ブログ「いらけれ」

近頃は、ユーチューブで『よゐこの○○で○○生活』を見ている、大体。『ゲームセンターCX』とかもそこそこ見ていたし、だから好きだし、やっぱりコメント力がすごいし、100円ショップのスポンジを見て「ポンジ先輩」を思い出すほどだ。
ここまでになった理由は、見ているときの心地良さで、それは広告が入らないからだと気づいたのは、マイクラ編をシーズン2まで全部見た後だった。一企業の宣伝でもある番組に、別企業のCM入れないわな、そりゃ。
煩わしくないというのがとにかく最高で、「もう戻れないかもしれない」と思って、プレミアム会員になってやろうかと考えるほどだ。まず無料で配って、どっぷりと浸からせて、それから面倒、不快にして、有料でそれを取り除けるようにするっていうのは、めちゃくちゃ合理的なやり方なのかも。倫理的にはアレだけど。

久しぶりに晴れた日、玄関を開けたら、塀に小さくて真っ白な蛾がいた。僕は扉を開け放して、トイレから出てきたKに、「ちょっと、こっちこっち」と声をかけた。Kは、サンダルをつっかけて出てきた。蛾を見て顔をしかめた彼女は、そこにあったほうきで、蛾を追い払った。同じ屋根の下に住んで長いが、初めて見るような粗暴さだった。
僕がKと出会ったD大学は、もう東京って言えないんじゃないかというぐらい外れにあって、街中でバッタリ再開した僕らは居酒屋で、キャンパスに大きな蛾がいたこと、学生たちの間で、それが「D大蛾」と呼ばれていたことを話題にした。僕は、ユーチューブで見た『ヨーロッパ企画の暗い旅』の「演劇蟹工船の旅」のなかで、辛すぎる演劇の旅公演で、美しい蛾を見つけるのが楽しみになっていたというエピソードとともに映し出された写真を見て、「あ、『D大蛾』じゃん」と思ったこと、でも、そこで出ていた蛾の正式名称は、忘れてしまって思い出せないことを話した。
まだ封鎖されている道のせいで、家へ帰るには、遠回りをしなければならなかった。あの頃から、すべてが変わってしまったのかもしれない。門扉を手で閉めようと振り返ったら、真っ白な蛾が、またそこにいた。戻ってきたのだろう。巨大な存在から追い回された場所に、再び戻ってこれるような図太さは、少し羨ましいと思った。


SPARTA LOCALS「ジャーニー&ジャーニー」

これから先も馬鹿やるつもり
大人になってもふりかえるな
最高は今さ

「旅は続く」!なんて良い曲、良い歌詞なんだろう。うっとり。ジャーニーは、じゃあねに似てるね。「じゃ~に~」って言うこともあるもんね。じゃ~に~。

ブログ「いらけれ」

昨日あんなことを書いてしまった(と書くと、気になって読みたくなるかもしれませんが、大したこ文章ではありません)のは、最近『欲望の貨幣論2019』を見たからなのかもしれないと、書いた後に思った。そういえば、番組を見ながら「1万円欲しい人は、1万円を手に入れたら2万円にしたいと思うし、100万円貯金がないと不安だという人は、目標金額を達成したところで、200万円ないと安心できない理由を、新たに探してしまうものだろう。つまり、このシステムに投げ込まれた時点で、回し車の中のハムスターなのだ」なんて考えたような気がする。お金について、ある程度で満足することができるのは、本当に一握りの、限られた人間だけなんだよね。

くそう、Gmailの迷惑メールブロック機能が、大事なメールまでブロックしていた。僕にとって何が迷惑か、アルゴリズムが判断すること自体が迷惑という、寓話みたいな世界。

あなたには、知らないことがたくさんあります。驚きを探しに、地球の裏側まで行く必要はありません。辺りをうろつけば、コカ・コーラの自販機はいくつもありますが、コカ・コーラの公式アプリ「Coke ON」対応の自販機には、ドクターペッパーが置かれていないことが分かるでしょう……いやさ、軽い気持ちで探し出したのよね。自販機のドクターペッパーを見たことがあったし、実際、探したら一部の自販機には置かれてたんだけど、「Coke ON」対応となるとさっぱり。歩きに歩いて、やっとチケットをゲットして一本無料になってさ、ちょうどウイスキーを割るのにハマっていたからドクターペッパーを、と思ったのにさあ。しょうがないから買ったリアルゴールドでウイスキー割ったら、あれ、これ結構おいしい。人生は、発見の連続ですね。

現実には、依然として差別や不平等が存在していて、社会はそれを反映している。例えば、ある有名な学校に通う人たちを調べたら、性別に大きな偏りがあったとする。それはおかしいから、変えていかなければならない、というときこそ、そこでは生徒の性別が問題となる。生徒たちの性別を考慮しなければ、差別の実態も分からないし、平等を実現することもできない。しかし、一人一人の人間と向き合う時は、人間は人間であるという態度で、なるべく性別を問題とせず、その人の性別によって態度を変えないのが理想だろう(当然ながら、性別を問題としないからといって、何を言っても良い、何をしても良いという訳ではない)。この二重性について、どのように考えればよいのか……僕がさっぱり分かっていないから、答えらしきものすら書けない。

