ブログ「いらけれ」

今日も散歩していた。たかだか10楽天ポイントのために、立川市まで、4キロも歩いたわけではない。行き先はどこでもよかった、欲しかったのは言い訳のようなもので、目的地がなければ、2時間も歩くことができなかっただろう。疲れたといって、やめてしまったに違いない。遠くへ行くためには、目標を定める必要がある。ゴールを決めてしまったら、進んで行くしか仕方がないというのは、人生も同じだ(こういう、"それっぽい"言葉に騙されてはいけない)。

街を行く僕は、なんだかざわざわしていた。この日記を読みに来てくれる人が、ここ数日かなり多くなっていて、そのことの違和感がずっと、心の内にあったからだ。だって別に、特別なことは何もしていないし、何か特別なことが起こったわけでもないし、それに、いつもだったら1時間で到着するはずなのに、聞いていた『東京ポッド許可局』が終わったとき、まだ半分をちょっと過ぎたぐらいの所で、どうにもおかしい。ここはパラレルワールドなのではないか、いや、そうに違いない。

それで、パラレルワールドに迷い込んでしまったら、どうすべきなのかと考えていた。ドラゴンもゾンビもいない異世界について。でも、元の世界でうだつが上がらない、いつまでたってもパッとしない日々だったわけだから、むしろラッキーといった感じすらある。パラレって、よかった、よかった。

まあでも、パラレったわけではなくて、過去の自分が続けてくれたおかげで、無駄に積み重なったものがあって、グーグルの検索結果で上の方に表示されるようになったことで、クリックしてくれる人が増えただけだろうし、新しくアクセスしてもらうことも大事だけど、それよりも、繰り返し読んでもらえること、常連の人を増やすことの方がよっぽど重要ですよと、今は冷静になって考えられているけど、あの時は無理だった。僕は、疲れているのが分かったから、自分をケアすることにした。

何かに怒ってる人とか、人生に絶望してる人とか……事情は置いといて、疲れてません?というのはあって、とにかく、自分をケアすんのメチャクチャ大切。ケアの仕方を知らないと、大体なんか間違ったことするからね。それで僕は、ドクターペッパーと缶チューハイとチーズケーキを買った。帰ってきて、夕飯の前に空腹で、ウイスキーをドクターペッパーで割ったヤツを飲んで、ご飯と一緒にチューハイを飲んで、食後のデザートのチーズケーキを、皿に乗せて自分の部屋に持っていって、少し落ち着きたいと思って、横になった瞬間に寝ていた。体内のアルコールを感じた2時間で、途中で目を覚まして、体を起こそうとしたけれど、金縛りにあったみたいに動けなかった。なんとか覚醒したとき、「あー俺、なんか間違ったかもしんねー」と思った。

ブログ「いらけれ」

結局、サイトのリニューアルも、プロフィールの更新もしなかった僕へ。恥ずかしいね。でも、いろんなラッキーと、いろんなクリエイターによるユーチューブ動画のおかげで、割と元気出てきているし、来週までには、僕がなんとかしてくれるんじゃない?

「アジアカップ開幕!これからのサッカー解説の話をしよう!」
僕がめちゃくちゃ好きそうな特集なのに、これまで日記に書いてこなかったのは、当然聞いていなかったからで、1月11日の放送を、7月になってやっと聞いているのヤバいよなあ。
内容について言えば、そこまで深く分かりたい人ばかりではないとか、賢い人は少数派だとか、そうやって諦めるのはすごい簡単だし、世の趨勢はそっちに流れつつあると思うけど、手の届くところからアップデートしようとする意志を持っている方が、まだマシだと思った。

人狼を見ていて思ったのは、話されている言葉には、論理的な正しさとは別に、パフォーマンス的な機能があって、だから例えば、疑われている人を助けるようなことを言った人は、それが、一見正しいと思われる意見だとしても、疑われていた人とのつながり(「ライン」という言葉が使われる)があるのではないかと怪しまれることになるわけだが、このように、すべての言説には文字通りでは捉えきれない「意味」があるということ(行間という言葉が近いかもしれない)を、そしてその「意味」はある程度操作可能であり、人を騙すこともできるのだということ(または、その方法)を、プレイした人たちが学ぶ場になっているのだろうなあ、ということ。それが良いことなのか、悪いことなのかは分からないけれど。

あと、めちゃくちゃキャラが出来ているというか、他者からの見え方をコントロールしたいという感じがビンビンに出ているプレイヤーがいるんだけど、その人が、論理的にもキャラ的にも完璧に喋ると、逆に胡散臭く見えるのが面白いなと思った。人間というのは、破綻や欠陥から、相手を人間だと認識しているんだね。

煙草の煙の向こうを見ながら考え事するっていうのは、何かが違うんだろうなって思って、僕にも、煙草の代わりになるようなものがあれば良いのにって思った。ココアシガレットか。

褒められたって良さそうな気もしてる
人知れず強くなろうぜ俺達

FoZZtone『ベイビーゴーホーム』

第三者視点で日々を省察/精察してみたところ「頑張っているよ、僕は」と思ったとき、この歌詞が浮かんだ。うっかりすると泣いてしまうよ。

ブログ「いらけれ」

7月になったことをお知らせします。

月も変わったことだし、あらためて「なんでも箱」の紹介を。グーグルフォームで僕が作ったもので、相談とか質問を募集中だ。胡散臭いカウンセラーか、みんなのお兄さんになりたい。朗読の感想を送ってくれてもいいんだよ。よろしく~。

ひどい。なんだか泣けてしまう梅雨だ。休館日があった都合か、もともと長かった貸出期間を延長して、ひと月半以上借りていた本を、読み切ることができなかった。霧吹きみたいな雨が降っていることを気にせずに、ずっとずっと歩いて、シャツを触ったらしっとりと濡れていた。悲しみと苦しみ。嘆いていても仕方ない。うまくいかないのは、自分のせいだと思おう。

6月10日に頼んだ長座布団がやっと届いた。タオル地の、素材はポリエステル100%の、65×175㎝の。2700円したけど、これが結構良い。触ってて気持ち良いし、寝るときに敷いても良いし、折って使っても良い。抱き枕のようにギュッと抱えて、顔を埋めて泣くこともできる。僕の部屋と僕には、長座布団が必要だったようだ。

綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』も予約して、順調に棚の本の数が増えていくけど、「お前、いつになったら読むねん」という問題がある。忙しいわけではない。日記を書くのに、1時間も2時間もかけているのだから。常にダメ人間の暮らしが描かれる日記が、全部嘘だったらいいのに。

朗読について、やってみて一つ分かったことがあって、それは、声に出して読んでも2分半しか、時間としてはかからないということで、手間をかけて作った手料理が10分で食べられてしまう悲しみ、みたいなものが理解できた気がした。作ることと、消費することの時間が違うのは、その非対称性は当たり前のことなんだけど、でも、どうしても虚しく感じてしまうのは、なぜだろう。

前の会社にいた頃、働いてお金ができて、欲しかった扇子を買った。暑いときに使おうと思っていたけど、扇ぐには大きかったから、外へ持っていくことはなかった。だからそれは、ずっと僕の部屋にあって、扇子立ても無いから、ゲームの箱を背中に広がっていて、「百折不撓」と書いてある(将棋好きなら、誰が書いたか分かる)。部屋にいて、この言葉がちらっと目に入ると、また頑張ろうって思う。僕を世界に留める船の錨。だから、あってくれて良かった。

ほっとくと、自然に散らかってく部屋と、エアコンのカビは、見て見ぬふりだ。