ブログ「いらけれ」

※筆者は現在、ひどい頭痛に見舞われており、更新の目途が立っていない状態です。筆者が回復するまで、今しばらくお待ちください。
……と、死にそうになりながらわざわざ書く必要はなかったようだ。誰も読んでいなかったからな。
トークイベント(感想は明日!)から帰ってきて、集中し過ぎたのか頭痛くなって、ご飯食べて一時間倒れて起きたら、エアコン切ったのに寒くて、なのに汗が止まらなくて、気持ち悪くもなって吐いた。テレビに映る『ヨーロッパ企画の暗い旅』を見ることも出来ないまま眠った。
その日の内に、日記を書かなければと思っていたから、無理して傷口を広げてしまった感があった。改めて、日記なんて続けていなければよかったって思ったにょ。

何を書くにしても、とにかくアイロニーが通じないというのは、もう前提としなければならないとして、他方、あらゆる表現形態にペーソスが足りないのがいけない。ペーソスが少なくなっているのは、おそらく単純に受け入れられないからで、そういうメンタリティがいけない。この社会を良くするためには、たった一人になったとしても、ペーソスとしての表現をやっていかなければいけない。

あるやり取りをしていて分かったのだが、日本語には、目上の人に対して使える二人称が全然ない。「あなた」は、なんかちょっと不躾な感じがするし、肩書がなければ、名前プラス「さん」で呼びかけるしかない。こういうのって、ちゃんと中学校に通っていれば、その理由とか理屈を教わるものなのだろうか。基礎的な知識が欠如している僕は、グーグル先生に教えてもらいました。やっぱり、日本語の特殊な部分であるらしい。へー、と思った。

僕たちが自由じゃないと語るとき、それは、使っている言葉が自由じゃないからで、焦ったり苛立ったり、とにかく余裕がなくなってくると、どんどんと遊びがなくなって、言葉が固まっていくことに、気が付くことさえできない。僕が、洪申豪「Morning」の、始まりのギターの音であっさりと理解してしまうような、そんな音楽のような自由と解放を、どうしたら言葉で実現できるのか。それが分かれば苦労しないよと、ふざけて言って見せることから始めたい。

あれが大きな音を響かせたから、そろそろ年貢の納め時かなあ、と思うような出来事があった。あなた(失礼!)には、何のことか分からないだろう。当然だ。何も書いていないのだから。事実を明らかにするために僕は、やっぱり日記を続けていかなければならないのだなあと思った……にょ。