙が貼られていた。それはとても、青い部屋だった。
それらはもう何十年も前のことだし、すべてこの世界にない。家族はみな死んだ。彼らの事を覚えている人は、数えるほどだ。家は、いつか壊されることになるのだから、始めから作らなければよかったのだろうか。

「プロジェクションマッピング」って言葉を聞くと、いつも『インディヴィジュアル・プロジェクション』を思い出すよね。いつか、そう10年くらい前に読んだ阿部和重の小説。『ニッポニアニッポン』と一緒に、単行本になっていた。ユーザーネーム「パンダ君」として、毎日こそこそと活動して、インターネットの海に常駐している僕の現状は、『ニッポニアニッポン』のあの主人公と近いのかもしれない。とかいって、内容はほとんど覚えていないんだけどね。
つか、そんなことより、あのDMだろう。あれを早くなんとか処理しなければ。「いつもブログ楽しみに読んでます、今度会いませんか」って書いてあったけど、僕の見ているこれは、現実なのだろうか。こんなことが、本当に起こり得るのだろうか、僕の人生に。だから夢か、幻だとしても、でも会いたい。可愛い女の子だったらどうしよう。下心は、もちろんある。
でも、会ったところで、いつか死ぬし、絶対に別れることは決まっている。会ったことで、嫌な思いするかもしれないし。それなら、会わなければいいなんて、その時の僕は、これっぽちも思わなかった。だから、「会いましょう」と返信した。

ブログ「いらけれ」


GRAPEVINE「here」from 15th Anniversary live at NHK Hall (2012.09.26)

下心とか、あるのかなあ。僕は、自分の下心が苦手だから、下心なんて、ないことにしていて、でもきっと、それはある。彼女は、西友のセルフレジに入るところだった。何も買わずに出ようとする僕とすれ違った。顔を見た。そして、彼女も見ただろう。

彼女は転校生だったはずだ。そして、いじめられていた。汚いとか、菌と言われていた。それはそれは、ひどいものだったけれど、僕は何もしなかった。何を言うこともなかった。ほどなくして、僕は学校にいかなくなった。そういえば、僕も転校生だった。複雑な事情、危機、地獄、市役所の相談室などを乗り越えて、僕は生きた。そして、彼女も生きた。僕の知らないところで、彼女はどう生きたのだろう?

話しかけようと思ったのは、店を出てからだった。でも戻らなかったのは、単に勇気がなかったからだ。しかし、その時の勢いで、声をかけなくてよかったと思っている。いくらクラスメイトだったからといって、いや、むしろクラスメイトだったからこそ、声をかけられたくないかもしれないし、恐ろしいと思うかもしれない。嫌なことを思い出させてしまうかもしれないから。

下心があるのだろうか。それとも、単純な興味?あるいは、書くもののネタにしようと考えているのだろうか、僕は……。

「謝りたい」という気持ちは、なんて自分勝手なものなのだろう、と思う。今さら謝るなら、そん時止めろや。だから、とはいえ謝らざるを得ないから謝るとして、それはそれとして、なんかありがとうって言うと思う。そこにいることに対して。過去の行いを、救ってもらっているような気がしたから。

やっぱり、すべて自分本位だ。相手のためにならないのならば、このまま、すれ違ったままの方がいい。そんなことは分かって、でも、どうしても話してみたい。言葉を聞いてみたいと思う。何を言われてもいいよ、彼女にはその権利がある。

彼女の目には、あの世界はどう見えていたのか知りたくて、とても暴力的なことだと分かりながら、でも、今度会ったら声をかけてみようと決心する。迷惑、だよなあ。「お前は、この世にとって迷惑な存在だ」という内なる声を聞きながら、それでも決意したのだ、彼女の知らぬところで、勝手に。

駐車場のくぼみに水たまりがあって、そこに光が射していて、なぜかエメラルドグリーンに輝いていた。とても美しかった。僕は立って、それを見た。下心ではなくて、僕が話しかけることが彼女のためにもなると、そう思いたいらしかった。これは勝手な思い込みだ、僕は危ない奴なのだろうかと、この液体に問いかけたけれど、当たり前だが返事はなかった。

ブログ「いらけれ」

SNSがあってよかった、世界を幸福にしたって心から思ってる人って、何人くらいいるんだろう。これは僕だけかもしれないけれど、スマートフォンを触らないで死んでいくであろう人々が、羨ましいと感じるときがある。便利という名の不幸に投げ出されているみたいで、良いことは忘れやすいから。

『ラジオ寄席』でナイツの漫才を聞いていて、二人の声が調和してるなあと思った。音楽として、耳に心地いいというか。漫才に限らず、落語でもなんでもそうだし、口跡の音楽性ってあると思っていて、かなり大事だと思うんだよね。このあたり、音楽を分析できる人に、漫才を音楽的に捉えて研究してもらいたいなあ、とか思っていて、人任せだなあ。

野球を好きじゃない人はまったく知らないだろうけど、この頃は新人選手たちが「入寮」する時期で、アマチュア時代から注目されている選手だけじゃなくて、下位で指名された選手も含めて、持ち込んだ枕じゃないと眠れないとか、実は読書家で本をたくさん持ってきたとか、家族と一緒に来たその様子とかが報道される。寮に入るというそれだけのことが、エンタメになるの面白いなと思う。入寮エンタメ。

囲碁将棋チャンネルだったはずのテレビは、ベッドの上にあったリモコンに乗ってしまったはずみだろうか、いつの間にか釣りビジョンに変わっていて、新年を祝うスペシャルなのだろうか、船の上に座った釣り人は、段になっているところをテーブル代わりにして、緑色のそれにショートケーキを皿もなしに置いて、下に敷かれた薄い紙から剥がすように、フォークで器用に食べていた。あまりにインパクトのある映像だった。それだけに、現実じゃないみたいだった。だから、寝入る前に目をつぶっても思い出したあのシーンは、本当に本当だったのだろうか。

昨日はあのイベントに行かなかったし、今日はこのライブに行かなかった……って、心のコントロールに失敗している僕は、できなかったことを数えてしまう。そうなってしまいがちだよね。この一日だって、ちゃんと起きて、髭を当たったり、着替えて散歩に出たりしたのに!こうしてブログだって書いているし。まずは、できたことを自分で褒めていこう。それで、できなかったことは、今度できたときに、もっと褒めればいいのだ。


PUNPEE – タイムマシーンにのって (Official Music Video)

俺ってやつはいつも気付いた時は手遅れ
絵空事ばかりうつつ抜かして