ブログ「いらけれ」

頑張れって思ったところで、深い知識や教養があるわけでもないから、何か閃いて面白いことが書けるわけもないが、絶望していたところで、未来が拓けるわけでもないから、しょうがないから書くために、今日のことを思い出してみると、宝くじ売り場が目に入ったときのことが、頭に浮かんだ。
2013年に、ロト6で一等・1億8000万円の当選があったと看板に書かれている。その売り場で一等が出たことと、後の当選が関係するはずがなく、それぐらい誰でも分かりそうなものなのに、なぜそんなことが宣伝されているのかと考える前に、想像のなかで1億円が当たった。これで、相当の時間遊んで暮らせる。とてもくだらないイメージは、しかし、一瞬だけ心を癒す。ここを通る少し前に、ATMから引き出した金を空の財布に入れたとき、辛さと収入が見合っていないことを再確認したから、こんな空想をしてしまったのかもしれない。
大衆の生活というものは<いつか、そこに住んでいた誰かや、たった今、どこかで生きている誰かと比較すれば、大層恵まれていたとしても>、常に苦しみを伴うものであり、いつでも準備万端なのだ。だから例えば、過去に出た一等賞の当選金額を目にしただけでも、この日常から抜け出せたら……という妄想が始まってしまうのは、私だけではないはずだ。その輝きが、人々をくじへと誘引するのではないだろうか。

どうでもいいことばっかりで申し訳ないな。どうでもいいことしかしていないからな。懸念だったサンダルを買った。靴流通センターの、アプリの入会記念クーポンが、期間内なら何度でも使えるの、すごいと思った。買ったことでウキウキして、購入して即家に帰って、靴下脱いで履き替えて外に出たの、まるで子どもみたいでかわいいね。それで、近所の綿半スーパーセンターというところまで歩いたら、靴下がない分、試し履きしたときより少し緩く感じるけど、やっぱり快適。とかいって、今日は涼しかったし、雨も降ってたから、水たまりが冷たかったけど。
到着して張り紙を見たら、先週の土曜日が将棋大会の開催日ってなっていてショック。というか、まじで将棋大会やってるんだ……。将棋クラブ的なものがあるって張り紙は見つけてたけど、連絡先が一つも書いてなかったから、本当に存在しているのかどうか、気になっていたんだ。大会の日程は、7月のイベント予定のなかにあったから、7月の頭に来てチェックしていたら、のぞくこともできただろうに。今度は、8月の頭に予定を確認しに行こう。そして、普段の買い物でも、もっとここに来よう。本業の方が潤ってなかったら、大会も何もないもんな。

今の自分がこうしていられるのは、人の話にちゃんと耳を傾けてきたから、書かれている文章をちゃんと読んできたからなのかもしれない。と、思わされるような出来事が多数。何かを信じる人(ビリーヴァー)じゃないのは、運が良いのか悪いのか。「自分は正しい」に甘えられないのは、また別の弱さだよ。

ブログ「いらけれ」

言葉にすることもなく毎日は、一瞬で過ぎていくから切ない。立ち止まらなければ、その切なさすら感じることができないから、なおさら。何かをしていたわけでもないのに感じる徒労感。時間は、生きているだけで流れ落ちてくシャワーだと、シャワーの水を浴びながら思った。本当に無意味だ。

僕の2019年は小吉で、7月14日は渋谷らくごに行った。その日に行くことを、前月から友人と約束していたために、去年の10月から毎回参加していたデモクラシーカフェには行けなかった。でも、何かを得れば何かを失うというのが世の真理だからしょうがないよ。

渋谷らくごは、天候に左右されると前説で言っていた。小雨が降り続いていたから客足が遠のいてしまったのだろうが、客席はゆったり座れる環境だった。それでも100人近くは入っていたようだ。もちろん、だからといって高座のクオリティに比べると、少ないなあという感想は変わらないけれど。

垂乳根も愛宕山も、ねずみだってそうだ。落語のマジックが炸裂した回だった。どれだけ丁寧ったって、あんな話し方をする人はいないし、どれだけ竹がしなったところで崖の上までは戻れない。ねずみなんて、言うまでもないことだ。でも、演者がそうなったと言えば、そうなったことになるのが落語の良い所で、そこに無い長屋や山は当然、ありえないことだって見えてしまうのが楽しい。自ずから想像を迎えに行かなくても、脳内に光景が浮かぶ快楽。それにしても、正蔵師匠は本当によかったなあ。

お笑い好きだから、風藤松原の漫才を分析したくなってしまう。初めて生で見たけど、30分近い出番は爆笑の連続だった。どちらかといえばクスッとくるような、俗に"シュール"と言われるようなコンビだと認識していたから、とても驚いた。ネタの構造としては、お題があってボケるという大喜利に近いやり取りがメインになっているのに、観客が予想する答えを上回り続けるのがすごい。

渋谷から帰って、前回と同じく地元のメキシコ料理屋へ行く。前回と違って、結構混んでいた。前回と同様、やっぱり料理はおいしかった。また行きたいな。満腹で家に着いて、ベッドに横になったら、遠方に住む友人から、家への招待の連絡が来ていた。ありがたいことだ、そして、また小旅行に行きたいものだ……いつになるかは分からないけれど。

それで、寝て起きたら、また日記にコメントをいただいていた。それまで数カ月、さっぱりだったのにである。何もないと何もなくて、動き出すといっぺんに動き出すあたり、本当に人生は不思議だ。小吉の僕だから、良い時と悪い時があるのだと思っておこう。そして、吹いてきた風には乗っておこう、と思う。