ブログ「いらけれ」

子どもの頃に受け取ったものがすべてだと、○○歳までに触れたもので、その人は形成されるのだという話を、よく耳にする。確かに、「大人になったら人間は変わらない」とまでは言わないが、子どものころのようには、柔軟に変化しなくなっていく感じはある。

とはいえ、子どもには学べないものがある。老化だ。

子どもの頃の一年は、成長でしかなかった。背が伸びて、体重が増えて、足が速くなって、勉強が難しくなっていた。そして、それは当たり前のことだった。

何の疑問も持っていなかった成長は、大人の入り口に立つ頃に止まる。あるいは、成長が止まった人を、大人というのかもしれない。

もちろん成長期を過ぎても、鍛えることによって身体をパワーアップさせることはできるし、知識を増やし、見識を広めることはできる。しかしそれらは、努力の先に辛うじて達成できるものであって、「去年と同じ」をキープしているだけでは、少しずつ駄目になっていく。

こんなこと、前に書いたっけなあ。記憶力が衰えつつある僕には、ぜんぜん分からない。

問題の本質は、衰えていくことではない、大半の大人が、その事実を忘却していることだ。ともすれば、少し良くなっていると勘違いしていることさえある、何一つ努力していないのに。そういう意味では、冒頭の言葉も当たっていると言えるのかもしれない。

しかし、子どもに衰え方を教えればいいというものではない。まず、大半の大人が「正しい衰え方」など体得していないのだから、教える人がいない。また、衰えることに現実感のない子どもに対して、どれだけ言葉を尽くしても、まったく伝わらないだろう。

つまり、とても辛いことだが、衰えに自覚をもって、衰える自分を見つめ、衰えてしまった自分に腹を立てながら、実地訓練で覚えていくしかないのだ。現実に抗って、歯を食いしばって頑張らなければ、水のように低い方へと流れていく。

10代の君へ(そんな人いるのか?)、まだリアリティがないだろうが、衰えるのはとても辛いぞ。人生の秘密は、大人になってからの方が長いということなんだ。早く来た冬の、早々に太陽が沈んだ夜の、花が散って朽ちるのを待つ木。

自分が頑張れているのかといえば……なかなか難しいところだ。大きな挫折の後の、苦しくて切ない毎日のなかで、それでも、26歳になってからサイトや日記を始めたり、そこまで悪くはないと思う。「千里の道も一歩から」というからね。狭い箱に入れられて、黒い服の人に囲まれるまでの間、僕は頑張り続けられるだろうか。自信はないけど、やってみるつもりだ。