結局、このイベントが終わった後に、頭を使い過ぎて頭が痛くなってしまったわけだから、それに、話された言葉はもう消えてしまっていて、残っているのは記憶だけなわけだから、すべての詳細を細かく書こうとせず、肩の力を抜いて、とりとめなく書いていこう。
〇音楽について、勉強するところから始めたという矢野さんが、より現場的なものへ開かれていくことに、大きな影響を与えたであろうエピソードが興味深かった。矢野さんのDJプレイについて、アーティスト気取りであることを見抜いた先輩の指摘と、やっているのは「水商売なんだ」という言葉。気軽に遊びに来ている女の子に、それでもシブイ選曲をぶつけて、帰られてしまった経験などから、これではいけないと気付いていく過程。でも、全部合わせるのではなく、半分合わせて、半分ずらすのが大切なのではないかという結論は、先生でもある矢野さんらしいのかなとも思ったし、心に残った。
〇やはり教育の話になっていったわけだが、一番盛り上がったのは、「先生はいきなり番組を持たされる、しかも帯で」というところだったように記憶している。トークライブでは難しいけど、「学校だったら毎日○○人"動員"できる」という話とか笑ったなあ。「教壇はステージだ」というようなことも、矢野さんは言っていたけれど、『文化系トークラジオLife』で、チャーリーも同じようなこと言っていたよなあって思い出した。
〇矢野さんのブログタイトルは「矢野利裕のEdutainment」だし、例えば、そのなかの「ヒップホップはパンクではなく、ましてやテクノでもない。――教員の立場から読んだ、B.I.G. JOE『監獄ラッパー』(リットー・ミュージック)」を読めば、もっと色んなことが分かるはずだ。有名バラエティ番組のディレクターが書いている良いMCの条件が、教職員の教わる内容に似ているという点などは、実際に現場に出ないと分からないことだから、非常に面白かった。良いとされているバラエティ番組のように、みんなに出番が、見せ場が用意されている教室は、確かに、ある意味では不自由なのだろうと思えた。しかし矢野さんは、「そのおかげで発言できる人もいる」ということも、忘れず言い添えていた。
〇学校教育に参入しつつあるLDHの話にもなった。エグザイルらの音楽に乗り、ダンスを教わって細かくリズムを取れるようになれば、自己表現が上手にできるようになる子も出てくるだろう。それは間違いない。テクニックが人を自由にする面がある。だが、もちろんそれは"教えられた自由"でしかないことも、忘れてはいけない。
<続く>