10分だけのつもりで

ブログ「いらけれ」

結局、サイトのリニューアルも、プロフィールの更新もしなかった僕へ。恥ずかしいね。でも、いろんなラッキーと、いろんなクリエイターによるユーチューブ動画のおかげで、割と元気出てきているし、来週までには、僕がなんとかしてくれるんじゃない?

「アジアカップ開幕!これからのサッカー解説の話をしよう!」
僕がめちゃくちゃ好きそうな特集なのに、これまで日記に書いてこなかったのは、当然聞いていなかったからで、1月11日の放送を、7月になってやっと聞いているのヤバいよなあ。
内容について言えば、そこまで深く分かりたい人ばかりではないとか、賢い人は少数派だとか、そうやって諦めるのはすごい簡単だし、世の趨勢はそっちに流れつつあると思うけど、手の届くところからアップデートしようとする意志を持っている方が、まだマシだと思った。

人狼を見ていて思ったのは、話されている言葉には、論理的な正しさとは別に、パフォーマンス的な機能があって、だから例えば、疑われている人を助けるようなことを言った人は、それが、一見正しいと思われる意見だとしても、疑われていた人とのつながり(「ライン」という言葉が使われる)があるのではないかと怪しまれることになるわけだが、このように、すべての言説には文字通りでは捉えきれない「意味」があるということ(行間という言葉が近いかもしれない)を、そしてその「意味」はある程度操作可能であり、人を騙すこともできるのだということ(または、その方法)を、プレイした人たちが学ぶ場になっているのだろうなあ、ということ。それが良いことなのか、悪いことなのかは分からないけれど。

あと、めちゃくちゃキャラが出来ているというか、他者からの見え方をコントロールしたいという感じがビンビンに出ているプレイヤーがいるんだけど、その人が、論理的にもキャラ的にも完璧に喋ると、逆に胡散臭く見えるのが面白いなと思った。人間というのは、破綻や欠陥から、相手を人間だと認識しているんだね。

煙草の煙の向こうを見ながら考え事するっていうのは、何かが違うんだろうなって思って、僕にも、煙草の代わりになるようなものがあれば良いのにって思った。ココアシガレットか。

褒められたって良さそうな気もしてる
人知れず強くなろうぜ俺達

FoZZtone『ベイビーゴーホーム』

第三者視点で日々を省察/精察してみたところ「頑張っているよ、僕は」と思ったとき、この歌詞が浮かんだ。うっかりすると泣いてしまうよ。

ブログ「いらけれ」

Posted by 後藤